蓬萊之島,美術之秋來訪。二十七日上午九點,在全島山野間的各種花草的陪襯之下,第一回臺灣美術展覽會在會場的樺山小學校,舉行了
盛大的開幕式
。這個充滿榮耀之光的會場,一大早八點,就完成了全部清掃,以便與美術之園相稱,而盛裝打扮的與會者陸續蜂擁而至,似乎是在祝福這個為了築起南國美術殿堂而隆重誕生的展覽會。九點一到,獲得入選榮譽的作家以及官民之有權勢者百餘名入席後不久,上山滿之進總督在石黑英彥文教局長的引導下蒞臨會場,受到了
後藤會長以下
的各相關職員的出迎。野口敏治學務課長宣布典禮開始後,首先由石黑文教局長做審查報告,內容大致如左:
審查報告
本會的出品受理件數是東洋畫九十二人百七十五件、西洋畫二百二十一人四百七十三件,共計三百十三人六百四十八件。除了
無鑑查 的十九件之外,審查的結果是東洋畫二十五人三十三件、西洋畫六十五人六十七件,共計有九十人一百件獲得了入選。這大約佔出品總數的近六分之一,與文部省美術展覽會當初的入選比率相差不大,但比現在的帝國美術展覽會的入選率十分之一稍多。作為
第一回 的成績,結果堪稱良好。審查的狀況方面,本會出品規則當然以新興臺灣美術展覽會的意義為考量,審查方針則主要根據「作品本位」(以作品為本),篩選純真、有個性、充滿朝氣且具有作為藝術品之價值者,並盡可能多予以採用(入選),至於因會場容量而預設
入選數 等等問題,均不在審查的考慮範圍內。如此,審查以第一輪、第二輪、第三輪的最嚴格的分次方式進行,各審查員的意見通常能達成一致,過程順利並圓滿結束。本人作為審查委員長,感到非常滿意。入選畫都表現出畫家自己的風格,畫面充滿生動活潑的氛圍,而且許多都具有臺灣特有的
色彩, 這點,一方面暗示了臺灣美術界的向上發展,一方面也發揮了其作品特色,在此不禁為臺灣美術界感到欣喜。總之,第一回臺灣美術展覽會交出了預期以上的好成績,相信公開展出之日,必將成為本島美術發達之基調、今後方向之指標。
其次是後藤文夫會長的致詞,內容大致如左:
當臺灣教育會發表美術展覽會的計畫時,值得慶幸的是,此計畫不僅引起了各方的注意,眾人也都對其實現抱持極大的興趣。之後,幸虧各位的熱心援助以及作家諸君非凡的奮鬥,今天才能順利在此舉行開幕式。如同剛才審查委員長的報告,因為出品件數超過預期,讓審查工作頗具挑戰性,至於針對審查結果的一些批評,作為當事者,在此就不多辯解。美術是人文的精華,其消長也能成為衡量文化深淺或國運隆□之準繩,因此,文明各國都爭相致力於美術的研究,政府方面也都盡可能予以保護或獎勵。我國(日本)自古以來崇尚美術,已然具有獨自的特色,尤其是明治以後,吸取他人(西方)長處,努力鑽研探究,才有了今日的昌盛。本島(臺灣)也早已有此機運,這個展覽會的誕生便是受到了此機運的推波助瀾。本島原本就擁有特異的大自然,以此為對象的臺灣,也會擁有自己的特色,這在此次的出品畫作的表現中,也可以清楚看到。希望將來能更朝這個傾向發展,築起燦爛輝煌的南國美術殿堂,為帝國美術界貢獻一己之力。
接著是上山總督起身朗讀祝詞如下:
總督祝詞
