愛美生
◇觀賞完臺展,又在報紙上看到某些傳聞不斷,作為素人,站在公平的立場,多少有一些感想。此次的方針據說是嚴選,的確入選件數有些減少,但東洋畫努力表現通俗之美,西洋畫違反臺展的趣旨,逐漸背離臺灣獨特的色彩特徵,這是怎麼回事?
◇尤其是第一回以來的老練家(技巧純熟的畫家),此次不在入選之列,這點對吾人而言,絲毫感受不到那些入選畫作為美術的真正價值。此外,師生之情、會員之誼等等的風評不斷,對臺灣美術界而言,也沒有比這點更令人感到遺憾了的,不是嗎?
◇吾人的希望與期待如下。既然已聘請了兩名内地(日本)方面的審査員,為了從公平的立場來進行審査,也為了消弭莫須有的傳聞,臺展這邊的審査員(譯注1)是否就沒有必要了?因為在審査之際,沒有說明臺灣固有特色的需要,再者,從第一回開始就由同一群人審査並不公平,若有人質疑:「只要是人,就容易受到師生之間的情分所支配」,也在所難免。
◇如果說臺灣(本島)的審査員一定有必要的話,那為何不以毎回變更審査員作為條件呢?要不然,選聘與某某會或某某某研究所沒有任何關係的人,才是公平之舉。若是可以,審査員的部分,不分内地或臺灣,不到審査日當天,不公布審査員名單,相信如此做法對臺展的成長發展才更有助力。
臺展の鑑查
愛美生
◇臺展を観、新聞に兎角ある噂を聞き素人として公平な立場より多少の感想なきを得ないのである、今回の方針は厳選だと言はれてゐる、成る程入選点数は減少したに相違ないが、東洋画は通俗的な美の表現に努め、西洋画は臺展の趣旨に反して次第に臺灣独特の色徵に違かりつつあるのはどうしたのか
◇殊に初回来の老練家が姿を消してゐるのは吾人をして画としての美術的真味を悟り得ざらしむるの感がする、しかも師弟の情やら、会員の誼やらの風評があるのは臺灣美術界にとつてもこの上なき遺憾の点ではなからうか
◇吾人は希望し且つ期待する、既に内地側の審査員を二名にした以上、公平な立場より審査する為めに、且つあらぬ噂を消す為めには臺展側のそれは不必要ではないか、何故ならば審査する時に於ける、臺灣固有の特色を說明する要が□もないから、しかも初回から同じ人では不公平だ、人間である以上師弟間の情愛に支配され勝ちだ、と云はれても已むを得ない
◇若し強ひて臺灣のを必要とするなら何故に条件として回毎に審査員を変更しないか、さもなければ、〇〇会とか〇〇〇研究所とかに関係を持たぬ方を選ぶのが公平であると思ふ、出来得るなら審査員も内臺何れを問はず審査の日まではその名を発表しない方が臺展の為めにその成長発展に力があるではないかとも思はれる
─原載《臺灣日日新報》,1931-10-29 (夕刊3版)
(辨識、翻譯/李淑珠)
註釋
譯注(1) 指的是「本島審查員」,即石川欽一郎、鹽月桃甫、鄉原古統、木下靜涯。