N生記

通覽臺展的東洋畫,所感受到的是東洋畫家們在毫無意義地玩弄著顏料的同時,已被時代所拋棄,但更糟糕的是他們完全不知道現在人們對這樣的東洋畫已沒有絲毫的

◇…興趣 。時代的跫音因為走得太遠,已無法再傳入這些畫家們的耳朵裡了吧!但還是有一些畫家積極嘗試新的方法,第一室的蔡雪溪氏之作《扒龍船》便是如此,此畫如同江戸末期剛開始利用西洋繪畫的遠近法所創作的畫作般新穎。第二室的吳天敏氏之作《新岩路》,有位婦人站在此畫之前點頭讚嘆:「這油畫畫得真好」。

◇…東洋 畫第一室的野村誠月氏的《妍春》,將兩個美女襯以秋天山景,不過,還是江戶時代的版畫家(浮世繪畫家)的美人畫,更令我們動心。歌磨(1753-1806)即使被關進監獄也要提筆畫女人,而誠月的畫卻意在和服的描繪。在高喊婦人解放、婦人參政已然成為時代心聲之際,仍有畫家無動於衷地描繪著作為男性玩物的美女。秋山春水氏的《春》,與前一件野村氏之作相比,更令人有新鮮的

◇…感覺 。此畫描寫的是一位新婚之妻,趁丈夫出門工作,爬上村子的後山,眺望著遠處春和日麗的海洋和島嶼,以及自己剛剛才爬上來的北路。從村子到山頂的那條寂寞小徑,就是自己在成為新婚人妻之前所歷經的那條路吧!而今身在山頂,無論是海還是山,甚至是手上拿著的花,彷佛都在祝福著自己。如此心情,盈溢在這件天真無邪的畫作之中。第二室陳列有市來栞(譯註1)女士、謝寶治女士、高橋翠子女士等幾位新入選的女流畫家的小品,都是不造作的可愛作品。佐佐木栗軒氏出品的《牽牛織女》,六曲一雙的屏風形式,為一

◇…力作 ,但每一曲(扇)屏風之間在畫面構圖上的連續,顯然都不夠用心,例如細小的樹幹突然變粗,或秋天褪色的竹葉,在下一個扇面上突然帶有春色等等,結果導致此畫的失敗。犯相同錯誤的,還有宮田彌太郎氏的屏風繪《女人遊交》。以支那(中國)服、西洋服、日本服來代表三名摩登女子(modern girl)的描寫,十分漂亮,但在屏風的折疊處,摩登女子的陽傘,也可憐地被「壓彎」了。蔡媽達氏描繪的《姊妹弄唵蝶》,榮獲

◇…臺日 賞。在臺展東洋畫的「型」(臺展型)即將確定之際,像這種與之迴異的畫作,希望能再多些。


臺展を觀る

N生記

   (六)

臺展の東洋画を観て感じられる事は東洋画家達が無意味に絵具の遊戯をやつてゐる間にすつかり時代からおきざりを喰つてしまつたと云ふ事だ、そして尚いけない事は現在の人々がかゝる東洋画から何の

◇…感興 をも起し得ない様になつてゐる事を少しも知らない事だ、時代の足音はもう遠く之等の画家達の耳には這入らないのだらう、然しなかには何とかして新工夫をしやうとしてゐる人達がある、第一室の蔡雪渓氏の作『扒龍船』がそれだ、恰度江戸の末期に西洋画の遠近法を始めて利用して新しがつた様な絵だ、第二室の呉天敏氏作『新岩路』の前に立つて或る婦人が『いゝ油絵です』と讚めてゐた

◇…東洋 画第一室の野村誠月氏の『妍春』は二美姫を秋の山に対させたものである、江戸版画家にあらはれた美人絵の方に我我はずつと心を引かれる、歌麿は獄につながれても女を描いた、誠月氏は着物を描いてゐる、婦人の解放が叫ばれ、婦人参政権が時代の声となつてゐる時、男性の玩弄物としての美姫を平気で描く画家もゐる、秋山春水氏の『春』は前作に較べる時ずつと新鮮な

◇…気持 がする、描かれてゐるのは新妻である、夫の働きに出たあと、村の裏山にあがつて遠く春の日うらゝかな海と島とそして今自分が登つてきた北路を眺めてゐる、村から丘の嶺につゞくあの淋しい道は、自分が新妻となるまでにたどつて来たその路であらう、そして今自分は山の嶺にゐる、海も山も手に持つ花も総てが自分を祝福して呉る様に見えるこんな気持が此の無邪気な作に溢れてゐる、第二室には市来シオリさん、謝氏宝治さん、高橋翠子さん等の新入選の女流の人達が小品をならべてゐる、孰も嫌味のない可憐な作である、佐々木栗軒氏が『牽牛織女』を出してゐる、これは六枚折一双の屏風、かなりの

◇…力作 であるが一枚一枚が全く不用意につき合はされてゐる、細い幹が急に太くなり、色あせた秋の竹の葉が急に次の面では春色を帯びてゐると云ふ具合にで結局此の絵は失敗作たるを逃れない、之と同様の失敗を示してあるのは宮田彌太郎氏の屏風絵『女人遊交』である支那服、西洋服、日本服で代表した三人のモガを描いた所はなかなか気がきいてゐるが、屛風の折目でモガの日傘も無残にひしやげてゐる蔡媽達氏が『姉妹弄唵蝶』を描いて

◇…臺日 賞を得てゐる、臺展東洋画の型がきまりかけて来てゐる時、斯る行きかたを異にした絵がもつと欲しい様に思はれる

原載《臺灣日日新報》,1930-11-02(夕刊3版)

辨識、翻譯/李淑珠

註釋

譯註1. 市來的名字「栞」,讀音為「Shiwori」,常以「シヲリ」或「シオリ」、「しをり」、「しおり」來標示,而非漢字。