松林審員之談

針對東洋畫,松林(桂月)審查員有以下的談話:

日本畫(東洋畫)的出品件數僅一百零八件,非常少,這情況最近在帝展(帝國美術展覽會)也是一樣。因為臺灣是東洋,所以料想東洋畫的出品應該會比較多,但不知為何原因,結果並非如此。我個人起初以為花鳥或山水畫會比較多,不料卻是人物畫居多,而且其中有些還不錯。我在審查時,盡量從作品中發掘其具有往好方向發展的素質,而以遊戲心態製作的有失正經之作,則不予入選。此外,不以本島(臺灣)人或內地(日本)人為區別,只要是具有熱情的藝術品都予以入選,不過可惜有些作品題材雖然很有意思卻破綻百出。本島其實有許多優秀的題材,期望今後表現臺灣獨特的色彩與光熱的藝術能得以完成。就如同東都(東京)有東都的、京都有京都的、大阪有大阪的各自的鄉土藝術一樣,希望本島也能完成屬於自己的鄉土藝術。

新面孔及奇特(背景)者

調查臺展入選的新面孔與異種,結果如下:

東洋畫 件數不及去年的一半,因為是嚴選,所以不具任何特色的作品,一下子就被刷掉了。除了去年特選的基隆的村上英夫君的兩件無鑑查,令松林審查員心悅誠服的本島(臺灣)人郭雪湖君的〈圓山附近〉似乎頗受好評。郭君去年也有出品,卻被謠傳是他人的代筆之作,所以據說今年特別奮發圖強,出品了此幅逸作。此外,徐清蓮君是公學校的畢業生,因為喜歡繪畫而自學,〈春宵之圖〉之外,另一幅作品也獲得入選,前途備受矚目。去年落選的本報社記者國島水馬君,今年也以〈范謝將軍〉入選,開幕時應該會很受歡迎。蘇花子小姐、蔡品小姐等入選者,則是第三高女的畢業生,此外,東京的美術學校(女子美術學校)在學中的新竹陳進女士,今年也有兩件作品入選。如此,本島人的男、女畫家陸續在東洋畫的領域嶄露頭角,值得留意。

西洋畫 臺北醫院出了不少畫家,今年除了倉岡(彥助)院長之外,新面孔的本名(文任)醫長也以〈淡水風景〉入選。奇特(背景)者,除了臺灣倉庫的臺南支店支配人(經理)高橋清君以〈臺南的後街〉入選之外,臺北方面,承辦江間式講習的喜井操君也以〈水鄉〉入選。第二師範學校(現臺北教育大學)有學生王新嬰、李石樵二君入選,鹽月(桃甫)審查員之子、就讀高校(臺北高校)的鹽月赳君也獲入選。其他還有長崎(清子)、濱武(蓉子)、基隆的木村義子等女流之輩,以及嘉義的陳澄波、宜蘭的藍蔭鼎君等人也榮獲入選,熱鬧非凡。


臺灣特有の カラーが欲しい 遊戯的なものは採らなかつた

松林審査員の談

東洋画に就て松林審査員は語る

日本画は出品数百八点で非常に少いが之は帝展でも近頃さうである東洋だから東洋画が多さうなものだがどう云ふ原因かさうは行かぬらしい、私は始め花鳥山水が多いであらうと思つてゐたのであるが却つて人物画が多かつた、そしてそれによいものがあつた、私はなるべくよい方に向ひ伸びんとする素質のある者と云ふやうな気持で見ました遊戯的な遊び半分と云つたやうなのはとりたくないと思つたのである、それから本島人とか内地人とかの差別はつけずに熱のある芸術品をとつた何だか題材もよいし面白いと思ふのでも破綻の多いのがあつた、どうか本島は題材の優秀なものが多いのであるから今後も臺灣独特の色と熱からきた芸術が完成さるればよいと思つてゐる、東都には東都、京都は京都、大阪は大阪と夫々郷土芸術がある如く本島にも郷土芸術なるものゝ完成が望ましい

新顔と変り種

臺展入選の新顔と変り種子を調べて見る

東洋画 は昨年の半分にも数が上らぬが厳選だけに何等かの特色のないものは遠慮なく振り落されて了つた、昨年の特選基隆の村上英夫君の無鑑査の二作を除いて松林審査員を感服させた本島人郭雪湖君の『円山附近』は評判になる作らしい、同人は昨年も出品したが他人が画いた絵だ抷と噂さゝれ今年は非常に発奮して此の逸作を出品したのださうだ、又た徐清麗君は公学校の卒業生だが絵が好きで独学で『春宵の図』外一点を入選させ前途を嘱目させてゐる、昨年落ちた本社の国島水馬君も今年は『范謝将軍』を入選させた開場の上は相当人気を呼ぶ事だらう、蘇氏花子さん蔡氏品さん抷の入選者は第三高女の卒業生とのこと、東京の美術学校に入学中の新竹陳氏進女は今年も二作を入選させてゐるが斯く本島人側の男女画家が次第に東洋画の方で頭を出して来た事は注意に値ひしやう

西洋画 臺北医院からは画家を多く出すが今年は倉岡院長の外に新顔の本名医長も『淡水風景』を入選させた、変り種子としては臺灣倉庫の臺南支店支配人高橋清君が『臺南の裏町』を入れてゐる外、臺北で江間式講習をやつてゐる喜井操君も『水郷』を入れてゐる、第二師範からは王新嬰、李石樵の二君が入り塩月審査員の息で高校生徒たる塩月赳君も入選した、其の他では長崎、浜武、基隆の木村義子の女流所から嘉義の陳澄波、宜蘭の藍蔭鼎君等も入り、なかなか賑はひを呈してゐる

—原載《臺灣日日新報》,1928-10-17(日刊7版)

(辨識、翻譯/李淑珠)