審査員鹽月善吉(撰)

  第五回臺展的鑑査,有被師生感情支配之類的記事(投書)刊登在報紙的「歡迎(welcome)」專欄或「公開欄」上,我大概讀了一下。這種事,自臺展第一回以來,毎回都在上演,如果都一一回應,不免顯得有點孩子氣,但世上就是有少數的可憐人,因為自己對美的認識缺乏較高的標準,所以從作品本身的鑑賞偏離,而對一部分落選者的不平或抱怨,給予廉價的同情。又或有極少的人,動輒被看似公平論的簡單幾句話所迷惑,因而對純真的鑑賞感到厭煩。對於這些人,我想再怎麼多說也無益。

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  這些投書,說得好像内地(日本)審査員被島内(本島/臺灣)審査員牽著鼻子走似的,讓我很不爽。西洋畫審査主任的和田(三造)氏,是出了名的硬骨頭,絕對不是一個會賣人情的妥協之人。

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  小澤(秋成)審査員在鑑査發表(感想)上的說明,只要大家再看一遍,應該就會知道各審査員究竟以何種態度來進行作品的鑑別。和田氏在鑑査結束之後,還備感欣慰地說:「我從來沒有過像這樣四個人意見完全一致的愉快鑑査…」。

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  鑑査之際,看到與自己有關係或有交情的人的作品,就對其他審查員施以人情關說,然後重複這樣的蠢事,試想這到底是可能還是不可能?……此外,在拍攝鑑査進行的照片上,也都可以看到搬運畫作的人員或負責書記(紀錄)的人員在場,所以,有無關說,應該以常識就能判斷。

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  除了我本人之外,洋畫部(西洋畫部)的島内審査員還有石川(欽一郎)氏,與我有關係的西洋畫入選作家有木村(義子)、松本(貞)、船曳(實雄)、竹内(軍平)、吉田(寬)、濱武(蓉子)、小川(勇)、勝田(恆夫)、佐藤(淳一郎)、大橋(洵)的十人十三件作品,相對於總入選五十件四十四人,表面看來好像是因為我擔任審査的緣故,所以這十人才得以入選,但這種說法對於平時以認真的態度努力研究創作才得到入選殊榮的他們而言,實在是令人非常不爽,甚至感到遺憾。以上的入選者的作品,與其他的入選畫相比,究竟如何?誠望擁有高標準鑑査眼之人士,能給予他們一個真正且公平的鑑賞。

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  當然,擔任東洋畫鑑査的審査員的態度也同様是公正無私的。此外,除了我以外的島内審査員,他們當然也同様不會被師生之情所左右。公開欄的投書者「愛美生」(譯注1)說根據他的臺展所見以及報紙的傳聞,以公平的立場發表意見,但其意見已然有臺展鑑査受到師生之情所左右的前提,根本是從錯誤的認知出發的。閣下以匿名的方式來議論美術,已經是在回避所謂的公平原則,這不是自打嘴巴嗎?希望閣下好好反省。

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  愛美生指責洋畫(西洋畫)背離臺灣獨特的「色彩特徴?」(譯注2),但真的存在著所謂的臺灣獨特的色調這種固定的色調嗎?……臺灣並不是一個孤立於世界文化潮流之外的離島,建議要盡量透過新的時代意識來強化美的認識才好。

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  愛美生還舉例第一回以來的老練作家不在入選之列,感嘆:「絲毫感受不到那些入選畫作為美術的真正價值」。他到底是如何定義所謂的老練的,我們無從得知……但以葛飾百姓自居的我們偉大的北齋,七十歳之時,曾反省:「這七十年來所畫的,沒有一幅是成熟之作…」,便比以前更加努力,從基礎開始研究,直到九十歳的彌留之際,仍在感嘆自己的技巧未臻成熟之後才往生……只有針對在創作上如此持續不斷精進,並對自己生活的進展不畏深刻反省的賢明之人,使用老練一詞才有意義,請切記。

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  此外,愛美生的島内審査員的不必要論或是毎回更換的條件、鑑査前不公布審査員名單的建議……等等,對於這些言論,我在此不以審査員,而是以一名畫家對自己的自負,不想表示意見,但因為這些都是以師生之情等等的錯誤為前提,所以閣下的意見本身已然是不純之物。至於島内審査員應該選聘與研究所等等無關的畫家較好的這個建議,也全歸因於閣下公平論的出發點的錯誤,為了臺灣美術界的健全的發育,反而有必要多設置研究所等美術教育機構,以利更多的研究者有學習的機會。

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  最後想說的是,我們島内審査員自第一回以來接受當局的委託,為了不負使命,平時除了致力於創作者的育成,也在展覽會上展出自己的作品,所以我們是否擔當得起審査員之責,全憑社會大眾的公斷,尤其是我們在審査或鑑査時,耽溺於師生之情而麻痺自己良心者,一個人也沒有。而臺展第五回的健全發展是承蒙一般大眾的祝福才有今天的成長,對此也請求予以真正公平的鑑賞。

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  此回落選的作家們,雖然令人同情,但第六回並非在遙不可及的未來,希望下次能看到在明智的自我反省之後努力創作的結果。若只是徒然讓不滿或抱怨阻礙了自己的藝術進展,這絕非作家應選擇的正確之道。(完)


