◇……碧亭主人

點綴島都(臺北)之秋的臺展,今年已是第四回,從作為第一回就捧場至今的人來看,畫作的内容和外觀都有長足的進歩。

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東都(東京)的帝展(譯注1),若自文展時代算起的話,今年也已第二十一回,卻還在那邊停滯不前,所以臺展作為第四回的舉辦,或許已可謂上乘的表現。凡事大概都只能堅持三次,到了第四次,多少會鬆弛、走下坡,然而,臺展在其第四回展上卻呈現了更上一層的進步,真令人刮目相看,而且作家都是年輕的一輩,只要獎勵的方法足夠好,能發展到什麼程度,尚不得而知。

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在這瀛南的一個孤島上,有如此程度的美術燦爛綻放,光是想到這個,就覺得愉快無比。此外,觀眾與前幾回展相比,在觀看方面也有相當程度的進步,例如第一回展時,每天約有近一萬人的入場者,會場內擁擠不堪,但在這些觀眾之中,什麼都不懂就沒頭沒腦的走進會場,然後又什麼都沒搞懂就走出會場的人似乎為數也不少。

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然而,今年的會場内卻可發現不少人在展出作品目錄上一一寫下批評什麼的,可見,隨著舉辦次數的增加,一般的觀眾不僅培養出鑑賞之眼,也對展出畫作愈來愈有興趣。即便如此,至今連個像樣的批評家都還沒出現,令人不勝寂寞。雖然也有二、三份報章雜誌會刊載一些批評文章,但內容都令人難以信服。

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那些文章別說是指導作家們了,其一知半解的內容只是落個被作家們譏笑的下場而已,時至今日,希望洗耳恭聽的是學者或專家等級的權威性批評。其次是作家這邊,若再繼續像現在這樣的話,問題就大了。例如東洋畫的部分,將寫生作為創作基底,誠然是件好事,的確也必須如此,但必須時時警戒的是切勿被寫生給吞噬了。一旦只關注在表面的描寫,必然會陷入瓶頸、最後動彈不得,這是再清楚不過的了。那麼,該如何做才能從這樣的困境脫身呢?目前只有一個方法,就是研究古畫,別無其他。建議要仔細研究古人是如何將其寫生提升成繪畫的,因為他們留給了我們非常棒的遺產。

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在臺灣,要作家們進行這種古畫的研究,或許又是一件強人所難的要求,但在臺北圖書館(譯注2)裡不僅有《國華》(譯注3)迄今全部集數的收藏,其他如《真美大觀》(譯注4)等各派畫集類的書籍也頗為豐富,即使只是翻閱這些書卷,也足以窺探古畫之妙。其他例如專程去拜訪各地的收藏家,請求鑑賞他們手邊的珍藏,也是個好主意,又或者是用心臨摹古人的法帖,去深入理解筆墨的奧妙,也絕非徒勞之舉。

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亦即,在精進寫生的同時也必須通曉天地自然之理,或至少能玩味古人的名作,暢談畫中意境,這才是習得東洋畫的大道。其次是西洋畫,通覽會場的作品,首先感覺到的是每件作品的畫面呈現都既粗淺又乾燥,塗了那麼厚的一層顏料,卻還令人有枯渇之感,為何如此?其實那是作家諸君被顏料和畫筆所侷限,忽略了光線和空氣的結果,因為光線賦予畫面滋潤,空氣賦予畫面深度。

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第二回臺展之際,審査員小林萬吾氏出品了兩件小品,當時雖然有針對這兩件小品的各種批評,但筆者卻在小林氏之作中看到了溫馨的光線和空氣的流動,令人覺得身心舒暢,而且完全不同於其他作家,此發現令筆者不禁沾沾自喜!

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不論是以如何崇高的畫題來表現遠大理想的世界,若缺乏光線和空氣,觀者也根本不會買單的。這點對於一般的創作者或是藝術的指導者而言,將來都是一項艱巨的任務。如此看來,東洋畫和西洋畫都仍前途遙不可測,所以不要盡是畫一些吞雲吐霧的東西,也不可操之過急,應以穩健確實的步伐,一歩一歩地朝開拓畫境的方向精進才行。


