相對於每年點綴內地(日本)秋天的帝展,在臺灣也有臺灣美術展覽會,第一回展為十月底至十一月初,於臺北舉辦。這是一個盛大的

官設 展覽會,經費由臺灣教育會支出,總督府也全力協助相關事宜,為一向以來乾燥無味的臺灣,從美術的方面,帶來莫大的滋潤,與此同時,似乎多少也含有以藝術統領(Lead)一般民眾之類的高等政策,因此,此展覽會媲美朝鮮的「鮮展」,以「臺展」之名,受到萬眾矚目,也成為今後臺灣每年有趣的例行活動之一。臺展的組織,以臺灣教育會長的後藤文夫總務長官為首腦,石黑英彥文教局長目前則擔任臺展事務總長職位,諮詢機關有以全島的

官民 有力者為評議員的評議員會,執行機關則有由直接或間接的官民美術關係者組成的幹事會,處理展覽會的相關事務。此幹事會至今已開會數次,之前的全島教育課長會議上,石黑局長也勸誘(邀請)島内各地的美術家們踴躍出品,玄人(專業美術家)或素人(業餘愛好者)不拘,而且洋畫(西洋畫)、日本畫、東洋畫等等之全島各作家的名簿已完成,目前已按名簿寄出臺展趣意書及出品勸誘狀,或正在準備寄出。臺展審查員也已決定好四名,展覽會規程及出品規則等等的「菜單」,全都準備就緒。最後,六日下午在長官官邸舉辦茶話會,招待

在北 評議員、幹事等人,臺展的基礎工程至此大功告成,接下來就輪到出品畫家揮汗埋頭創作了。


年中行事となる 臺灣美術展 既にお膳立も出来て 物凄い作家の意気込み

毎とし内地の秋を飾る帝展の向ふを張り臺灣にも臺灣美術展覧会が此の十月末から十一月初めへかけ第一回を臺北で催することになつた、立派な

官設 展覧会で経費は臺灣教育会から支出されるが総督府が何かにつけ大いに力□を入れて今まで比較的に無味乾燥な臺灣へ美術の方面から大いに潤ひをつけると共に一般民衆を芸術的にリイドして行かうと云ふ高等政策も多少は含まれてゐるらしく此の展覧会は朝鮮の「鮮展」などと並んで「臺展」として世間からも相当注目されやうし、また今後面白い臺灣の年中行事の一つともなるであらう臺展の組織は臺灣教育会長の後藤総務長官が首脳者となり石黒文教局長が差当り臺展事務総長といふ格で諮問機関としては全島の

官民 有力者を評議員とする評議員会あり執行機関としては直接間接の官民美術関係者から成る幹事会があつて事務を処理する事になつてゐるこの幹事会は今日まで既に何回となく開かれ過般全島教育課長会議に当つても石黒局長から島内各地の美術家連に出品勧誘方について依頼あり玄人と素人とを問はず洋画日本画東洋画等の全島各作家の名簿まで出来てゐて其の人々に一斉に臺展の趣意書や出品勧誘状等を発し若くは発する段取りにまで進んでゐる、臺展審査員もすでに四名は決し展覧会規程出品規則などと共に一通り献立は出来上つた、六日午後長官官邸で茶話会が催され

在北 評議員幹事等を招待したのも此の為で臺展の基礎工事も茲に完了した訳で之からは出品画家が汗を流して製作に夢中になる順序である

—原載《臺灣日日新報》,1927-07-07(日刊5版)

辨識、翻譯/李淑珠