臺展終於從(十月)二十五日至十一月三日止的十天,毎天上午九點至下午四點一般公開。與去年不同,今年分為第一會場(教育會館――西洋畫)與第二會場(第一師範學校(譯注1)――東洋畫),兩會場相距不遠,對觀覽者來說十分方便。此外,第一師範學校的會場是從臺北測候所(今交通部中央氣象署)旁邊出入,印有「臺展」的大型旗幟可提供辨識別。入場費為二十圓。臺展當局將視開幕後的狀況增開夜間入場,為那些晚上才有時間前來賞畫的人們服務(service)。
臺展招待日 廿四日五百餘名參觀
臺展的招待日於(十月)二十四日上午九點至下午五點舉辦,平塚(廣義)總務長官因已於前一日來視察過,所以並未出席,出席者有友部(泉藏)警務局長和殖田(俊吉)殖産局長以及清水(喜重)軍參謀長、中瀬(拙夫)臺北州知事、西澤(義徵)臺北市長,而夫人陣營方面有平塚長官夫人、友部夫人、中瀬夫人、堀内夫人等其他嘉賓五百名左右,趁細雨停歇時,或開車或搭車或徒歩(譯注2),蜂擁而至,與公開日不同,可以看到許多的美術專家,每個都一面悠哉地欣賞畫作,一面針對畫作發表擅長的評論(照片為招待日的會場快照(Sketch) 上為東洋畫、下為西洋畫的會場)
臺展.廿五日公開 第一、第二會場に分れて 模樣に依つては夜間開場
臺展はいよいよ二十五日から十一月三日迄の十日間毎日九時から四時まで一般に公開することになつたが、昨年と違ひ本年は第一会場(教育会館――洋画)第二会場(第一師範――東洋画)とが割合ひに近いので観覧者に取つても随分便宜であらう、尚第一師範の方は測候所の横から出入することになつてをり「臺展」といふ大きな旗が目印に立つてゐる、入場料は二十円である、臺展当局は開場の上模様によつては夜間開場して大いに夜でないと観られぬ人達の為めにサーヴイスするといふ
臺展招待日 廿四日五百餘名參觀
臺展の招待日は二十四日午前九時から午後五時までの間行はれた、平塚長官は前日下見をしたので見えず友部警務、殖田殖産の両局長清水軍参謀長、中瀬臺北州知事、西澤市尹夫人連では平塚長官、友部、中瀬、堀内各夫人その他五百名許り、小雨の晴れ間を自動車搭車テクシーと思ひ思ひに詰めかけたが公開日と違つて何れも悠くりと得意の批評交りに観賞して行く美術通が尠くなかつた(写真は招待日のスケツチ 上は東洋画下は西洋画の各会場)
─原載《臺灣日日新報》,1932-10-25 (日刊7版)
(辨識、翻譯/李淑珠)
註釋
譯注1. 原臺灣總督府國語學校(1896年設立)於1899年改名為臺北師範學校,1927年分割為臺北第一師範學校(今臺北市立大學)及臺北第二師範學校(今國立臺北教育大學)。
譯注2. 原文的「テクシー」乃是結合タクシー(計程車,taxi)與徒步的擬聲語「てくてく」(tekuteku)之語,現為死語。