第五回臺展的搬入受理在時間即將截止之前,呈現出相當熱鬧的景象。東洋畫的受理在教育會館、西洋畫的在舊廳舎(今欽差行臺),兩個畫部都在(十月十八日)下午七點順利完成出品畫作的搬入受理。其結果是東洋畫的搬入受理比去年減少四件,計七十六件,西洋畫方面則與去年相同,受理了五百八十六件的搬入,但在作品水準上則比去年有明顯的進步。當天雖然不巧碰到下雨,但搬入狀況仍與前一天一樣熱鬧,讓承辦人員忙得不可開交。
東洋畫 出品的部分,首先是去年榮獲特選的林玉山氏,今年出品題為《朱欒》的五尺乘以七尺(約150×210cm)的力作,陳進女士也出品了題為《逝春》的八尺乘以四尺七寸(譯注1)(約240×141cm)的大作(大幅作品),郭雪湖氏則出品六尺乘以八尺(約180×240cm)的大作《新霽》,去年榮獲臺展賞的蔡媽達氏出品華麗的《詩女花落》,此外,臺北女子高等學院(1931設立-1944閉校)的學生也有十個人,與村澤節子女士、市來栞(譯注2)女士等女流(女性)畫家們一起辦理出品手續。
西洋畫 方面,楊佐三郎(楊三郎)氏帶來了五十號的《森》、《裝扮(costume)》及另一件,而已故的臺展洋畫(西洋畫)的中堅作家陳植棋氏之遺作,也由其摯友楊佐三郎氏一起搬運過來,令人不勝唏噓。其他例如去年榮獲臺展賞的李石樵氏搬入了《桌上的靜物》,同樣去年榮獲臺展賞的廖繼春氏搬入了美麗的大作《庭》及另一件,藍蔭鼎氏則搬入了沉穩的《風景》、《街道兩旁的樹木》及另一件。具有特殊背景的畫家,例如倉岡(彥助)臺北醫院院長今年展現了十足的幹勁,出品《淡水街》、《植物園》及另一件,或三巻俊夫氏(臺灣倉庫株式會社社長)的千金三巻和子小姐帶來了作品《雞冠花》。
東洋畫七十六點 西洋畫五百八十六點 質に於ては昨年より著しき進步 臺展の搬入終る
第五回臺展の搬入受付は締切時間間際に可成りの賑やかさを見せたが東洋画受付は教育会館に西洋画は旧庁舎に於て午後七時いづれも無事搬入受付を終つた、その結果東洋画の搬入受付は昨年より四点少なく七十六点、西洋画は昨年と同じく五百八十六点の搬入を受付けたが、質に於て昨年よりも著しき進步が見られる様であつた当日は折悪しく雨模様であつたが搬入は前日と同じき賑やかさを見せ係員を忙殺させてゐた
東洋画 出品は先づ去年特選に入つた林玉山氏が今年は又朱欒と題する五尺と七尺の力作を出品陳氏進女もゆく春と題する八尺に四尺七尺の大作を出し、郭雪湖氏も六尺と八尺の大作『新霽』を昨年臺展賞を得た蔡媽達氏が華かな『詩女花落』を出品してゐる外臺北女子高等学院生徒が村沢節子さん市来しをりさん等の女流に伍して十名も出品してゐるのが見られた
西洋画 に於ては楊佐三郎氏が五十号の『森』『コスチウム』他一点をもちこんだ他物故した臺展洋画の中堅作家陳植棋氏の遺作が親友楊佐三郎氏に運ばれ来つたのも何となくあはれを感じさせるその他昨年臺展賞を得た李石樵氏が『卓上の静物』を臺展賞を得た廖継春氏が美しい『庭』の大作他一点を藍蔭鼎氏が落着いた『風景』『並木』他一点を搬入したが変り種では倉岡臺北病院長が今年は馬力をかけて淡水街植物園他一点を、三巻俊夫氏の令嬢和子さんが『鶏頭』を持ちこんでゐるのが見られた
─原載《臺灣日日新報》,1931-10-19 (日刊7版)
(辨識、翻譯/李淑珠)
註釋
譯注(1) 原文「四尺七尺」的「七尺」應為誤植。
譯注(2) 市來的名字「栞」,讀音為「Shiwori」,常以「シヲリ」或「シオリ」、「しをり」、「しおり」來標示,而非漢字。