自内地(日本)招聘而來、擔任臺展審査員的和田三造、矢澤弦月、小澤秋成三畫伯的美術演講會,在臺灣教育會主辦下,(十月)二十二日下午四點於總督府一樓食堂舉行,呈現觀眾塞爆會場的盛況。

◇西洋畫審査員小澤秋成氏根據其最近旅居巴黎時所遇到的各種經驗,極力主張繪畫創作者首先必須要有製作富生命力作品的自信,其次是臺北市民不可以被眼前的利益所迷惑,為了臺北的美化,應該保護自然或歴史性建築物才對。小澤氏展現其能言善道的口才之後,走下講臺。

◇矢澤弦月氏則代表現在的東洋畫,顧自讚美興盛的日本畫之後,走下講臺。

◇和田三造畫伯在滿場的掌聲中登臺。和田氏從年幼時因為一心想要學畫,獨自一人從福岡步行抵達東京之事談到創作一舉成名的作品《南風》時的煞費苦心,談及身為畫家應有的態度,然後在分享作畫時經歷的各種教訓之後,走下講臺。

演講至下午七點散會。

矢澤畫伯返京

作為臺展東洋畫審査員來臺的矢澤弦月氏因故突然搭乘(十月)二十三日從基隆出港的朝日丸,返回了東京。


三畫伯の 美術講演 盛況を極む

臺展審査員として内地より招聘した和田三造、矢澤弦月、小澤秋成三画伯の美術講演会は臺灣教育会主催のもとに二十二日午後四時より督府一階食堂に於て開会、観衆会場を埋める盛況であつた

◇先づ西洋画審査員小澤秋成氏は最近氏がパリに滞在中に於て出会つた種々の経験談から絵を描くものは先づ自信を持つて生命を打込んだものを作らねばならぬ事を力説し、次いで臺北市民は臺北の美化を計る為に目先の利益に迷はされず自然や歴史的建築物などを保護すべきであると能弁を振つて降壇

◇矢澤弦月氏は現在の東洋画を代表して独り隆々たる日本画を□美して壇を降り

◇和田三造画伯は満場の拍手裡に登場、氏が幼き時、画を描きたい一心から独りで福岡から東京まで歩いた事から出世作『南風』を出すまでの苦心談を語り、画家たらんとするものの態度を語り、次いで作画上氏の経験した種々の教訓を語つて降壇

午後七時散会した

矢澤画伯帰京

臺展東洋画審査員として来臺した矢澤弦月氏は都合により二十三日基隆出帆の朝日丸で急に帰京する事となつた

原載《臺灣日日新報》,1931-10-23 (日刊7版)

辨識、翻譯/李淑珠