鷗亭生(譯注1)
小澤秋成審査員的《風景》,與去年的出品作並無太大差異,而且因為銜接了小澤前不久的個展的作品畫風,所以也沒有特別提出來討論的必要。藝術家的苦惱即是在此,每次的創作如果沒有創造新的境地,便無法滿足鑑賞家,像藝術這樣必須持續日新月異的事物,其他應該很少。此外,臺展的洋畫(西洋畫)之中,仿小澤的作品隨處可見,有些甚至完全複製,不加掩飾。由此看來,像臺灣這種地方,非常有必要經常去接觸知名畫家的作風。
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鹽月善吉(桃甫)審査員的畫作,是毎年臺展作品中最令人感到頭痛的,今年出品的是《樹》和《母》的兩幅作品。《樹》的這幅,似乎意圖以陰鬱的色調來表現樹林的壯觀以及瀰漫於林間的蓬勃朝氣,稍微站遠一點來凝視畫面的話,的確可以感受到樹林的生動樣貌,但究竟有多少人能夠理解並將之視為鑑賞的對象,則頗令人質疑。
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《母》的這幅,似乎在企圖表現一個受到××事件譯注(2)牽連而驚恐不已的女性,諸如天空瀰漫著硝煙的可怕光景、宛如不動尊(不動明王)的母親表情、驚嚇至極的兩個孩童的姿態等等描寫,彼此相輔相成,效果相當不錯,堪稱鹽月君近來的傑出之作。但令人遺憾的是,此畫的作者雖然擁有非常精湛的技巧,卻自我受限於片面至極的瑣碎印象,因而不光明正大地往平坦的大道前進,卻故意涉險步入原始叢林(jungle)之中。若要畫家捨棄其主觀或主張,無異是要強迫他們自殺,但現在真的沒有必要將創作觀點稍微轉向光明的那面(Bright Side)嗎?話雖如此,對於深入表現思想的創作,自然是沒有異議的餘地,但就臺灣洋畫壇的領導(lead)上而言,則不得不令人強烈產生如此的期待。
(待續)
臺展の印象(二) ――小澤、鹽月兩君の作――
鴎亭生
小沢秋成審査員の『風景』は昨年の出品作と大差なく且つ先頃の個展でその画風に接してゐるので取り立てて言ふ程のことはない、芸術家の苦しいのは斯ういふ所にある。製作毎に常に新しい境地を創造してゆくのでないと鑑賞家は満足をしない、芸術くらゐ日進日新であらねばならぬものも他に少いだらう。尚臺展の洋画中には小沢張りの作品がチラホラ見える、中にはその儘行かうとしてゐるものもある。此の一事から見ても臺灣の様な所では時々相当の画家の作風に接することが極めて必要であることを想はせる
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塩月善吉審査員の作に毎年の臺展で最も多く頭を痛めねばならぬものになつてゐるが、本年は『樹』及び『母』の二作を観せてゐる。樹は暗鬱な色調の中に林の凄みや其処に漲る生気を見せやうとしてゐるらしい、少し離れて見入ると樹林らしい生動を思はす様であるが果して幾何の人に理解され鑑賞の対象となり得るか疑ひなきを得ない
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『母』のは××事件にぶつかり脅えてゐる女性を描き出さうとしたものであり、空に漲る硝煙の物凄さ、不動尊にも肖たかの母の表情、脅え切つてゐる二人の子供等の姿態等と相まつて相当に効果的である、同君としては近来の出来であると言へやう。尚此の作者は相当に達者な腕を持ちながら極端に局部的の印象の末に囚はれ坦坦たる大道を堂々と進まずして態とジヤングルの中に分け入つてゐるかの感あるは遺憾である。画家に対し主観や主張を捨てよといふのは自殺を強ひると同様ではあらうが今少しくブライトサイドに観点を転向させる必要はないだらうか。と言つても無論思想的に深く行くことに異議を挿むものではないが臺灣の洋画壇をリードしてゆくといふ上からいふと然ういふ希望も勢ひ起らざるを得ないと思ふ
(つづく)
—原載《臺灣日日新報》,1932-10-27(日刊6版)
(辨識、翻譯/李淑珠)
註釋
譯注1.「鷗亭生」與「鷗汀生」為《臺灣日日新報》主筆大澤貞吉(1923年入社擔任副主筆,1931年昇任主筆)之常用筆名,「鷗汀」為其號。
譯注2. 「××」是避諱「霧社」的記號。