倪蔣懷
◇第六回臺展拉開序幕,可以看到西洋畫的作品都有進歩,水準相當一致,令人衷心為此畫部感到欣喜,只不過在件數眾多的油畫中僅有一件是水彩畫,這點實在讓人很不滿意,予人一種若非油畫就不是洋畫(西洋畫)的錯覺,是此回的唯一缺憾。尤其是此次的審査員無視水彩畫的特質,將之與油畫一起排列、鑑別,又因為採用的審査方法很變態,例如表現不如油畫般強烈者淘汰,或不像水彩畫的水彩畫也淘汰,因此,水彩畫雖然有八十餘件的搬入,卻只有一件得到入選,這既是破世界紀錄(record)的嚴選,也是對水彩畫特色不理解的悲慘結果。水彩畫作者真是懷才不遇、倒霉透頂,令人同情不已。
◇水彩畫是一種非常適合日本人性格又經濟實惠的繪畫,按理說應該會非常盛行,但因為畫法的難度高,即使付出數倍的努力、克服重重艱難,其效果與油畫相比都遜色不少,所以習畫者大多傾向選擇油畫創作,在如此情況之下臺展應該要更加獎勵才對,結果卻是偏愛油畫,無視水彩畫,原因在於臺展只任命油畫家為審査員,水彩畫家連一位也沒有。今後只有油畫會愈來愈盛行,水彩畫則會愈來愈衰退,說不定明年水彩畫的出品者一個也沒有。這樣的話,乾脆直接將臺展的西洋畫部改名為油畫部,學校的圖畫課也廢止水彩畫,只教授油畫算了。
◇臺展當局對於有千人以上連署要求設立臺灣水彩畫會的陳情充耳不聞,排除本島(臺灣)洋畫界第一的功勞者且是水彩畫大師的石川欽一郎氏,反而邀請既與本島無任何瓜葛也非權威者的人來擔任審査員,這種忘恩負義的做法,對功勞者十分失禮,教育會作為主辦者,這也是名不符實的做法,令人感到遺憾。而一直在水彩畫領域貢獻一己之力的人,看到如此情況,勢必也會灰心喪氣。
◇臺展若真的要以公平的立場來促進洋畫的發達,就應該將西洋畫部區分為油畫和水彩畫兩個畫科,水彩畫科的部分,招聘南薫造氏、中澤弘光氏、石井柏亭氏等在水彩畫方面也很擅長的大師為審査員,將水彩畫作為水彩畫,另外予以審査。我因為太愛本島的美術、擔心水彩畫的前途,所以在此聊表幾句忠言。祈恕妄語。
臺展と水彩畫の將來
倪蔣懷
◇第六回臺展が開会して西洋画の粒揃ひの進歩を見られたのは斯道の為め誠に慶賀に堪へませんただ数多い油絵に対し僅か一点の水彩画とは誠に物足らぬ感じがして油絵でなければ洋画でないやうに思はれるのは玉に瑕である、何でも今度の審査員は水彩画の特質を没却し油絵と一しよに列べて鑑別し油絵の如く強くなければならないとか水彩画らしい水彩画はだめだとかいふ変態的審査法を取つた為め八十余点の搬入に対してたつた一点の入選てふ世界的レコード破りの厳選でありながら水彩画の特色を味ひ得ない悲惨な目に遇はされた水彩画作者こそ実に不遇であり不運であつて誠に同情に堪へません
◇元来水彩画は日本人の性格に合ひ経済的でもあるから盛んになるべきも画術が難しく数倍の努力幾重の苦心をしても其の効果油絵に比して少いので研究者は多く油絵に走りたがる故寧ろ大に奨励を要するのに臺展では油絵に偏重し水彩画を無視して油絵専門家ばかりを審査員に任命し一人も水彩画家を加へない結果からなつたのである今後愈々油絵のみが盛んになり水彩画は益々衰へ来年は水彩画の出品者皆無になるかも分りません、一層の事西洋画を油絵に改名し学校の図画も水彩画を廃し油画のみを教へる方がよいかも知れません
◇臺展当局が臺灣水彩画会の発起で千余人連署の陳情に対して少も耳を傾けず本島洋画界第一の功労者たる水彩画大家石川欽一郎氏を除外し本島に何等関係なき権威者でもない人を審査員に入れた事は功労者に対する礼を失ひ忘恩的取扱で主催者たる教育会としては名に不相応なやり方で誠に遺憾に堪へませんかかる状態を見れば現に斯道に貢献しつつある人は却つて力を落すでせう
◇臺展が真に公平に洋画の発達を計るなら西洋画に油画水彩画の二科を設け水彩画科には南薫造氏中澤弘光氏、石井柏亭氏等水彩画をもうまく描く大家を審査員に招聘して水彩画は水彩画として別に審査しなければならなりません、本島の美術を愛し水彩画の前途を憂ふる余り聊か苦言を述べた所以である、妄言多謝
—原載《臺灣日日新報》,1932-11-05(夕刊3版)
(辨識、翻譯/李淑珠)