臺展鑑査への 僻見に答ふ

審査員塩月善吉(寄)

第五回臺展の鑑査に師弟の愛情に支配せられたかの如き記事がウエルカムや公開欄に暼見する、これは第一回以来毎回の事で一々応答するにはあまりに大人気のない事とは思ふが世間には自己の美の認識の低劣な標準から作品そのものの鑑賞から外れて一部落選者の不平や愚痴に安価な同情を傾ける気の毒なわづかの人々がある、そして又ややもすると公平論らしいまことしやかな文句に迷はされて純真な鑑賞を煩はされるわづかな人たちもある、それらの人たちに一言することも無駄ではないかと思ふ

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 内地審査員が島内審査員に牽制されたかの如く思はれる事は不ゆかいである、西洋画審査主任の和田氏は定評ある硬骨な人で決して情実などに耳を傾けるやうな妥協的な人ではない

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 小沢審査員が鑑査発表に述べられた事を今一度読んで貰へばどんな態度で各審査員が鑑別をしたかが分る筈である、和田氏は鑑査の終つた後で『こんなに四人の意見の一致した気持のいい鑑査をした事はない…』といつてをられた位である

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 鑑査の際に自分と関係交渉のある人たちの作品であるといふために情実を述べるやうな愚を繰返す事が出来るものか出来ないものか……それに鑑査の写真を見る通り絵の運搬をする人々書記の人々も居られるのである、常識で考へても分りさうな事と思ふ

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私の外に洋画部の島内審査員には石川氏が居られるが自分と関係のある西洋画の入選作家は木村、松本、船曵、竹内、吉田、浜武、小川、勝田、佐藤、大橋の十名十三点で之を入選五十点四十四名の表面からのみ見て自分が審査員である故に以上の諸君が入選したやうに見られるのは平常から真剣な態度で研究努力して入選の栄を得た事に対して誠に不ゆかいでもあり気の毒でもある、以上の入選者の作品が他の入選画に比してどうであるかといふほんとうに公平なそして高い鑑査眼に映して貰ひたいものである

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 勿論東洋画の鑑査にあられた審査員の態度も公平無私な事は同様で又私以外の島内審査員の人たちが師弟などの情に動かされぬ事も当然である、公開欄の投書家「愛美生」は臺展を見、新聞の噂に基いて公平な立場からといつてゐるがそのいふところはすべて臺展の鑑査が師弟の情に動かされてゐるといふ前提の認識錯誤に出発してゐる、君が匿名を用ゐて美術を論議しやうとした事がすでに公平を回避してゐる事を自語してゐるのではあるまいか、反省促す

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 愛美生は洋画が臺灣独特の色徴?に遠ざかるといつてゐるが一たい臺灣独特の色調といいふやうな固定した色調が存在するのか……臺灣は世界文化の潮流から孤立した離れ島ではない、大に刮目した時代意識を通じての美の認識に力めるやうにすすめる

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 愛美生は初回以来の老練な作家の姿を消した事をあげて『画としての美術的真味を悟り得ない』といつてゐるが老練とはどんな意味に解してゐるか不明であるが……葛飾の百姓を以て任じたわが北斎が七十歳の時『七十年来画くところに足るものなし…』と述懐してそれより更に根柢より研究を始め九十歳の死に至るまで技の至らざるを嘆息して往生をした……かうした不断の精進をつづけ自己生活の進展に猛省を惜まなかつた賢明な人にのみ老練といふ言葉は生きる事を忘れてはならぬ

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 更に愛美生のいふ島内審査の不必要論や毎回更迭するといふ論、鑑査まで審査員の発表をしないがいい……といふやうな事に就いては審査員としてでなく一個の画家としての自負の意見は茲に言はない、がしかしそれが師弟の情云々の錯誤の前提に於いてなされた君の意見そのものを不純と思ふ、尚島内審査員が研究所等に関係しない方がいいといふ事もすべて君の公平論の出発の錯誤に帰する、臺灣の美術界の健全な発育のためにはむしろ研究所等を拡張してなるべく多くの研究者の便宜を計る事が必要であると思ふ

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 最後にいひたい事は島内審査員の吾々は第一回以来当局の依嘱によつてその任をつくすためには平素は作者の養成にも力め展覧会には自分の作品をならべて吾々がその任なりや否やも大衆の面前に批判をまつて来てゐるわけである、特に審査鑑査にあたりでは師弟の情などに溺れるほど良心の麻痺した者は一人もゐない、而し臺展第五回その健全な発育を一般から祝福されつつある発育ぶりに対し真に公平なる観照を要望する所である

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 今回落選の人々には気の毒のやうなれども第六回はさう遠い将来ではない、賢明に反省せられた芸術的努力の結果をまちたいものである、徒らに不平愚痴に自己の進展を阻止するやうな事は作家の真のとるべき道ではないと思ふ(終)

原載《臺灣日日新報》,1931-10-31 (日刊4版)

辨識、翻譯/李淑珠

註釋

譯注(1) 愛美生,〈臺展の鑑查〉,《臺灣日日新報》,1931年10月29日夕刊版3。

譯注(2) 此處將原文「色徵?」直譯,而鹽月之所以加上問號,應該是因為「色徵」與「色調」的日文同音,懷疑「徵」是誤植,故下文改以「色調」展開其論述。