臺展的招待日(十月二十四日)當天,官民有力者與臺展關係者都帶著其家人陸續接踵而至。只要是家人,憑一張招待券就可以不被限制同行的入場人數,所以便出現了不少大家族呼群引伴似地前來,其中最高的紀錄(record)是一張招待券竟有多達十九人的一個大家族相繼湧進會場▲這個是本島(臺灣)人的例子,可能是因為自己的孩子入選了什麼不得了的臺展,胸中有著無比的優越感,於是便帶著爺爺奶奶連同孫子一起,更甚者則是連同左鄰右舍的鄰居也一起帶來會場▲另外還有令人嘖嘖稱奇的家族,例如某個小學校的校長收到了招待的邀請,覺得只有自己一個人去看展未免太過可惜,便召集了該校的老師十人左右,組成「俄(臨時)家族」,結伴同行。臺灣教育會當局表示即使一眼便能看出如同上述的校長的例子,該一行人並非同一家族之人,卻也不便道破,仍舊讓一行人入場,但當工作人員面對一個太大群的俄家族前來時,似乎嘴巴也會不免小聲「嘀咕」一番。然而,人情這種東西,勢必會對臺展入場費的收入有所影響。


無絃琴

臺展の招待日には官民有力者や関係者が家族同伴で続々押しかけるのであるが、招待券一枚あれば家族である限り何人でも入場出来ることになつてゐるので、中には随分大家族を出現させて繰出して来るさうだ、何でもレコードといふのは一枚の招待券で十九人の一大家族が繰込んで来たさうだ▲之は本島人の例であつて恐らく自分の子供が何かが栄ある臺展に入選したといふので無上の優越感に浸りながらお爺さんも婆さんもさては孫まで□つれ、殊に甚だしいのになると近所近隣の者まで来場らしいとのこと▲又変つた家族になると小学校の校長さんが招待を受け一人で見に行くのも惜いとあつて同じ学校の先生を十人ばかり狩り集め『ニワカ家族』を組織して繰込むといふのもあるさうだ、教育会としては右の様なのは明に一家族でないことは判つてゐても断る譯にも行かず応対してゐるのだが余り大きな俄家族が来られると係員も自然低い声で『ムニヤムニヤ』くらゐ言ふさうだ、□し人情といふもの、これはやがて臺展の入場料の上り高にも影響がある為めなんださうだ。

—原載《臺灣日日新報》,1932-10-26(夕刊1版)

(辨識、翻譯/李淑珠)