臺展移動到臺南及臺中舉辦,讓中南部地區的民眾有了鑑賞畫作的機會,但他們對於真正的美術的理解,可惜仍十分幼稚▲然而,前幾天有一些人表示臺灣的一位叫做N君的某官員的存在,令他們感到非常欣慰,因為這位N君不久前在本社(臺灣日日新報社)舉辦的洋畫(西洋畫)的參考展中,出品了六至七件的珍藏畫作,引人好奇詢問:「N是誰」,而該君不僅收藏,對美術的鑑賞眼光也相當不凡▲這位N君表示:「臺展終於成為了具有權威的美展。美術作為一種啓蒙運動非常有用,而且像在臺灣這種缺乏趣味生活的土地上,能有效給予人心一些滋潤和餘裕。看了前幾天的臺日社的參考展,深刻地領悟到臺灣也有興建美術館的必要。若沒有讓強大的藝術作品時不時地敲打一下,就難以受到啓發,將傑出的作品在當時就予以收藏陳列的話,不知會帶給一般民眾、藝術專家、業餘愛好者(amateur)多少的裨益與啓發,因此,希望臺灣也能加把勁興建一座美術館才好」。
無絃琴
臺展も臺南や臺中に移動され中南部方面の人々にも鑑賞の機会が与へられてゐるわけだが、本当の美術に対する理解といふものは未だ未だ残念ながら幼稚である▲然し此の間にあつてエヌ君といふ某お役人の様な人も臺灣にゐるとて感心してゐる人々もある、エヌ君といふのは先頃本社の洋画の参考展に六七点の所蔵美術作品を出品し「エヌつて誰だらう」と言はれた人である、同君は所蔵ばかりでなく美術の鑑賞眼も相当に肥てゐる▲そのエヌ君曰く「臺展も到頭モノになりましたね、美術は一種の啓蒙運動として役立つし又臺灣の様な趣味生活の乏しい土地柄では人の心に潤ひや余裕を持たせる点で非常に有効ですよ、此の間の臺日社の参考展を見て沁々感じた事は臺灣にも美術館が是非必要だといふことです、力強い芸術作品には時時打つつからぬと啓発されない、斯ういふ作品を当時陳列して見せることはどの位一般人や専門家やアマチユア連を裨益し啓発するか解らない、臺灣でも一つ美術館を奮発して貰ひたいものですね」
—原載《臺灣日日新報》,1932-11-11(日刊1版)
(辨識、翻譯/李淑珠)