值此第一回臺灣美術展覽會的開幕式,敝人得以在此抒發幾句己見,欣幸之至。美術是文明的精華,其榮衰與否足以作為國運隆□之表徵,謹思皇恩遍及遐邇已三十餘載,各種設施漸有成績,繁榮且前進不息,沒有理由只有美術這個領域可以置之度外,因此,才有了美術展覽會的新設立,並以本島文化的興隆為其使命。其實本島擁有天候及地理上的一種特色,而美術是環境的反映,其本身也必須具備特色,此點已無需贅言,現在才剛看到美術的萌芽,若培育之、灌溉之,便可期待他日收穫傑出的花朵與果實,成為帝國(日本)的一大異彩。美術的目的原本就是開拓崇高的心境,使人生脫離枯淡無味,為此,培養活潑有朝氣的性格,更大有裨益。若只偏重物質,對美術漠不關心,便如同終日驅使馬兒卻不餵食,百里開車奔馳卻不加油。本展覽會雖屬草創,但仔細觀賞其出品畫,有些畫面洋溢蓬勃朝氣,令人十分滿意,而這些必將成為疾驅馬兒的水、奔馳汽車的油,為本島的生活帶來新的時代,這點毋庸置疑。不過,在此目的達成之前,仍有待作家諸君更多的鑽研以及社會一般大眾的熱心後援。希望大家彼此互相協同努力,使美術作為文明的精華,能夠綻放燦爛異彩,以此瞻仰昭代的造化。以上祝詞。
其次是來賓代表的臺灣日日新報社本社社長河村徹朗讀祝詞如左:
河村本社長的祝詞
臺灣教育會主辦的臺灣美術展覽會在今天舉辦第一回展的開幕式,這是臺灣為了純正美術而開設的公開公正的永久性設施,面對藝術品,眾人聚集一堂鑑賞之,並沉浸於其藝術之美,這便是本展覽會的開設初衷。就這點而言,今天的展覽會開幕式無疑為本島文化增添了更多的光彩,值得大書特書。臺灣不但欠缺歴史或文化上的大背景,也常忽略在趣味藝術方面的啓發,以致於過去的島民生活大都乾燥無味,尤其是,文學姑且不論,繪畫、彫刻、音樂等充滿現代精神的高級藝術,幾乎不見任何傑作的誕生,在文運隆盛的昭和時代,感覺只有臺灣落在後面。因此,今天在此見證的公設臺灣美術展覽會的開設,不僅可以滿足對造形美術的興趣,同時也可以善盡啓發與誘導之責,實令人欣快不已。其實,一旦進入美術的殿堂,便不應有內臺之別,在審美上應渾然一致,對本島的精神層面上也會帶來不少的助益。希望臺灣美術展覽會今後的發展能一年比一年更為健全,同時對本島藝術界及精神文化的貢獻也能越來越大。以上祝詞。
接著辜顯榮氏也陳述祝詞,最後由蒲田丈夫幹事朗讀內相(內務大臣)水野鍊太郎、帝國美術院院長福原鐐二郎、東京美術學校校長正本直彥等人之祝電(祝賀電報),典禮在盛會中閉幕,之後是安排與會者自由觀展。
雜觀
開幕式結束之後,來賓們一窩蜂地往樺山講堂三樓的展覽會場移動。在展覽會場中,
女看守 各自依工作崗位別,站在青竹製的柵欄旁邊,等待觀賞客的到來。首先,在東洋畫第一室,編號「I(譯註1)-1」的是加藤紫軒氏描寫太魯閣的〈群山層翠〉,有爭議性的村上英夫氏的〈七面鳥(火雞)〉也在此室,另外還有純東洋畫風的鷹取岳陽氏的〈雪嶺晴江圖〉等作品,陸續出現「想不到還挺不錯的!」等等佳評。第二室除了井上一松氏的〈孔雀〉之外,砥上如山氏的木瓜(〈南國清秋〉)評價不錯。第三室中,嘉義的大岡春濤(譯註2)氏的雙幅〈活的英靈〉,是一件力作,引人矚目。新竹的陳進小姐的
三幅中 ,以〈罌粟花〉最受歡迎,尤其在本島人(臺籍)來賓之間引起話題,而這個第四室是東洋畫的審查委員室,鄉原古統氏的三對幅〈南薫綽約〉是非常細緻又美麗的作品,木下靜涯氏也有〈日盛〉與〈風雨〉的兩幅風格迴異的作品陳列。此外,基隆的村上英夫氏的〈基隆燃放水燈圖〉描寫熱鬧的祭典,是一件精心繪製之作,頗受好評。一進入西洋畫室,整個氛圍完全不同,觀賞者不禁興奮起來。第一室有
