N生記

   (五)

西洋畫第三室陳列的都是水彩畫。這樣比喻可能有點奇怪,但如果油畫是一道肉類料理,那麼水彩畫的味道就好像是一道美味蔬菜的料理,連畫框也是要纖細別緻的,才比較適合

◇…水彩 作品。在此第三室陳列的水彩畫,除了二、三幅之外,幾乎都是由黄色道路搭配臺灣瓦的民宅、相思樹以及點景人物等題材所構成的郊外風景或田園風景,選擇其他題材作為畫題的作品少之又少,亦即,臺展水彩畫的畫題受到了非常大的限制,這點難以令人滿意。此外,臺展的水彩畫大多有肉食的氣味,例如藍蔭鼎氏的《港》,描寫從淡水河畔的本島(臺灣)民屋上眺望行駛在淡水河上的小船或戎克(Junk)船,隨波蕩漾的情景等等,

◇…構圖 十分有趣,但仍然散發肉類料理的強烈氣味。最能表現水彩優點的是本橋正虎氏描繪雙連附近的《黄昏風景》,感覺畫得很輕鬆,運筆上看不到任何的猶豫停滯,筆觸非常流暢。鐵路將畫面一分為二,有一名男子正走在鐵路上,狀似回家途中,如此巧妙的構圖使畫面具有統一感,可惜前景過於單調。第四室陳列的又是油畫,有楊佐三郎(楊三郎)氏出品的《玫瑰》、陳澄波氏出品的《蘇州虎丘山》、服部正夷氏出品的《花》。楊佐三郎氏在第二室也另有出品《厦門港》的風景之作,但其風景的描寫卻流於無可救藥的裝飾化。楊氏的

◇…裝飾 趣味,恐怕只適合描繪玫瑰這種題材。陳氏的《蘇州虎丘山》是一幅非常有趣的試作。樹葉落盡的古寺之林、刮著乾風的灰色天空中幾隻急於歸巢的烏鴉身影,都不禁令人想起支那(中國)的蘇州。陳澄波氏在這幅畫中表現出支那的墨繪(水墨畫)的氛圍,當其他的畫作全部都在追逐西洋風格之際,陳氏的這種嘗試與努力,值得注目。第五室還有今年入選

◇…帝展 的張秋海氏,出品的是小品的《虎丘千人石庭》。至此,已沒有其他引人矚目的畫作。綜觀臺展西洋畫,尤其明顯的是缺少新進的力作,因而導致會場似乎整個沉浸在過去的追憶裡。我們期待將來會出現清楚具有黑點(譯注1)的畫作,如果不行,至少要有像爵士樂(jazz)一樣可以代表我們生活之畫作,而現在的臺展作品絕對不是屬於我們近代生活者的繪畫。


臺展を觀る

N生記

   (五)

西洋画第三室は水彩画にあてられてゐる、一寸妙な比喩ではあるけれども油絵を肉料理とするならば水彩はよい野菜の料理の様な味がある、額縁すらが細そりときやしやなのが

◇…水彩 には適する、此の第三室に陳列された水彩は二三を除いて殆どが黄色い路と臺灣瓦の家と相思樹と点景人物とからなつてゐる郊外風景、田園風景である、その外のものを画題に選んでゐる絵は極少ない、我々はこゝで臺展水彩の画題が余りにも制限されてゐるのを物足らなく思ふ、それに臺展の水彩画には多分に肉食のにほひがする、淡水河畔本島家屋の上にのぞく波に浮かぶ淡水通ひの小舟、ジヤンク船等を描いた藍蔭鼎の港などなかなか面白い

◇…構図 であるが矢張強い肉料理のにほひがある、最も水彩のよさを出してゐるのは本橋正虎氏の双連附近を描いた『黄昏風景』である、何の苦しみも感ぜず筆の渋滞をも見せずにすらすらと筆をはこんでゐる、鉄路で画面を折半してそこに家路に帰る男を立たせて画面を統一してゐる所など気がきいてゐるが然し前景は何となく淋しい、第四室は再び油絵である、楊佐三郎氏が『バラ』陳澄波氏が『蘇州の虎丘山』服部正夷氏が『花』を出してゐる、楊佐三郎氏は第二室にも『厦門港』風景を出してゐるが風景としては救ひ難く装飾化されてゐる、氏の

◇…装飾 趣味はバラを描くのみ適してゐるのであらう、陳氏の『蘇州の虎丘山』は非常に興味ある試作である、葉の落ち尽くした古寺の林、カラ風が吹いてゐる様な灰色の空に塒を急ぐ鴉迄が何となく支那の蘇州を思はせる、陳澄波氏は此の絵に支那の墨絵の心持を表はしてゐる、他の絵が悉く西洋風の油絵を描いてゐる時、陳氏の此の試みと努力は注目に価するであらう、その他第五室には今年

◇…帝展 に入選した張秋海氏が小品『虎丘千人石庭』を出してゐる、外目ぼしい作はない、臺展西洋画を観て特に目に附く事は新進の力作が無い事だ、そしてその事から必然に会場は総て過去の追憶にふけつてゐると云ふ事だ我々は未来に対してはつきりした黒点をもつ絵を希望する、それが出来なければ、せめてジヤズでもいゝ我々の生活を代表して呉る絵を欲する、現在の臺展は決して我我近代生活者の絵ではない

原載《臺灣日日新報》,1930-10-31 (日刊6版)

辨識、翻譯/李淑珠

註釋

譯注(1) 「黑點」是「太陽的黑點」,比喻式用法只有「玉に瑕」(美中不足),另有將黑點形象化的「金烏」神話,但這些都無法用來理解此處作者的語意,故暫且保留原詞。