一

  臺灣美術展覽會今年已是第三回,即將於近期開展。而根據臺展審查委員長的談話,出品總數為六百零七件,其中東洋畫七十五件、西洋畫五百三十二件,針對這些出品作品的審査,於(11月)十日和十一日的兩天慎重進行,結果決定日本畫(東洋畫)二十九件、西洋畫七十六件,共計一百五件作品入選,其中新入選者為東洋畫十二人、西洋畫三十八人。出品畫與去年相比,東洋畫比去年減少了三十二件、西洋畫增加了八十二件。此外,無鑑查作品方面,東洋畫有二人三件、西洋畫有一人二件的作品出品。

    二

  就此,根據臺展審查委員長及各審查委員的談話,整體來說,作家的緊張感與努力的樣子都明顯呈現在作品上,照這樣發展下去的話,大家都異口同聲的期待明年將會是「更為壯觀的展覽會」,這對本島(臺灣)美術界而言,實可喜可賀。唯搬入的作品,西洋畫甚多,達東洋畫的七倍之多,這個現象究竟反映了什麼?一可能是時勢氛圍使然,二可能是在技法上洋畫(西洋畫)比較容易上手,然而,身為東洋人的本島各畫家,對於作為東洋藝術的主幹之一的東洋畫,應該要再更加精進將之發揚光大才對,不是嗎?

    三

  其次,根據審查委員其中一人的說法,在審查今年舉辦的第八回朝鮮美術展覽會(鮮展)(譯註1)之際,感覺像是內地展(帝展) (譯註2)的延長,這回的臺展顯然也有此傾向。若能直言不諱吾人的希望,願臺展是臺灣鄉土藝術的結晶,換言之,作品必須以能充分展現臺灣地方色彩(local color)之物為題材來發揮臺展的特色。當然,嚴格來說,臺灣尚未擁有真正的鄉土藝術,勉強來說,源自漳州藝術、泉州藝術之流,從殘留在臺中州鹿港的建築物可一窺其基幹,或是遍布島內的寺廟或孔子廟等等廟宇建築為其代表,然而,就繪畫而言,漳州藝術實無任何特色可言。

    四  

  本島自改隷以來已三十餘載,在此期間,總督府在施政上汲汲於産業與政治方面的建設事業,對於藝術,長期以來幾乎都無暇顧及,前年(1927)才終於有了臺展的創辦。想必今後臺灣的鄉土藝術接下來會作為內臺融合的新象徴,創造出具有特色之作品。就此意義上,對繪畫藝術而言,同時採用內臺兩地趣味,如同渾然一體,一旦發展出新式風格,也會為本島畫壇更添光彩。然而,在此之際,好不容易才舉辦的臺展卻隨著屆數的增加,居然讓人感覺到僅僅只是內地展的延長,令吾人不禁有些失望。在此坦言吾人的希望,勞煩擔任審查工作之人員以及作家諸君能多加斟酌。


第三囘臺展畫の審查成る 新鄉土藝術の創造如何

    一

 臺灣美術展覧会も今年は既に第三回目となり、いよいよ近く公開さるゝこととなつた、之に就いて臺展審査委員長の語るところを聞くに、出品総数六百七点の内東洋画七十五点、西洋画五百三十二点、之に対する審査は十、十一両日に亙り慎重に行はれ、その結果日本画が二十九点、西洋画が七十六点計百五点が入選作品と決定された、此の内新入選者は東洋画に於て十二人、西洋画に於て三十八人で、出品画を昨年のそれに比すれば東洋画は昨年より三十二点を減じ、西洋画が八十二点を増した、尚ほ無鑑査作品としては東洋画二人三品、西洋画一人二品あるとのことである。

    二

 之に就いて審査委員長及びに各委員の談に聞くに、大体に於て作家の緊張味と努力振りが明らかに作品の上に現はれ、此の分で進めば来年は『一層立派な展覧会』たり得るであらうとの期待が殆んど異口同音に唱へられて居る、これは本島美術界の為めに誠に喜ぶべきことであると思ふ、唯だ搬入された作品が西洋画が頗る多く東洋画の七倍強を示して居ることは果たして何事を語るのであらう乎、これ一は時勢の雰囲気もあらうし、又た一は手法が洋画の方が入り易いと言ふ点もあらうと思はれるが、東洋人たる本島各画家が東洋芸術の主たるものゝ一たる東洋画に、今少し精進して気を吐くことが妥当ではなからうか。

    三

 次ぎに審査委員の一人の言ふところに拠れば、今年開催の第八回朝鮮美術展覧会の審査に当つた際、殆んど内地展の延長のやうな観があつたが、今回の臺展も其の傾向顕著なるものがあると言ふ、率直に吾人の希望を述ぶれば臺展は臺灣の郷土芸術の結晶でありたいと思ふ、言ひ換へれば臺灣のローカル・カラーの能く現はれて居るものを題材としたものに於て、臺展の特色を発揮することを必要とするかに考へるのである、勿論厳正なる意味に於ては臺灣には未だ確たる郷土芸術は無いとも言ひ得やう、強いて言へば漳州芸術泉州芸術より流れ出てたものが其の基幹であるとも見られる、臺中州鹿港に残つて居る建築又は島内到るところの寺廟又は孔子廟等に見らるゝ建築が之を代表するものであるが、絵画に於ては漳州芸術として別に特色づけられたものは無いやうに思はれる。

    四

 本島も既に改隷以来已に三十余年、その間督府の施設としては産業並びに政治方面の建設事業に忙しく、芸術方面に向つては殆んど力を伸ぶるの暇なくて月日を送り、漸く一昨年に於て臺展の開設を見るに至つたのである、思ふに今後臺灣の郷土芸術は新たに内臺融化を象徴する特色を帯ぶるものの創造せらるべき順序にあらう、此の意味に於て絵画芸術に於ても内臺両趣味を打つて一丸とせる如き新機軸が作り出さるれば本島画界の為一層結構であらう、斯る際に折角開催された臺展が、回を重ねるに従つて唯だただ内地展の延長の如き観の歴々たるものあるなどは、聊か吾人の失望を禁じ能はぬところである、こゝに有体に吾人の希望を述べて審査の□に当たる人々、並びに作家諸君の一考を煩はしたく思ふ。

—原載《臺灣日日新報》,1929-11-13(日刊2版)

(辨識、翻譯/李淑珠)

註釋

譯註1. 朝鮮美術展覽會,簡稱鮮展,由朝鮮總督府主辦,1922年第一回展。

譯註2. 內地即日本,內地展即日本的「帝國美術展覽會」(簡稱「帝展」)。