審查員 石川欽一郎氏的〈河畔〉的五十號大的水彩(譯註3),及同尺寸的鹽月桃甫氏的生蕃女(〈山の娘(山地姑娘)〉)等作品外,還有今年入選帝展的嘉義的陳澄波氏的〈帝室博物館〉,傲視群雄。其他如素人畫家的倉岡彥助博士的〈壺〉或蒲田丈夫氏的〈聖多明哥(Santo Domingo)山丘〉等等作品,都頗受歡迎。不過,倉岡氏本人怕站在自己的畫作之前,會被認識的人過來拍他肩膀,所以逃避似地顧左右而言他。第二室有閨秀畫家的作品以及素木洋一少年的純真
大膽的 〈從山丘〉等作之外,其他還有山口謹爾博士的〈靜物〉或古川義光氏的〈nature morte(靜物)〉頗受矚目,來賓當中很快便有人提出訂購古川氏以及陳列在同室的吉村晉氏之作(〈淡水風景〉)的申請。第三室中,除了醫學博士於保乙彥氏的〈有金魚的靜物〉或引發爭議的小野郁子小姐的純真的〈姊妹〉、濱武蓉子小姐的〈靜物〉以及洋畫(油畫)中堪稱美人畫的久保田甲治氏的〈某夜〉之外,在此室,
水彩畫 作品相當多,但都非常奇特,連對畫沒興趣的人,都不禁感嘆「原來如此!是這樣畫的啊!」地離去。中等教員的無鑑查(免審查)出品,陳列在樓下的一間展覽室,第二會場的參考館則在七星郡役所(現為立法院青島第二會館)的樓上,這些是出品帝展及其他展覽會的作品,大多是文部省購買的畫作,全是大師級之作,令觀者無不感動。不過,岡田三郎助氏及牧野虎雄氏的兩件裸婦作品,因
那方面(警方) 的眼睛(監視)盯得很緊,所以無法公開展示,只有開幕這天特別開放給來賓欣賞。
臺展開幕式會場 上山總督的祝詞(右)及會場(左) |
蓬莱のしま根に 南国美術の殿堂を築く 初の臺灣美術展覧会 上山総督臨場の下に 華々しく開会式を挙ぐ
蓬莱の島根に美術の秋訪づれ、全島の山野千草、八千草に彩らるゝ二十七日第一回臺灣美術展覧会は午前九時会場樺山小学校で
盛な開会式
を挙げた栄えある会場は午前八時早くも美術の園にふさはしく掃き清められ南国美術の殿堂を築かんと雄々しく誕生したこの展覧会を祝福するやうに晴れやかな会衆は続々会場につめかける、定刻入選の名誉を得た作家を中心に官民の有力者百余名着席もなく上山総督は石黒文教局長の案内で
後藤会長以下
各関係職員の出迎をうけて臨場す野口学務課長開会を宣し劈頭石黒文教局長は大要左の如く審査報告をした
審査報告
会の出品受付点数は東洋画に於て九十二人百七十五点、西洋画に於て二百二十一人四百七十三点、計三百十三人六百四十八点に達し
無鑑査 十九点を除き審査の結果東洋画に於て二十五人三十三点西洋画に於て六十五人六十七点計九十人百点の入選決定を見た是を出品総数に対比すると約六分の一弱に当り文部省美術展覧会当初の入選比率と大差なく現今の帝国美術展覧会の入選率十分の一に比し稍多く
第一回 の成績としては概ね良好たる結果を得たるものと謂ひ得る審査の状況に就ては本会出品規則は勿論新興臺灣美術展覧会の意義に稽へ専ら作品本位とし純真にして個性に富み生気横溢せる苟くも芸術品として価値ありと認めたるものは努めて多くを採用することを方針とし会場の関係
入選数 の予定等は数て考慮しなかつた斯くして審査は第一回第二回第三回に分ち最も厳正に行はれ各審査員の意見は常に一致し円満なる進行を遂げましたことは審査委員長として満足に堪へない入選画は孰れも自己の嚮ふ所を示し生きしたる気分に充ち而も臺灣特有の
色彩に 富みたるものゝ多かつたことは一には臺灣美術界の向上発展を暗示し一には其の特色を発揮したるもので斯界の為欣快を禁する能はない要之第一回美術展覧会としては予期以上の好成績を示し公開の暁は必ずや本島美術発達の基調ともなり今後の向ふ所を指示するものがあらうと信ずる
