真摯坦率的 出品者態度

東洋畫審查委員 勝田蕉琴談

今年秋天的臺展迎接第四回展,我從内地(日本)前來參與東洋畫的鑑別審査,最感到意外的是此地的作家諸君在畫作的創作上非常

真摯的 態度,而且專心努力,為此,通覽全部的出品時,幾乎看不到任何一件帶有嘲諷寓意或不良傾向的作品,可見此展覽會的旨趣非常徹底,這點令人感到十分欣喜。至於每一件作品本身,若仔細考慮各種因素,也因為展覽會舉辦的歷史還太淺,所以當然還有些地方需要更多的努力,但總之正循規蹈矩地走著現代東洋畫理應通往的正確方向,亦即,看得出其創作根柢深植於大自然之中,確實且毫無虛假地

忠實於 寫生,並試圖添加對大自然的個人見解,臺展作品正朝這種良好的傾向精進。我因為今年才第一次擔任審查工作,所以對於臺展究竟取得了如何的進展,完全沒有頭緒,但根據從一開始就擔任此工作的當地(臺灣在住)的審査員諸君的說法,或是臺展圖錄(catalog)等等,追尋其足跡,的確可以看到非常大的進歩與提升,不過,相信這也是統籌此展覽會的所有相關人士的熱心指導的結果。在此,尤其想要呼籲的是,希望一般作家以及那些過去在此盛會中作品曾榮獲入選榮耀的作家,切勿滿足於結果而得意忘形,應該要精益求精,每年專注於出品優秀的作品,並將眼光放在更遠大的前途才好。最後想再給

年輕人 一句忠告:東洋畫的精髓絕非單純的寫生或是對自然的模仿而已,作家自己對自然的觀察必須極度敏鋭與活躍,否則畫面不會產生所謂的生命感,這一點還望諸君三思。希望諸君不要迷失自我,成為一名平庸的顔料塗抹家。

缺乏變化 望多充實内容

西洋畫審查委員 南薰造談

我只簡單說一下這次我擔任臺展鑑別(審查)工作的感想。這是我第一次擔任這個工作,所以沒辦法跟去年或更早之前的出品物相比較,但綜合其他的審査員諸君所見,每年都

有進歩 ,這點似乎無庸置疑。其實我本來以為作品的水準會很低,所以看到有一定水準的作品齊聚一堂時,感到非常的愉快。當然,在如此多的出品者當中也有極其幼稚的出品物,或是壓根沒思考過具美術價值的繪畫這等事的出品,但整體上來看大多是認真創作的作品,一時興起或稀奇古怪的作品很少。這點若以其他角度來看的話,反而是缺

少變化 ,例如就畫題而言,風景畫的件數最多,靜物其次,人物極少,至於動物則是幾乎沒有。這些風景畫之中又以取材建築物的風景,即赤煉瓦(紅磚)建築搭配綠樹的風景畫最多,這類題材雖然是臺灣獨特的風景畫,即所謂的「地方色」無誤,但十人中卻有高達八人畫此題材,臺灣絕非缺乏畫題,像我才來臺灣沒幾天,想畫看看的題材就多到數不清。至於作品的傾向,還是以追

求穏健 為優先吧!之後技術(技法)上的進歩,預料一年會比一年更顯著,但與此同時,誠摯地希望畫面上所乘載的内容也能夠更加的豐富。


真摯素直な 出品者の態度 

東洋画 勝田委員談

今秋臺展が其第四回を迎へたに就て私が内地から参つて東洋画の鑑別審査に当りまして最も意外に思ひました事は、此の地の作家諸君が何れも製作の上に非常に

真摯の 態度を以て熱心に努力されて居ることであります、それ故全出品を通観しまして、ひやかし気分とか或は又悪い傾向とかの作品は恐らく一点も無かつた事であつて従つて此の展覧会の趣旨はよく徹底されまして非常に嬉しく感じた次第であります、個々の作品に付き一々考慮して見ますと会を重ぬる事猶日の浅いせいもありませう一層の努力を要する物があるには違ひありませんが兎に角現代東洋画の向ふべき道をすなほに歩んで居る、つまり其の根柢を大自然の中に見出して確りと偽りなく

忠実に 写生して自己のそれに対する解釈を加へやうとする良き傾向に精進しつゝあるのを見出し得ます、私は本年始めて其の任に当つたやうなわけで其の進歩の度合等に就いて如何なるものであるかは判然しませんが此の会の始めより其の任に当られた当地の審査員諸君の御話や又カタログ等に依て其の跡を尋ねて見ますに確に大なる進歩向上を見得る事が出来ます、蓋し此の会を指導せられる総ての方々の御熱心なる御指導の結果であると思はれます、私の此の際特に申上て置きたいことは一般作家は勿論のこと会毎に此の会から推称せられ光栄を担はれる方々の作品が其結果に誇ることなく益々努力精励の度を加へられ年々良き作品を出品さるゝことを感心に思ひまして更に長き前途に深き思ひを寄せられんを希望します尚一言

若き人 々に申上たいことは東洋画の真髄なるものは決して単なる写生や自然の模倣と言ふやうなものではなく自己の自然に対する観察を極めて鋭く活躍せしむるところに生命を存するのでありますから此の点に付き三思せられんことであります、呉々も自己を没却して平凡なる顔料の塗抹家にならない様に希望します

変化が乏しい 内容充実を望む

西洋画 南委員の談

私が此度臺展の鑑別に関係しての感想を極く簡単に申しあげます、私は此度が最初の事でありますから昨年又はそれ以前の物と比較するわけに行きませんが他の審査員諸君のお話々総合して見ると年々

進歩し て来て居ることに間違は無い様であります、実は私も最少し程度が低いのではないかと思つて居たのですが、相当の出来ばえの作品が集つて居るのを見て甚だ愉快に感じて居る所です、勿論多数出品者の中には極幼稚な物も有りますし又た全く美術としての絵画と云ふ事を考へて居ない様な出品も有るには有りました、が概して真面目な作品が多く、甚だ気紛れのものとか奇抜をねらうて居る様なのは少なかつた、之は又た一方に於ては稍々

変化が 乏しいといふ事にもなるのですが、画題から申しても風景画が最多数で静物之に次ぎ人物は甚少なく動物に至つては殆んど皆無といふ有様でした、その風景の中でも建築物を取入れた風景、即ち赤煉瓦の建物に緑樹を配した風景画が最も多かつた、之は臺灣独特の風景画即ち地方色には相違ないけれども、十人が八人まで之に走る程、臺灣に画題が乏しいといふ事は決して無いので私の如き渡臺後未だ数日に過ぎませんが画いて見たいと思ふ様な物は実に無数にあるのです、傾向としては先づ

穏健と 申す事が出来ませう之からは技術の進歩は年々著しいものがある事と想像出来ますが、其れと同時に絵に盛られたる内容の一層豊かならむことを希望して止まない次第です

原載《臺灣日日新報》,1930-10-21 (夕刊2版)

辨識、翻譯/李淑珠