臺展の後に 

◇……碧亭主人

島都の秋を飾る臺展も今年で第四回となつた、其の第一回から見てきた者には絵の内容外観共に可成な進歩と思はれる

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東都の帝展も文展時代よりすれば今年で二十一回であるがまだあの辺を彷徨して居るのだから第四回の臺展としては或は上出来の部かも知れぬ、何事でも先づ三回迄は兎に角続くが四回となると少したれて来るものである、臺展は其の第四回に一層の進境を示したのであるから頼もしい、作家は皆若い人々だし奨励の方法さへ良ければまだどこ迄のびるかわからない

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こゝ瀛南の一孤島にかく迄美術鮮かに咲き出した事は思うても中々愉快である、又観衆も前回等に比して大分視方が進んで来た様に思はれた、第一回の折などは日に一万人近くの入場者で混雑を極めた事もあつたがそれ等観衆の中には何が何やらサツパリわからずに入つて又わからずに出ていつた程度の者も少なくなかつた様である

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ところが今年は会場内で目録に一一何か批評をかき込んで居る人を大分見かけた、矢張り一般観衆も回を重ねるに従つて観る眼も出来又興味も湧いて来るものと見える併しまた批評家らしい批評家の出ないのは何と云つても物寂しい、二三新聞等にかゝれたものを読んだが成程と思へるものはない

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あれでは作家を導くどころが却つて作家から其の半可通を笑はれるばかりだ、今少し学者や技術者の権威ある批評を聞き度いものである、次で作家の側も今日の有様では又困る、東洋画の方など写生に土台を置くのは誠によい事でさうなくてはならないのであるが、写生に喰はれない様に警戒しなくてはならない、表面描写ばかりに、腐心すれば必ず行き詰まつてどうとも動きのどれぬ事になるのはわかりきつた話だ、さてそれを救ふにはどうしたらよいか、今のところでは古画の研究より他に道はあるまい、古人が如何にしてその写生を画にして居るかを観るがよい中々よい仕事を残して呉て居る

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臺灣ではこの古画を観ると云ふ事が又無理な註文かもしれぬが、臺北図書館には国華が全部が揃つて居り其の他審美大観をはじめ各派画集類が可成豊富であるから、これによつても其の画様を窺ふに足るのである、其の他各地方々々の集蔵家につきて其の蒐集品を観せて貰ふのもよからうし、又筆や墨を理解する為めには古人の法帖等を習ふのも無駄にはならぬ

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即ち一方写生に精進して天地自然の理を知り退いては古人の名作を玩味して画境を語る、これが東洋画修得の大道と思ふ、次に西洋画であるが会場の作品を見渡して先づ感ずる事はどの作品も画面が浅くして其の上乾燥して居る事だ、あれ程絵の具を盛あげて猶且つ枯渇した気持を起させるのは何故であらうか、それは作家諸君が絵の具と筆に捕へられて光りと空気とを閑却した結果と思ふ、光りは画面に潤ひをつけ空気は画面に奥行をつける

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第二回臺展の折審査員小林万吾氏が小品二点を出品せられた、当時それに対して兎角の批評を試むるものがあつたが、筆者はあの作に対してなごやかなる光と空気との通うて居るのを観てスツトした、そして断然他の作家とは違ふわいと独り喜んだことであつた

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如何に高遠なる画因を以て大理想を表はさうとしたものにせよ光りと空気のない世界では観る者がてんで寄つけぬのである、この点に関しては一般の作家も指導の任に当る人々も将来中々骨の折れる事であらう、かく観じ来れば東洋画西洋画共に前途猶程遠くしてたゞに風を喰ひ霞を吸ふた様なものばかりもかいては居られまい、あせらずたしかな足とりで一歩一歩画境の開拓に精進すべきである

原載《臺灣日日新報》,1930-11-11 (日刊6版)

辨識、翻譯/李淑珠

註釋

譯注(1)  於1919-1936年所舉辦的日本官展,帝國美術院主辦,全稱為「帝國美術展覽會」,前身是創設於1907年由文部省主辦的「文部省美術展覽會」(簡稱文展)。

譯注(2) 指的應是臺灣總督府圖書館(今國立臺灣圖書館)。

譯注(3) 日本的藝術月刊,著眼於日本與東洋古代美術研究,自明治22年(1889)創刊發行至今,為世界上現存最古老的一本美術雜誌。

譯注(4) 日本的大型美術全集,刊載精美的佛畫圖片與佛像照片,自明治32年(1899)至明治41年(1908),全二十冊,審美書院發行。原文「審美大観」的「審」應為「真」之誤植。