次で後藤会長は大要左の如く式辞を述べた
臺灣教育会が美術展覧会の計画を発表した所幸ひに各方面の注意を喚起し多大の興味を以て其の実現が期待された、爾来各位の熱心な御援助と作家各位異常な御奮闘によつて本日茲に目出度く開会式を挙ぐるに至つたのである、審査委員長の報告にもあつた通り予期以上の出品があつたので審査の仕甲斐があつたことゝ思ふが其の成績に対する批評は当事者として差控へることゝする思ふに美術は人文の精華で其の消長は文化の深浅国運の隆□をも測る事が出来るそこで文明各国では競うて美術の研究に力を致し政府に於ても亦保護奨励を怠らぬ由来我国は古より美術を尊重し優に一特色をなして居り特に明治以後は彼の長所を採り研鑽攻究に力め今日の隆昌を見るに至つた、本島に於ても機運夙に起り本会は即ち之に促進されて生れ出たものである、由来本島は特異の自然を有し之を対象とした臺灣も亦た自ら特色を有するがこれは今回の出品に徴しても明かに看取される将来益々此の傾向を助長し燦然たる南国美術の殿堂を築き帝国美術界に貢献いたしたいと思ふ
次で上山総督は立つて次の通り祝辞を朗読した
総督祝辞
第一回臺灣美術展覧会の開会式に当り一言所懐を陳ぶるを得るは余の欣幸とする所なり夫れ美術は文明の精華にして其の栄瘁は以て国運の隆□を徴するに足るなり恭しく惟ゐに皇沢遐邇に覃敷すること茲に三十余年諸般の施設は漸を遂て績を奏し房々として進みて息まず独り美術の一途のみ之を度外に置くの理あらんや則ち爰に美術展覧会新たに成り本島文化の興隆に責する所あらんとす視すべきなり顧ふに本島は天候的に地理的に一種の特色を有す美術は環境の反映なり亦自ら特色あるべきは固より言ふを俟たず今や方に美術の萌芽を見る之培ひ之に灌がば他日花実倶に秀で帝国の一異彩たる事期して待べきなり由来美術の目的は崇高なる心境を開拓し人生を枯淡無味ならしめず因て以て溌剌の気象を養ひ更に大に益する所あらんとするなり若し夫れ専ら物質に偏し美術を度外視せんか是れ終日馬を駆て飼はず百里車を馳せて油を点ぜさるが如し本会は草創に属すと雖も其の出品画を熟覧するに生気満幅に躍動し大に人意を強する者あり必ずや其の疾駆の馬の水となり奔馳の車の油となりて本島の生活上に一時期を画すべきを疑はず然れども此の目的を達せんには作家諸君一層の研鑽と世上一般の熱心なる後援とに俟たざるべからず冀くは相倶に協同努力して文明の精華をして燦然たる異彩を放たしめ以て昭代の化に仰□せられんことを是を祝辞となす
次いで来賓として河村本社長は左の如く祝詞を朗読した
河村本社長の祝詞
臺灣教育会主催に或る臺灣美術展覧会は本日を以てその第一回開会式を挙げらる臺灣に於て純正美術の為に斯る公明永久的施設をなし芸術品を前にして大衆相集り之を鑑賞耽美するが如き企は実□本展覧会を以て最初とすこの意味に於て本日の展覧会開会式は同時に本島文化に一段の生彩を加ふるそのとして特筆すべきものなるや疑なし臺灣には歴史的若は文化的に大なる背景なるなく加ふるに趣味芸術方面の啓発閑却されをりし為め過去の島民生活は大体に於て無味乾燥なりし事を否む能はず殊に文学は兎もあれ絵画彫刻音楽等の現代精神を盛りたる高級芸術に至りては殆んど何等見るべきのなく文運滋き昭和の時代に独り臺灣のみ取残されし観なきにあらざりき然るに今日茲に公設臺灣美術展覧会の開設を見造形美術に対する趣味性の満足並に之が啓発誘道を可能ならしむるに至りしは余の呉々も欣快とする所なり、思ふに美術の殿堂に入りては内臺の別なく渾然として審美に一致すべく本島の精神的方面にも寄与する所尠からざるべく願くは臺灣美術展覧会は今後年と共に健全なる発達を遂げ本島芸術界の為将又精神文化の為益々貢献する所大ならんことを希望す一言以て祝辞とす
