欽一廬(譯註1)
臺展的開展日即將到來,作家們都在努力創作中,可惜樺山小學校的會場不夠寬敞,若容納完
無鑑查(免審查) 出品,能將剩下的空間留給一般出品陳列的話,就太好了。否則出品者越多,落選作品反而比入選的還多,有違當初獎勵本島(臺灣)藝術的主旨,造成讓多數的作家失望的結果,若果真如之前本報的報導,將令人感到遺憾。不過,展覽會當局也留意到此點,據說正在思考緩衝之計,甚幸。到時究竟會有怎樣的出品齊聚一堂,令人滿懷期待,但一般的希望是發揮本島藝術特色之作能佔大多數。
帝展在 文展之後,即使經過了十多年,以油畫為例,敢說「這就是日本油畫特色!」的,也沒幾個。如此看來,臺展這邊要有所成,需要耐心的等待,也是理所當然。若另外思考所謂的展覽會的特色,就連帝展,陳列的畫作只要優秀,不問古典派還是現代派,都以極大的包容力予以入選,其結果便是這個展覽會毫無特色可言。此點,以不同主旨另外創辦的二科展(二科會,1914至今)或院展(日本美術院,1898至今),則頗具特色,但不論是文部省還是帝國美術院,只要日本的美術有廣泛的進步,目的便已達成,所以舊派也好新派也罷,作品傑出即可。這並非僅日本如此,
佛蘭西(法國) 的沙龍(Salon)(譯註2)也是一樣,官展的巴黎沙龍(Salon de Paris,1667-1880) (譯註3)也新派與舊派齊聚一堂,反而國家沙龍(Salon de Nationale,1881至今)(譯註4)與獨立沙龍(Salon des indépendants,1884至今) (譯註5),展覽會的特色豐富。就連英國的官展或學院(Academy)(譯註6),也有同樣的情況。我們的臺展既是官辦展覽,就應如同帝展或官辦的法蘭西沙龍(Salon de France),根據官展之性質,展現寬廣的包容力,只要能看到本島藝術的進步即可。臺展作為展覽會雖因此失去特色,呈現中性的面貌,但直至本島的藝術終臻成熟之曉,再以不同主旨另外創辦臺灣二科展或臺灣院展來與臺展對峙的話,則更為幸福。
臺展漫語
欽一廬
臺展の開会も漸く近づくにつれて作家は何れも努力中であらうが憾むらくは樺山小学の会場が余り広くないので
無鑑査 出品を収容してその残りの面積を一般出品の陳列に回はすことになれば幸ひ出品者が多ければ多いだけ反つて採る作品よりもはねる作品の数が殖えて当初の主旨である本島芸術の奨励と云ふよりも作家を多数失望させる結果となるのは先きにも本紙記載された通りで遺憾の次第であるが会の当局側も爰に留意するところがあつて緩衝の途を講ぜられるゝと云ふ談で幸ひなことであるそれで如何なる出品が集まるかは楽しき期待であるが本島芸術の特色を発揮するものが多く集まることは一般の希望ではあるが
帝展が 文展以来十数年を経ても例へば油画で云へばこれが日本の油画の特色であると云ふものもまた大して見かけられぬ所を見ると臺展にしても寛るりとその大成を待つことが至当であらうが別に展覧会としての特色と云ふことを考へれば帝展にしても陳列される画は良いものならば古典派現代派を問はず大なる包容力を以て採り入れる結果会としての特色は無いこの点は主張によつて立つ二科や院展の方に多くの特色を見るが文部省なり帝国美術院なりは唯だ日本の美術が汎く進歩さへすればそれで目的に添ふわけであるから旧派でも新派でも佳ければ佳いとするこれは日本ばかりでなく
仏蘭西 のサロンにしても官展には新派も旧派も集まる寧ろサロン、ナシヨナルやアンデパンダンの方に会としての特色が豊である英国の官展アカデミーとても同様である我が臺展も官設である以上には帝展や官設のサロン、フランセーの如うにその性質としては広い包容力を以てたゞ本島芸術の進歩さへ見られゝば可いと云ふことにならうが従つて会としての特色は無く中性的のものになつて現はれやうそれで本島の芸術が漸く進んだ暁に主張によつて立つ臺灣二科や臺灣院展が対立するやうになれば愈々幸福たわけである
—原載《臺灣日日新報》,1927-09-14(夕刊2版)
(辨識、翻譯/李淑珠)
註釋
譯註1. 「欽一廬」為石川欽一郎之常用署名,「一廬」為其雅號。
譯註2. 「沙龍」為「美術展覽會」之意,因美術展的濫觴,即1667年舉辦的會場在羅浮宮的「方形之間」(salon carré)而得名。
譯註3. 法國的王立繪畫彫刻學院(Académie Royale de Peinture et de Sculpture,1648創立)於巴黎舉辦的公開美術展覽會。之後,即使法國的政治體制改變,直至1880年,也持續由學院或政府主辦,故其性質為官展。
譯註4. 1880年,法國的美術行政決定取消沙龍的官方主辦,即沙龍的民營化:自1881年起,由法國藝術家協會(Société des artistes français,同年創立)主辦沙龍。
譯註5. 由獨立藝術家協會(Société des Artistes Indépendants,1884創立),對抗有保守審查制度的國家沙龍,作品不須審查,任誰都可自由出品,作品的評價直接委由觀者。
譯註6. 由皇家藝術學院(Royal Academy of Arts,1768創立)主辦的官展稱為「夏季展」(Summer Exhibition,1769至今)。