鷗亭生(譯注1)
從去年開始嶄露頭角的南風原朝光君,其《蝴蝶標本》和《靜物》的兩幅畫作都有很好的表現,在會場中也受到了眾人的矚目。尤其是以蝴蝶的標本為創作題材,並以充分發揮色彩的效果為創作構思,在在顯示了作家有在使用頭腦。雖然還未能充分掌握,但在色調等方面的處理,的確展現出相當靈活敏銳的頭腦,只是畫面的形態有不穩定(unstable)之處,在美的構圖方面,顯然還不夠用心。
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色調雖然討人厭,但是越嚼越有滋味的是堀部一三男君的《和睦》。廚房搭配三個人物,其中一人的少女坐在緣側(日本傳統住宅的走廊)上曬太陽,其坐姿(pose)即為畫面的焦點,無從挑剔且紮實穩健的筆觸(touch),讓人覺得頗有樂趣。只不過在構圖方面有點失敗,若以緣側之女為主,將之放大一些,再予以仔細描繪的話,或許可以得到比現在「這個」更好的效果,是的,就是有「那麼」多的多餘的描寫正在畫面中閒晃。
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松崎亞旗君的《黃衣少女》和《穿襯裙(chemise)的女人》,都是無從挑剔而且是以相當純熟的技法來描繪的。老實說,不論是《平靜》還是這兩幅畫,像這種程度的畫作,在内地(日本)的小有規模的展覽會上都隨處可見,然而,只是無從挑剔而已,在臺展卻能榮獲特選,並在會場中實際發光發亮,面對如此現實的事實,不得不承認臺展這個官展的未來,仍然有很長的路要走。雖然有點可悲,但一想到今後竟然還有「那麼」多的發展餘地,令人不想放棄也難。
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女流(女性)畫家在洋畫(西洋畫)方面一直都成不了氣候,到底是怎麼一回事?明明在東洋畫,女流的表現非常爭氣,宜再發奮圖強。成不了氣候的女流當中,感覺較佳的畫作,例如有渡邊香子女士的《早晨的陽臺(balcon)》。雖然還是不太熟練的筆觸,但花朵、器物的顏色、窗外的風景等等的色彩搭配「非常」愉悅。此畫令人想起藤島武二老先生的所謂的「色彩交響樂」的浪漫(romantic)畫作。只針對「事物」的明亮的一面進行描繪的這個畫家,將美術的真正境界,設定於「諧調色彩所觸發的審美意識的躍動」之處。筆者對於此種觀照的態度,經常給予的是肯定和讚美,而美術的主要目的的確在此,這是無需爭議的事實。我經常期望臺灣今後能突然出現許多模仿藤島武二風格的作品。
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其他的畫家,例如有陳澄波君的《松邨夕照》、堀越英之助(譯注2)君的《伊芙那 (Yvonne)》、小林俊介君的《初秋之街》、御園生暢哉君的《從路樹望向市街》、名島貢君的《中秋淡水風景》、湯川臺平君的《交通(港) (譯注3)》等等,回顧今年的出色成果,希望今後能更加努力。此外,室谷早子氏的《盆栽棚架》也有不可錯過的天份,期待如此的天份能充分得到健全的發展。
臺展の印象(四) ――畫家の狙ふベき境地――
鴎亭生
昨年頃から頭を出して来た南風原朝光君の『蝶の標本』と『静物』の二作は相当に効果的で場中でも目を引いてゐる。殊に蝶の標本を狙つて色彩の上で充分な効果を収めるべく着想した辺りに頭の働きを認めしめる。未だ充分こなれてはゐないが兎に角色調などでも一かどの頭の鋭さを見せてゐる、唯画面の形体にアンステーブルな所があり美的な配置をなしてゐない不用意さがあるやうだ。
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色の調子は嫌だが然し噛みしめる程味の出てゐるのは堀部一三男君の『和み』であらう、臺所に三人の人物を配し其の中の一人の女が縁側で陽に当つてゐるポーズを中心としたものだが、ソツのない着実なタツチに面白味を覚えしめてゐる。唯構図としては幾分失敗を見せてゐるやうで、若縁側の女を中心にしもつと之を拡大して入念に画いたなら或はコレ以上の効果を収めたらう、ソレだけムダな場面が画の中ぶらついてゐる。
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松ヶ崎亜旗君の『黄衣の少女』と『シユミーヅの女』とは共に無難に而も相当達者に画かれてゐる有体に言ふと『和み』にせよ此の作にせよ此の程度の作は内地の一寸した展覧会では幾らでも観られるのであるが、無難といふだけで臺展では特選といふ事になり而も場中で実際光つてゐるといふ現実な事実に直面すると臺展といふものの将来は尚甚だ前途遼遠なるを想はずにはゐられない、情ない様でもあるが、ソレだけ発展の余地が今後に残つてゐると思へば諦められぬ事もない。
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女流画家が洋画の方で一向に揮はぬのはどうした事だらう、東洋画で女流が大いに気を吐いてるのに少しは発奮するが宜しい、其揮はぬ女流の中にあつて感じのよい作として渡辺香子さんの『朝のバルコン』を挙げたい。まだ覚束ない筆触ではあるが花、器物の色、窓外の風景等に対する色彩の配合がトテモ嬉しい。此の画を見て想ひ出すのは藤島武二翁の「色の音楽」とでも言ひたいやうなロマンチツクな諸作だ。モノの輝き渡る側面だけを画いてゐる此の画家は美術の真の境地を「色彩の偕調による美意識の躍動」といふところに置いてゐる。筆者は此の観照の態度を常に肯定し賛美してゐる、又事実美術の主目的はさういふ方面にあることは拒み得ぬ所である私は臺灣にも今後幾多の藤島武二張り作品の飛び出さんことを常に望み願つてゐる。
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その他の画家では陳澄波君の『松邨夕照』堀越美之助君のイボンヌ、小林俊介君の初秋の街、御園生暢哉君の立木より市街を望む名島貢君の中秋淡水風景、湯川臺平君の交通等を挙げたい。今年の出来栄えに省み今後一層努力して欲しい。尚室谷早子さんの『植木棚』などにも見のがせない天分を思ふ、是等の天分が充分健全に発達することを断りたい。
—原載《臺灣日日新報》,1932-10-30(日刊6版)
(辨識、翻譯/李淑珠)
註釋
譯注1. 「鷗亭生」與「鷗汀生」為《臺灣日日新報》主筆大澤貞吉(1923年入社擔任副主筆,1931年昇任主筆)之常用筆名,「鷗汀」為其號。
譯注2. 原文「堀越美之助」的「美」為誤植。
譯注3. 經查臺展圖錄,該作品名稱上有「(港)」。