Safe生
◇對於第八回臺展的審查,有各種意見存在,而其藝術態度有許多缺陷也是眾所周知的事。然而,從此次的東洋畫審查結果,我們得知了常久常春氏的二曲一雙(兩隻一對)屏風作品,右半邊(右隻)入選、左半邊(左隻)卻落選,這實在是極為不可思議之事。本人一向非常關心美術乃至全部的藝術,故撰寫此文以表明看法。
◇臺展的審查員秉持的究竟是什麼樣的審查方針和良心?而且似乎也全然不理解何謂藝術,居然辯稱:「這是為了拯救作家」(譯註1),簡直是荒唐至極。這正是審查員自己毫無定見、既無藝術精神也無良心,卻還大聲公開宣示的表現,堪稱不知羞恥的無能典型。
◇審查似乎被視為如同因憐憫而買下孤兒院販賣的肥皂或樟腦等物品般的慈善行為。一雙屏風之所以分為兩隻,只是出於使用上的方便才一分為二,但作為繪畫作品卻是一體不可分割的,即使作品未臻成熟,也不可能出現左右之間有明顯的巧拙差異,以致於半邊入選、另半邊落選。對於作家而言,左右一對才能完整表現「自我」的藝術,如果作品半邊落選,那麼即使另一半技巧上較佳,整體作為「繪畫」或「藝術」仍是不完整的,自然應該全部落選,但審查員卻讓半邊入選,並認為此舉拯救了作者。這樣的審查態度,正是使臺展失去價值、喪失權威的最大原因。
◇「繪畫」並不像所謂的「藝術照片」那樣,可以將某一部分放大而成為獨立的一部份。真正值得批判的,是臺展審查員的無知與無能,他們根本不懂藝術,只是單純的畫匠而已。
◇作者常久氏刊於報紙上的談話(譯註2)完全可以認同。本人對於必須在不懂藝術、甚至近乎冒瀆之下接受審查的在臺畫家,實在備感同情。
臺展の審查態 度は甚だ遺憾
セイフ生
◇第八回臺展の審査に就いては種々意見もあり、その芸術的態度に幾多の欠陥のある事は周知の事ではあるが、今回の東洋画の審査に於て、常久常春氏の二曲一双屏風の右半双入選片方落選の事を知り、餘りにも不思議極まることに、美術に又芸術一般に関心を持つ者として此の一文を認めるものである
◇臺展の審査員には如何なる方針と良心を有するか、芸術とは如何なるものか、まるつきり御存知ないものと思はれる『これが作家を救ふ意味』とは何といふ言語同断の言葉であらう、これこそ審査員が自己の無定見と、芸術心と良心を持たぬ事を、自ら声を大にして公表する様なもので、恥を知らぬ無能の標本であらう
◇審査は孤児院の物売りからお情けで石鹸や樟脳でも買ふ如きものと考へてゐる様だ、一双と云つて二箇に分れるのも、これは使用方便から二箇になるもので絵画としては□すかべらざるもの、又如何に未熟であつたとて左右が入落のけじめのつく程巧拙の差の出来るものでもなく、作家としては左右一対で初めて『自己』の芸術を表現するもの、半分が落選する程のものなら、例へ他の半分が技巧的に良くとも『絵画』としては『芸術』としては未完成のもので、無論全部落選となるべきものだらう、半分だけ入選せしめて作者を救ふものと考へる審査が、臺展を無価値づけ、権威を失はしめる最大の原因である
◇『絵』は所謂『芸術写真』の如く或る部分を引伸ばして一部とする如き性質のものではなからう、真に問ふべきは臺展審査員の無智無能、芸術を知らざる単なる絵かき職人である事である
◇作者常久氏の新聞紙面に出た談話は総て肯定出来る、芸術を知らざる冒涜の下に審査を受けねばならぬ在臺画家を寧ろ憐れむものである
—原載《臺灣日日新報》,1934-10-27(3版)。
(辨識、翻譯/李淑珠)
註釋
譯註1. 參見〈作家を救ふ意味で 片方だけを入選 郷原審査員の談(用意是拯救作家 所以只入選半邊 鄉原審査員之談)〉(《臺灣日日新報》1934年10月24日版7)。
譯註2. 參見〈二曲一双の東洋画を 片方だけ入選陳列 神聖な芸術心の冒涜だと 塔山の作者、常久常春氏憤慨(二曲一雙的東洋畫 只有半邊得到入選與陳列 神聖藝術魂的冒瀆 《塔山》作者的常久常春氏憤慨)〉(《臺灣日日新報》1934年10月24日版7)。
