臺灣美術展覽會即將於本月二十八日開展,本島(臺灣)内的

作家 因為再過幾天就是作品的搬入日,所以現在正揮灑畫筆認真趕工中,不料,最近因有問題發生,引起畫家們之間對主辦當局(文教局)的批評聲浪高漲。所謂的問題,是當局決定通過針對島內的中等學校的圖畫教師的出品採無鑑查(免審查)的提案,出品以一人兩件為限。雖然此決定是個別通知出品方,但消息走漏,引發了對當局的批評。審查員之一人曾聲明

 將採嚴選,此事引發爭議時,文教當局在九月六日的本報上,曾對此聲明表示困惑及予以辯解,其中,重申臺展開辦的旨趣,如下:

將本島在住作家的畫作聚集一堂,除了製造作家相互鑑賞的機會,也同時公開展出,以期涵養一般民眾的藝術趣味,並促進本島美術界之進步與發達。比起作家之間的相互鑑賞,啟發一般民眾的藝術趣味的這個目的,更為重大,因此,歡迎大家都能出品,越多越好。

此外,也表示

會場 若太狹窄,會想辦法解決,可見當局希望收集多一些作家的作品。然而,此次的中等學校圖畫教師出品畫的無鑑查,究竟是基於什麼樣的理由,卻令人難以理解。對此,作家們之間有人冷嘲熱諷地說:

可能因為若生徒(學生)入選,而教師落選的話,該教師會很丟臉或會被革職吧!

總之,找不出當局必須只針對中等學校的教師採用無鑑查的理由。因為出品畫太少,

或者 因為是教授繪畫的教師,若以這些為理由的話,當局的想法就未免過於幼稚。一般認為,若一定非要採用無鑑查,那就應該將此展定義為全島中等學校圖畫教員繪畫展覽會,或是連一般人的出品也以無鑑查來舉辦這次的展覽會。若這次的無鑑查問題,是當初就已預定好的措施,那麼,希望從

本島 各地收集到許多作品等等的當局的煞有其事的主旨,就連三文錢的價值也無,此外,若採用無鑑查是循私的結果,那便是藝術上最應唾棄之事,而且這本該由不懂藝術,狹義來說,不懂美術為何物之人提出來的才對。對此,本報於三日造訪若槻(道隆)視學官,若槻氏表示:

中等學校教員的無鑑查問題是事實,但我不知道到底是基於什麼理由。或許是因為出品畫太少,或許是因為生徒入選而教師落選會太丟臉,我也不清楚,請你們去問野口(敏治)氏。

於是我們改去拜訪野口 學務課長,但野口氏以評議會太忙為由,拒絕面談。針對此問題,當局應該不久就會出面說明。


中等敎員の 出品は無鑑查 他の作家を侮蔑するとて 非難の声高まる 臺展を前に又一悶着

臺灣美術展覧会は愈々来る二十八日から開催されるので本島内の

作家 は数日に迫つた搬入期を眼前にして今真剣に絵筆を運ばせてゐるが最近に至り端無くも問題が惹起し画作家の間に当局に対する非難の声が高くなつて来た問題といふのは島内の中等学校の図画教師にして出品するものに対しては無鑑査にて之を収容することに決定し一人二点を限度とする出品方を夫々通知したのが世上に漏れて当局に対する非難を生ずるに至つたのである一審査員が

審査 は厳選といつた事から問題を起した際九月六日の本紙上で文教当局は此の声明に当惑し弁明をなしたがその中で臺展開催の趣旨を

本島在住の作家の作品を一堂に集め作家相互に鑑賞の機会を作り併せて之を公開して一般民衆の芸術趣味の涵養を図るのが目的で作家相互の鑑賞よりは一般民衆の芸術趣味開発の方が重大な目的であるから成るべく多くの人の出品を歓迎するのである

と述べた又

会場 が狭ければ如何にでもすると言明してゐる所から見ても多くの作家の作品を集めたいことを示したものと思はれる然るに今回の中等学校図画教師出品画の無鑑査といふことは如何なる理由に依つたものか了解に苦しむのである作家間には之に対して

生徒が入選して教師が落選すればその教師は都合が悪いから或は職を失ふからだ

と冷笑するもある何れにしても当局が中等学校の教師のみに対して無鑑査にすべき理由を見出し得ない若し出品画が少いから

或は 絵の先生だからといふ理由からであるなら余りに幼稚な考へである若し夫れを強ひて無鑑査にしたいなら全島中等学校図画教員絵画展覧会とするか或は一般に対しても無鑑査で今回の展覧会を開催すべきであると言つてゐる若し此の無鑑査問題が初めからの予定行動であるとすれば

本島 の津々浦々から多くの作品を集める云々と其他の当局のまことしやかな主旨も三文の価値もない又無鑑査にしなければならない情実があるのであれば夫れは芸術上最も唾棄すべきことであり芸術のそして極限して美術の何たるかを解しない人の言ふべきことであらう之に関し三日文教局に若槻視学官を訪へば

中等学校教員の無鑑査問題は事実ですが果して如何なる理由に依つたのか私は知らない出品画の少ないといふ所からか或はやはり生徒が入選して教師が落選しては具合が悪いといふのですかねよく知りませんが野口氏に聞いてくれ給へ

と語つたので

野口 学務課長を訪へば評議会で忙しいからといふ事がら面談することが出来なかつた之に就いては何れ当局の弁明があらうと思ふ

—原載《臺灣日日新報》,1927-10-04(日刊5版)

辨識、翻譯/李淑珠