N生記

   (四)

西洋畫第二室有審査員石川欽一郎氏出品的《平和鄉》、榮獲特選的陳植棋氏的《真人廟》、榮獲臺展賞的廖繼春氏的《持籠女孩》、榮獲臺日賞的李石樵氏的《編織少女》以及

◇…無鑑 査(免審查)出品的服部正夷氏的《風景》、楊佐三郎(楊三郎)氏的《厦門港》和《老藝人》、陳植棋氏的《赤壁》等等附有名號的作品,熱鬧無比。然而,實際到第二室觀看,會發現除了石川審査員的出品作之外,看不到一件精彩作品,均難脫素人習氣。石川審査員的《平和鄉》以精湛(refine)之筆輕快地描繪了沿著鄉間小路的合歡木(譯注1)、老舊的鄉下民宅、一群在映照晴空的水邊遊玩的家鴨等等題材。常常有人批評

◇…石川 氏的畫,說其畫雖佳,但不管看哪一幅感覺都一樣,已令人心生厭倦。然而,有如此批評的人既不懂藝術,也不懂石川氏的用心。當然,石川氏 之畫作並不是有意表現近代宏偉的作品,而是相對於貝多芬(Ludwig van Beethoven)交響樂(symphony)的宛如牧歌般的小巧,卻光彩奪目、魅力四射之作。而且石川氏始終堅持此種純淨畫風,正如島崎藤村(1872-1943)曾守護和栽培「自然主義文學」一様。

◇…然而 ,正如同我們對於鹽月氏的要求,石川氏之作也絕對沒有去認真批判時代,這點有令人感到落寞。服部正夷氏的無鑑査出品《風景》,畫面由座落在靜寂沉穩的幽暗綠林中的白屋及藍海所構成,表現出現代知識份子的氣質,這點無人能出其右。此畫是用頭腦來描繪的畫作,反之,用雙手來描繪的畫作,有陳植棋氏的《真人廟》。陳氏是今年也入選

◇…帝展 的佼佼者,繪畫技巧十分純熟,《真人廟》是榮獲特選之作,然而,當我們站在此畫之前,可有感受到什麼精神上的啟發嗎?奪得臺展賞的廖繼春氏的《持籠女孩》也不過是一張口繪(卷首插圖),談不上有什麼感□。出品《編織少女》,奪得

◇…臺日 賞的李石樵氏,還只是二十一歳的青年。這件畫作雖然是小品,但除了素描(dessin)的正確性,也顯示出有好頭腦,希望李氏今後能更加精進。


臺展を觀る

N生記

   (四)

西洋画第二室は石川審査員出品の『平和郷』特選に入つた陳植棋氏の『真人廟』臺展賞を得た廖継春氏の『籠を持てる童女』臺日賞を得た李石樵氏の『編み物する少女』

◇…無鑑 査出品のの服部正夷氏の『風景』楊佐三郎氏の『厦門港』『老芸人』陳植棋氏の赤き壁など肩書き附きの作品で大変賑かである、然し実際第二室に立つて見ると石川審査員出品を除いては水際立つた素人ばなれした絵は見られない石川審査員の『平和郷』は田舎路に沿うた合牧木、年を経た田舎家、明るい空を映した水辺に、遊ぶ家鴨の群などがリフアインされた筆で軽妙に描かれてゐる、よく人々は

◇…石川 氏の絵を評して氏の絵は良い然し氏の絵はどれを見ても同じだもう鼻に附て来たと云ふ然しさう云ふ人は芸術を、そして石川氏の心を知らない人だ、勿論石川氏の絵は近代的な力を表現し様といふ意図を持つ絵ではない、ベートベンのシンホオニーに対する牧歌の様に小さいけれども如何にも光つた、魅力に富んだ作品である、そして石川氏は恰度島崎藤村が自然主義を守りそだてて行く様に、氏はこの作風に純一に始終される事であらうと思はれる

◇…然し 恰度塩月氏に対して我々が抱いた様に氏の作も決して時代を真面目に批判しやうといふ要求を持つて居ない所に物足らなさがある、服部正夷氏の無鑑査出品『風景』はしんみりと落ち着いた緑の暗い林の中から見える白い家と、青い海とからなつてゐるが、現代のインデリゲンチアの気持を表現してゐる点に於て此の絵の右に出るものはあるまいと思はれる、此の絵が頭で書いた絵であるに反し手先で書いた絵に陳植棋氏の『真人廟』がある、陳氏は今年

◇…帝展 にも入選した程で、全くあぶなげない技巧を持つてゐる、真人廟は特選に入つたものである、然し我々は此の絵の立つて精神的な何ものを得るであらうか?臺展賞をかち得た廖継春氏の『籠を持てる童女』も口絵と云ふ以外に如何な感□も起らない『編み物する少女』を出して

◇…臺日 賞を得た李石樵氏はまだ二十一歳の青年であるといふこの作は小品ではあるけれどもデツサンの正確さの外に頭のよさを示してゐる、一層の精進を希望して止まない

原載《臺灣日日新報》,1930-10-30 (日刊6版)

辨識、翻譯/李淑珠

註釋

譯注(1) 查不到原文的「合牧木」為何,應該是「合歓木」之誤植。