臺展即將到來,正在準備出品的人也有不少,一馬當先(top)的是住在築地町的市來栞(譯注1)女士,以八畳(八塊榻榻米)大的房間為畫室(atelier),揮舞其

純真美 麗的畫筆。市來女士與臺灣的閨秀畫家陳進女士同樣畢業於東京的女子美術專門學校(譯注2),於去年五月來臺,似乎非常喜歡南國臺灣的熱帶植物,但據說還有比這些植物更令她著迷的事物,那便是本島(臺灣)婦人的風俗習慣。若住在内地(日本)就根本不可能接觸到的這種特殊的風俗習慣,市來女士甚感興趣,一直在物色適合作畫的

模特兒 (model),此次幸虧得到鄉原(古統)氏的協助,才得以讓臺北女子高等學院(1931設立-1944閉校)的學生陳雪君同學願意擔任模特兒,箇中原委,市來女士如此描述:

本島婦人的風俗有著一種難以言喻的美,我在内地時就一直很想畫看看,卻始終苦無機會,此次機會降臨,實在太令人高興了。本島婦人之間存在著一種

迷信, 對於被拍照或擔任模特兒有著非常恐懼或厭惡的傾向,不知是否有辦法可以去除這樣的迷信?這次我已有創作構思,卻沒有人願意擔任模特兒,鄉原老師知道後便說他幫忙問看看,但我其實沒有抱太大的希望,所以去了兩、三趟的植物園,觀賞了南國的美麗強韌的植物,可惜植物雖美,也比不上風俗之美。好在陳雪君同學打破了舊習,肯來擔任我的模特兒,我一定會努力創作,完成一件出色的作品出品。(照片是市來栞女士與模特兒的陳雪君同學)


本島人の娘さんを モデルにして制作 臺展出品準備の市来シオリ女史

臺展もそろそろ近づいて来たが出品の用意をして居る人々も少なくはあるまい、このトツプを切つて築地町に市来シオリ女史が八畳の部屋をアトリヱとし

清い美 しい筆を振つて居る、女史は臺灣の閨秀画家陳氏進女史と同じく東京女子美術専門学校の出身で昨年五月に渡臺したが臺灣の南国的な植物が気に入つたらしい、然しそれにも増してうれしく感じたのは本島婦人の風俗習慣であると云つて居る、内地に居ては到底得られないであらうと思はれるこの変つた風習に大きな深い興味を持ち誰か適当な

モデル は無いかと物色中であつたが、今度郷原氏の世話で女子高等学院の生徒である陳氏雪君嬢がモデル臺に立つ事となつた、これについて市来女史は語る

本島婦人の風俗には何とも云はれない美しい所があります、私は内地に居ります時から一度は画いて見たいと思つて居たのでしたがどうもその機会がなくて画く事が出来ませんでした、でも今度来て下さる様になりましてよろこんで居ります、一体に本島婦人の間には一種の

迷信で 写真を撮つたりモデルになつたりする事を恐れたり嫌つたりする傾向がありますがどうにかしてそれを取り除けないものでせうか、今度私が描かこうと思ひましたがモデルになる方が無いと云ふ事を聞きましたので、郷原先生が世話して下さるとは云はれましたがとても駄目だらうと思つて居ました、植物園にも二三度行き南の美しい強い植物を見て参りました、然し植物は美しいのですが風俗にはとても比べものにはなりません陳氏雪君さんが習慣を破つて来て下さつたのですから一生懸命に画いて立派なものに仕上げたいと思ひます(写真は市来シオリ女史とモデルになつた陳氏雪君嬢)

原載《臺灣日日新報》,1931-08-04 (日刊4版)

辨識、翻譯/李淑珠

註釋

譯注(1) 市來的名字「栞」,讀音為「Shiwori」,常以「シヲリ」或「シオリ」、「しをり」、「しおり」來標示,而非漢字。

譯注(2) 位於日本東京,於1900年創立,校名為「私立女子美術學校」,1919年改稱為「女子美術學校」,1929年再改稱為「女子美術專門學校」,1949年改制為「女子美術大學」至今。