鷗亭生(譯注1)

鄉原古統審査員的《玉峰秀色》採用三曲(三扇)屏風的形式,中央的主屏面描繪有新高主山(玉山主峰),左右兩側較小的屏面上則描繪有高山植物的花卉,是一件極具裝飾性的作品。畫面呈現出此畫家一直以來的特色,即以素淡與細密的手法繪製而成,堪稱會場中的變種。木下靜涯審査員的《立秋之日》是一幅展現耐性的難得作品,不同於以往的浮躁之作,充分顯示出畫家對此畫的確定與信心。看到連審査員的作品都有如此水準上的提高,令人更加為臺展感到高興。陳進女士的《芝蘭之香》是一幅以精心細緻的手法來描繪支那(中國)古風裝扮的新娘的作品,但人物的手部描寫等等,有如彫刻或人偶化,墮入了單純的形態之美。然而,陳女士在技巧方面一年比一年優秀,這點足以認同其畫藝之進展,前途值得期待。

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臺展東洋畫部的呂鐵州(譯注2)君,與郭雪湖君兩人被譽為「花形」,即當紅畫家,在會場中絕對是一個燦爛奪目的存在,其畫風也已自成一派,甚至可以看到不少呂鐵州風格的模仿作品。呂君今年的作品(《蓖麻與軍雞》)在取材上其實算是失敗,但在細密描寫的熟練技巧上,卻是幾乎達到了最高境界,並以此威逼觀者,強令其驚嘆。軍雞(鬥雞)的誇張描寫令人有些反感,但前景的鳳仙花和松葉牡丹的纖細且充滿靈氣的精心描寫、蓖麻的無懈可擊的描寫等等,都使得畫面更加引人注目。畫家的美感由該畫家以精湛的手法使之在畫面上真實顯現,這正是此畫作的優秀之處。

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郭雪湖君的兩幅畫作均具有特色,其對比亦相當有趣。此畫家令人感覺還在暗自模索自己真正應該前進的方向,為「此」,其前途呈現出廣大一片的希望的曠野。呂鐵州君的技巧,以鑑賞家的立場來看,大概今年左右達到了頂點,以此為分界點,今後應該或多或少必須思考從寫實轉往向寫意的可行性。而年輕的郭君,去年在見識過内地(日本)的美術界之後,早就往純南畫的方面,轉換了創作的方向。其純南畫的作品,例如《朝霧》,雖屬試作性質,但完成度相當不錯。線描的純樸(naive)之處,頗有新鮮感,唯右端的蓮池的描寫,以薄墨表現的遠近法,應該要有更鮮明的呈現才好。另一幅的極彩色(濃彩)的《薫苑》,就此類風格的畫作來說,這幅畫是至今表現最佳的一幅。從細密的寫生風格出發的這個青年畫家,顯示出從寫實主義到寫意主義的漸進式轉換,而且只有在臺展才看得到以這種「嶄新的未來南畫」呈現的新嘗試,可說是臺展及本島(臺灣)畫壇的幸福。今後也應以如此氣概,不屈不撓、勇往直前才好。

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至於其他的新進畫家,雖然也想繼續書寫批評之句,怎奈時間不夠,遺憾至極。東洋畫的出品者雖然人數不多,但都兼具熱誠與努力,其認真的創作態度,誠然可貴。只要秉持如此的努力與精進企圖,必能生產出優秀的藝術品,這點是筆者所深信不疑的。(完)


臺展の印象(六) ──花形諸家の作品──

鷗亭生

郷原審査員の『玉峰秀色』は三曲屏風で中央に新高主山を配し左右に高山植物の花卉を配した装飾風の作品、出来は此の画家の何時もの特色たる地味と克明さとで画きあげてゐる、場中での変り種子と言へやう、木下審査員の『秋立つ日』は珍らしい粘り方を見せた作で在来の様なうわついた作と違ひガツチリと確信を見せてゐる。審査員の作までグングン向上を見てゆく所に臺展の嬉し味も一層に深い。陳氏進嬢の『芝蘭の香』は克明に丹念に支那古風の花嫁姿を画いたものだが、人物の手先など彫刻若くは人形化して単なる形態の美に堕してゐる。然し技巧の方が一年毎に優れてゆく点に進境を認め頼母しく思はれる。

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臺展の東洋画部における呂鉄洲君の存在は、郭雪湖君と共に花形画家として断然場中に光り其の画風も既に一派をなし、呂鉄洲張りの作品も可なり多く見られる迄になつた。同君の今年の作は取材に於て寧ろ失敗してゐながら練熟した細密描写の技巧が殆ど最高潮に達し其の方で観者を威圧し其の驚嘆を強てゐる。軍鶏の行々しさには聊か反感を伴ふが、あの前景の鳳仙花や松葉牡丹のすんなりした魂の籠つた迄の丹念さ、箟麻のソツのなさなどすつかり画面を引き立たせてゐる。画家の美的観賞が其の画家の鮮かなる手法に依つて現実に画面に踊り出てゐる所に此の作の優秀さを見る。

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郭雪湖君の二作は共に特色あり其の対比も面白いが、此の画家は尚自分の本当に進みゆくべき途を暗自模索してゐるかの感があり、ソレだけ前途に希望の曠野が広くひろがつてゐるわけだ。呂鉄洲君の技巧は鑑賞家の立場から言ふと大抵今年頃か頂点で之を分堺として写実から多少とも写意の方面へ転向せねばならぬ様に思ふが、年若い郭君は昨年内地の美術界を視て早くも純南画方面に方向転換を見せて来た。その作例としての『朝霧』は試作としては相当に画き□□してゐる。線描にもナイヴな所に新し味を覚える。唯右端の蓮池の描写には薄墨による遠近法がもつと鮮明に出てゐべきだらう他の極彩色の『薫苑』は斯うした種類の作としては今迄一番の出来である。克明な写生から出発した此の青年画家が写実主義から写意主義への漸転を示し而も臺展のみに見られる斯うした『新しい将来の南画』に新しい試を見せて来たことは臺展及び本島画壇の幸福と言つて不可はない。この意気で□まず進むべきである。

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 其の他の新進の画家についても批評の筆を進めたいが其の時間を持たぬのは遺憾である。東洋画の出品者は小数ではあるが何れも熱心に努力し其の真剣味には誠に貴いものがある。此の努力と精進とから必ず優秀なる芸術品が生み出されるであらうことは筆者の信じて疑はぬところである(完)

—原載《臺灣日日新報》,1932-11-03(日刊6版)

(辨識、翻譯/李淑珠)

註釋

譯注1. 「鷗亭生」與「鷗汀生」為《臺灣日日新報》主筆大澤貞吉(1923年入社擔任副主筆,1931年昇任主筆)之常用筆名,「鷗汀」為其號。

譯注2. 原文「呂鉄洲」的「洲」為誤植。下文亦同。