之に続いて辜顕栄氏も祝辞を述べ最後に蒲田幹事は水野内相福原美術院長正本美術学校長等の祝電を朗読し盛会裡に同す時閉式それより一同は会場を縦覧した
雑観
開会式が果てると来賓連は続々と樺山講堂三階の展覧会場へとなだれ込む、展覧会場には
女看守 が青竹の柵に隣つてそれぞれ部署につき観賞客の来るのを待つてゐる、先づ東洋画第一室でイの一番は加藤紫軒氏の太魯閣を描いた『群山層翠』問題になつた村上英夫氏の『七面鳥』も此の室にある、純東洋画風の鷹取岳陽氏の『雪嶺晴江図』などあり『案外やつてゐるね』などの評がぼつぼつ出る、二室では井上一松氏の『孔雀』の外に砥上如山氏の木瓜が評判よく三室では嘉義の大岡春徳氏の双幅『生ける英霊』といふ力作が人目を牽く、新竹の陳氏進嬢の
三作中 では『けし』に人気が集まり殊に本島人来賓など噂とりどり、この四室は東洋画の審査委員室で、郷原古統氏の三幅対『南薫綽約』は非常に入念な且つ美しい作、木下静涯氏も『日盛』と『風雨』の変つた二作を陳べてゐる基隆の村上英夫氏の『基隆燃放水燈図』は賑かな祭を画いたもので丹念な作として評判になつてゐる西洋画室に入ると気分ががらり変り観る方も浮き浮きして来る、第一室には
審査員 石川欽一郎氏の『河畔』の五十号大の水彩や同じく塩月桃甫氏の生蕃女などある外、今年も帝展へ入つた嘉義の陳澄波氏の『帝室博物館』が群を抜き外に素人画家として倉岡博士の『壺』や蒲田丈夫氏の『サンドミンゴの丘』など人気を呼ぶ、本人の倉岡氏も流石に自分の作の前に立つと知人から肩を叩かれるので逃げる様に顧みて他を言つてゐる、二室には閨秀画家の作品や素木洋一少年の純な
大胆な 『丘から』などあり、外に山口謹爾博士の『静物』や古川義光氏の『ナチユールモルト』など目につき来賓中では早くも古川氏や同室の吉村氏の作などに売約を申込んだ人もあつた、第三室には医博於保乙彦氏の『金魚のある静物』や問題になつた小野郁子嬢の純な『姉妹』浜武嬢の『静物』洋画中での美人画たる久保田甲治氏の『或る夜』などの外此の室には
水彩画 作品多く兎に角相当に皆変つてゐるので絵に興味を特たぬ人々まで『なる程こんなものか』と感心して出る中等教員の無鑑査出品は階下の一室に陳べられ第二会場たる参考館は七星郡役所楼上になつてゐるが、此の方は帝展その他の展覧会へ出品され文部省が買ひ上げたものが多く何れも大家の作だけに観る人々も感心する、尚ほ岡田三郎助氏と牧野虎雄氏との裸婦二点は
其の筋 の眼が光つてゐるので公開せぬ事になつてゐるが当日は来賓に丈けは特に観覧せしめた
臺展開会式場 上山総督の祝辞(右)と式場(左) |
—原載《臺灣日日新報》,1927-10-28(日刊2版)
(辨識、翻譯/李淑珠)
註釋
譯註1. 原文「イ」出自「イロハ」(Iroha),漢字寫作「伊呂波」或「以呂波」,是日語中,對於假名順序的一種傳統排列方式,源自伊呂波歌。伊呂波為排列法的前三個音,大致等同於英文裡的「ABC」,指最基本的意思,也是所有假名總稱的代名詞。
譯註2. 原文「大岡春德」的「德」為誤植。
譯註3. 此作是油畫,可能作者記錯或為誤植。