鷗亭生(譯注1)

相信在東京舉辦的帝展以及其他美展應該也有如此狀況:當沒沒無聞的畫家某天突然出品高人一等的傑出畫作,所謂的審査員的這群人卻不輕易予以認同,也不管大眾如何的鼓掌喝采或感動佩服,仍舊一副佯裝不知的嘴臉。審査員的態度看起來似乎在故意刁難,但僅一次的出品,僅看到一幅或兩幅的畫作,實在很難就對該名畫家有信心,這也是因為審査員執掌評審的大事,職責所在,所以也無可厚非。然而,畫家或站在觀賞立場上的人們,有時並不因「此」而釋懷,尤其是有特選或與其他作品有所區別的獎項存在時,其不滿更加強烈。但也有與此相反的情況,亦即完全信賴審査員,其結果就是作品本身即使不怎麼樣,但因為是以往經常入選的老面孔,便得到了特別的待遇或過高的評價。例如無鑑査出品,這種的就很多,這也是各地的展覽會都有的弊病,甚至還出現過特賞(特別獎)的頒發標準並非作品優秀程度,而是畫家是誰的奇特現象。今年的臺展大致上沒有發生上述的情形,實在是非常僥倖。

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 審査員廖繼春君的《高雄風景》和《綠蔭》,令人頗為激賞,但並不是因為其技巧或色彩,而是因為用心尋找到的「適合入畫的地點」,亦即,創作的著眼點(主題)與構思非常好。將陽光強烈照射的南臺灣的風光,以那麼黯淡的色彩描繪,這點說是特色也不可置否,但「那」並不足以令人讚許。此外,天空以及水的局部,在色調的處理上可見二、三個破綻,儘管如此,此畫仍以構思與構圖取勝,吸引眾人目光,如此,在臺展中自成一格,令人十分欣喜。

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  表現一如往常穩健且紮實的是李石樵君。《人物》的這幅,處理得很有條理,甚至有點過頭了;《靜物》的這幅,表現得也很熟練,色彩的運用、應用於物品上的色調的感覺等等,也很正確。但若能磨練出更有深度的構思,應該可以期待更大的成就。

  藍蔭鼎(譯注2)君在石川欽一郎君離去之後,被迫一肩挑起臺展水彩畫的重擔,雖然冀望其今後的發奮與努力,但究竟會如何呢?今年的出品作《商巷》雖然技巧純熟,但構圖過於雜亂,欠缺清雅。即便是如同臺灣料理與日本料理之間,差異在所難免,但「灰汁(浮沫)」的清除還是有必要的,不是嗎?藍君若想將水彩畫以臺灣料理的方式處理,雖不敢說沒有新味(新意),但建議「此事」還是需要進一步深思熟慮才好。


臺展の印象(三) 畫家の顔へ特賞 臺展にソレはない

鴎亭生

東京で開く帝展などもさうであるが未知の画家が不意に図抜けた立派な作を出品しても所謂審査員といふ部類の人々は容易に認めてくれない、大衆が喝采し感服しても一向知らぬ顔でゐる、意地が悪いやうだが単に一回だけの出品で一二枚の作しか見てゐないと其の画家に対する信用といふものが獲られないらしい、審査員が大事を執るといふ上から言ふとやむを得ないが、然し画家や観賞の立場にある人々はソレでは満足し得ない場合がある、殊に特選とか何とかいふ差別を付けることになると一層その感が強くなる。更にまた此の反対の場合もある、詰まりすつかり信用をして了つた結果、作品そのものは面白くなくても在来の顔で相当の待遇をしたり、勿体をつけたりする様な場合である。無鑑査出品などに斯ういふのが多いのは何処の展覧会にもある弊であり、中には作品にでなく画家の顔に特賞をつけたりする様な奇抜さも見える、本年の臺展に左様なことの大体に於てないのは勿怪の幸ひと言ふべきだらう。

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審査員廖継春君の『高雄風景』と『緑蔭』とには一寸感心した、其の技巧よりも色よりも「画になる場所」を巧に探し出してゐる為めだ。つまり着眼と着想とが宜しい光線の強く輝いた南臺灣の風光をあんなに沈んだ色で画き上げてゐる所に特色があると言へばあるだらうが、ソレは必ずしも感心した事ではない、尚空や水の局部に色調の上で二、三破綻らしいものを見るが何しろ構想と構図とで引き立たせ其の点では臺展中での一家風を見せてゐて嬉しい。

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 相変らずガツチリしてゐるのは李石樵君である『人物』も纏まり過ぎてる位に纏まつてゐるし、静物も達者に画いてゐる、色のこなし方、物に対する色調の感じ等も確かである。更に一段の想を練る事によつて大成を期すべきだらう

 籃蔭鼎君は、石川欽一郎君去つて後に於ける臺展の水彩画を一人で背負つて立たねばならぬ立場にあり、今後の発奮努力を望まねばならぬが果してどうであらう。今年の出品作『商巷』は達者ではあるが構図も余りに乱雑であり清雅さを欠いてゐる、臺灣料理と日本食との相違として止むを得ぬとするも、もつとアク抜けが必要ではあるまいか。籃君は水彩画を臺灣料理で行かうとする所に新味が無いとは言へぬが、尚コレには一段の潜思を必要としやう。

—原載《臺灣日日新報》,1932-10-28(日刊4版)

(辨識、翻譯/李淑珠)

註釋

譯注1. 「鷗亭生」與「鷗汀生」為《臺灣日日新報》主筆大澤貞吉(1923年入社擔任副主筆,1931年昇任主筆)之常用筆名,「鷗汀」為其號。

譯注2. 原文「籃蔭鼎」的為「籃」為誤植。以下同。