一
俗稱臺展的臺灣美術展覽會,到今年已是第四回的開展,將之與第一回時比較的話,可以發現整體上在畫風及技巧方面都有超過預期的急速進歩痕跡。這正是臺灣教育會付出了相當多的犠牲,為了獎勵美術直至今日持續努力所得來的成果,更是其他官民與教育會同心協力、貫徹臺展旨趣的結果。
二
東洋向來被認為是世界上培育無與倫比、卓越精湛藝術的鄉土,而且至少在過去此事實已獲得了證明,但在日本因為太心急於吸收舶來(西洋)文化,導致於這方面受到了忽視,連臺灣也從四年前開始舉辦官展(臺展),為了純粹美術,簡直是煞費苦心、竭盡了全力。或許因為過去的這種扭曲現象已被消除,故而形成了一種反動,總之,臺展的作品進步神速,整體而言,作品都達到一定的水準,發展的方向也很正確,在觀賞上也提升到了可以放鬆品味的程度。光是這樣,就已經是相當顯著的進歩了,亦即,素人(amateur)藝術能夠將其歩調調整到如此地步,就已稱得上是一種奇蹟。然而,臺展要作為立足於臺灣鄉土的藝術,其主體在得到完善之前,當然還需要更多、更充分的指導與時間。今年開始的臺展賞等新獎項的制定,也為鄉土藝術的獎勵方法開啟了新的里程碑,「臺展」要真正發揮其功用還在未來,所以不論是主辦當局還是一般民眾,今後都要有讓以往的熱情持續燃燒的覺悟不可。
臺展と鄉土藝術への進境
一
俗に臺展と言はれる臺灣美術展覧会も、本年で四回目の開会を見てゐるが之を第一回当時に較べると一般の作風及び技巧の上に以外に急速なる進歩の跡を認めねばならない、これでこそ臺灣教育会が可なりの犠牲を払つて美術奨励の為め今日まで努力して来た効もあり、その他の官民が之に協力を与へた趣旨も徹底するものと云へやう。
二
東洋は世界に比類を見ない程に優秀玄妙なる芸術の郷土と看做されて来てゐるし、少くとも過去においては其の事実なることを証明してゐる、それが日本などに於ても舶来文化の吸収に急であつた為め勢ひ然ういふ方面が疎かにされ臺灣などでも漸く四年前から純粋美術の為めに官展が骨を折るといふ程度にまでなつたのである、斯ういふ過去の歪みが除かれた反動もあらうが、兎に角臺展の作品も急遽に進歩し、一般的には粒が揃ひ目指す方向も見極めがついたやうで観賞上にも骨が折れぬ程度にまで向上した、これだけになつた事でも可なりの著しい進歩で、アマチユア芸術が茲まで歩調を整へて来たことは寧ろ奇蹟に属するものと言へやう、然し臺展は飽まで臺灣を郷土とする芸術としての本体を整へるまでには尚ほ充分なる指導と時間と要すること勿論だ本年からは新たに臺展賞等も設けられ郷土芸術に対する奨励方法も途が開けた次第で「臺展」なるものが本当に効用を発揮するは寧ろ今後にあるべく、当局も一般も今日迄の意気込みを今後に持続すべく充分に覚悟せねばなるまい。
─原載《臺灣日日新報》,1930-10-28 (日刊2版)
(辨識、翻譯/李淑珠)