本島(臺灣)秋天的美術舞台,即將藉由今天十日開始的臺展搬入的受理,掀開華麗的序幕。島內許多執畫筆之人們,關在畫室(atelier)數十天,令畫框(譯註1)運往樺山小學校的會場,將腸(譯註2)管之血液化為彩管(顏料)奔放沸騰,如此努力不懈並熬過暑熱的力作,也已迎來最後的完成階段。本島的美術之秋也將始於今年第一回舉辦的臺展,作品的搬入受理是從十日至十四日的每日上午八點至下午四點,究竟會有多少傑作,雖然要等開幕後才能揭曉,但相信應該還是會有不少力作的。另外,七日下午在文教局舉辦臺展委員的幹事會,當晚七時半開始在文教局表官舍(譯註3)舉辦審查協商會,會議內容大概整理如左:

開幕式 二十七日上午九點開始在樺山小學校舉辦,總督、臺展幹部、出品作家以及官民中的核心人物等人出席。

招待會 二十七日下午

一般公開 自二十八日起。博物館(譯注4)的參考品部份,也是二十七日開幕。此參考品是從內地(日本)收集來的名家之作十七件,將由文部省官員一人及總督府出張所一人陪同,乘坐十一日自神戸出航的信濃丸搬運來臺。

無料日(day) 會期中僅舉辦兩天。


けふから始まる 臺展の搬入 二十七日開会式

本島秋の美術の舞台は愈々けふ十日の臺展搬入受付開始に依つて華麗しく幕は開く島内数多き絵筆の人々が数十日の間アトリヱに閉籠つて枠を樺山の会場に通はせ腸管の血を彩管に高鳴らして暑熱を越えての力作に努めてゐたのも既に最後の一歩手前をも踏み出してしまつた、そして本島の美術の秋も今年を第一回として初まることになつた搬入受付は十日から十四日まで毎日午前八時から午後四時の間である幾許の傑作があるかそれは蓋を開けて見ないと解らないが恐らく数多くの力作があることと信じてゐる尚七日午後文教局で臺展委員の幹事会を同夜七時半から文教局表官舎で審査打合会を開催したが大体左の如きがまとなつた

▲開会式 二十七日午前九時から樺山小学校に於て開催し総督臺展役員出品者官民の主なる者出席

▲招待会 二十七日午後

▲一般公開 二十八日からで博物館の参考品部も二十七日から開会する此の参考品は内地から名家の作品十七点を集めたので来る十一日神戸出帆の信濃丸にて文部省から一人督府出張所から一人付添にて来臺の筈である

▲無料デー 会期中二日間だけ開催

—原載《臺灣日日新報》,1927-10-10(日刊3版)

(辨識、翻譯/李淑珠)

註釋

譯註1. 原文辨識不清,但就文脈及常理推斷,應是「枠」(畫框)。

譯註2. 原文辨識不清,但就文脈及常理推斷,應是「腸」。

譯註3. 文教局似無官舍,此處指的應是總督官邸(今臺北賓館)。