【臺中電話】記者前往臺中市錦町二之一號,採訪獲得本報社(臺灣日日新報社)提供的獎項「臺日賞」的松本光治氏,他在今年夏天從謄寫版(油印)業轉型為洋畫(西洋畫)材料店。當記者抵達時,松本氏正忙著在顏料與畫框堆裡幹活,聽到記者報喜,他那有點孩子氣的臉上瞬間綻放笑容地說道: 

實在是不敢當!我在四年前剛來臺灣那年入選過臺展,但去年不幸落選。這次是第三次出品,沒想到會得到臺日賞。《漁港鹿港街》這幅畫是我八月二十七、二十八日參加在鹿港舉辦洋畫講習會時,看到當地的臺灣特有建築形式與色彩,心動不已,便萌生了想要大膽表現地方色彩(local color)的念頭,於是著手創作,歷時約一個半月完成。雖然畫法有點粗曠不羈,但我認為已充分表達了自己當下的心情。 

滿洲遊覽的 「土產」作品 村上無羅氏談 

【基隆電話】臺展出品畫《滿洲所見》榮獲特選,記者帶著喜訊前往基隆高等女學校(今基隆女中)圖畫科教師村上氏位於幸町的住家採訪,村上氏看見記者便說: 

我正想要出門去臺北拜訪結城(素明)審查員呢! 

並發表感想如下: 

如同在作品「解說」中所寫,這次的出品畫是我在今年夏季休假期間前往滿洲旅行時所繪製的速寫(sketch)的集大成,畫面中央描繪的是奉天北陵,周圍則配置了哈爾濱、大連等十二處具有特色的風景。這種畫面形式在臺灣尚屬首次嘗試。雖然稱不上是充滿自信,但我認為自己已相當程度地捕捉到滿洲的地方色彩。這幅畫也可說是我想透過繪畫,讓臺灣的各位了解滿洲是怎樣的一個地方的所謂的「土產」作品。實際作畫是從九月開始的,加上我同時擔任中學校與女學校的教職,只能在夜間進行創作,因此吃了不少苦頭。原本還想再稍作修整,但實在是時間不夠,這點讓我感到遺憾。幸好我去年曾前往內地(日本)參觀一些展覽,所以打算從明年開始邀請臺北的朋友,一起出品中央(日本)的展覽會。我會以這次得獎殊榮為動力,更加足馬力鞭策自己努力創作。 

回東京 之時創作的 村澤夫人談 

【高雄電話】獲得特選的村澤節子女士,是高雄三井物產株式會社社員村澤(澄藏)氏的夫人。當記者前往其府上致賀並詢問感想時,她態度雖然低調謙遜,臉上卻也難掩喜悅之情,靜靜地說道: 

那幅作品是在去年六月左右回到東京的那陣子創作的,因為每天只是閒晃也覺得無趣,便想試著畫些什麼,於是去曾經指導過我的川崎小虎老師家拜訪,從老師那裡獲得了各種參考資料與靈感(hint),便嘗試描繪藤原時代(平安時代中期・後期)那種優雅而閒適的生活。我從第三回臺展開始便持續出品,但去年因為剛好回去内地,所以就沒有出品。 


建築と色彩に 心が動いて描く 臺日賞の鹿港街につき 松本光治氏が語る 

【臺中電話】本社寄贈の臺日賞を授与された臺中市錦町二ノ一に本夏謄写版業から洋画材料店に転向した松本光治氏を訪れると絵具や額縁の中にかこまれて忙しいそうに立廻つてゐた、氏は記者の快報に童顔を爆笑させて語つた 

どうも恐縮です臺展には四年前渡臺の年に入選しましたが昨年は見事落選しました今度は三度目の出品ですが臺日賞とは思ひもよらなかつたです『漁港鹿港街』は八月二十七、八日頃鹿港で洋画講習会を開いた時あの臺灣独特の建築構成と色彩に心が動いて大胆にローカルカラーを表現して見たいと思つて取りかかり一ケ月半許りで画き上げました、随分乱暴な画ですが僕の気持を充分に表現してゐる心算です 

満州見物の お土産作品 村上無羅氏談 

【基隆電話】臺展出品画『満州所見』特選の報を齎して基隆高女図画科担任村上氏を幸町の自宅に訪へば 

今から臺北に結城審査員を訪ねやうと思つてゐる所です 

と左の如く感想を語つた 

出品画は解説にも書いておいた通り今年の暑中休暇に満州旅行を試みた時のスケツチ集成で、中央に奉天北陵を描き、周囲にハルビン大連等の特異な風景十二点を配しましたがこの形式は臺灣ではじめての試みです自信と云ふ程でもありませんが自分としては満州のローカルカラーを相当写し得た積りです、まあ絵を通じて満州が如何なる所であるかを臺灣の皆様に見て戴きたいと云ふお土産作品です、製作にかかつたのは九月に入つてからで、その上私は中女学校双方掛け持ちなので夜だけしか仕事が出来ず随分苦労をしましたもう少し修整をしたいと思つてゐたのですが何しろ時間のなかつたのが残念です幸ひ私は昨年内地の展覧会をのぞいて来てゐますので来年から臺北の友人を誘つて中央の展覧会にも出品する積りでこの栄誉を機会にウント馬力をかけて勉強します 

東京に帰つて 時描きました 村澤夫人語る 

【高雄電話】特選に推された村澤節子さんは高雄三井物産社員村澤氏の夫人である、同家を訪ねて喜びの言葉を述べればつつましい態度の裡にも喜びに面を輝かせ乍ら 

あれは昨年六月頃暫らく東京に帰つてをりました間に、唯遊んでゐてもつまらいので何か描いて見たいと思ひまして、以前御指導を頂いてゐた川崎小虎先生の御宅に伺ひまして色々の参考品やヒントを与へて頂き藤原時代の優雅な、そして長閑な生活を描いて見たので御座います臺展に三回からづつと出品してをりますが昨年は内地に帰つてゐました為め出品致しませんでした 

と物静かに語つた 

—原載《臺灣日日新報》,1933-10-26(日刊7版)   

(辨識、翻譯/李淑珠)