第四回的臺展如同之前的報導,從(十月)十五日開始受理作品的出品,擬於十六日下午七點截止,提醒作家們要把握時間,以免向隅。作品的鑑査將於十七、十八、十九日的三天進行,入選發表訂於二十日。此外,今年的出品裡,有無鑑査(免審查)的作家出品兩幅一百號大的畫作,而洋畫(西洋畫)部門,第一天就有近三百件的出品,如此下去的話,新會場舊廳舎(今欽差行臺)的空間可能不夠入選作品一次全部陳列(展示),或許會需要在展期中輪替展出作品也說不一定。十五日下午,文教局長杉本良也蒞臨位於蔽社(臺灣日日新報社)後方的新會場總督府舊廳舎視察,整修面面俱到,作為美術品的展覽會場,近乎理想,陳列場地等等似乎也比舊會場的樺山小學校講堂更為寬敞,是秋季出遊的絕佳場所。

今天來臺的 兩位審査員

擔任第四回臺展的審査員、來自東京的南薫造和勝田蕉琴兩人,已搭乘(十月)十六日的船班抵達,故臺灣教育會於當天下午三點半在鐵道旅館召開審査委員會及幹事會,同時擬於當天晚上在濟美會館譯注(1)舉辦「話臺展」的活動。

第一天的 搬入受理數 西洋畫三百二十四件 東洋畫三十一件

臺展搬入的第一天(十月)十五日,或許是因為臺北地區終日細雨綿綿,所以臺北在住的畫家們的搬入比較少,但與來自地方的搬入受理數合計的話,十五日到下午七點截止為止,西洋畫已達三百二十四件、東洋畫已達三十一件,相較於去年的第一天搬入受理數,數量增加許多,辦事員表示照這樣下去的話,全部出品件數應該會比去年多出非常多。此外,關於今年的作品傾向,審査員石川欽一郎表示:

搬入譯注(2)第一天才剛結束,除非作品全部到齊,否則無法置評,但與往年相比,顯然作品的畫面,整體而言,變大了。東洋畫方面有達八尺的,西洋畫方面,八十號、一百號大的也不少。不只如此,畫的素質也比去年更好,這是可喜的現象。至於畫題,今年也是風景畫最多,其次是靜物畫、人體(人物)畫的順序。


理想的に行屆いた 臺展の新會場 陳列し切れない程の 入選作品があらう

第四回の臺展は既報の如く十五日より作品受付を開始したが十六日午後七時を以て締切る筈につき作者は同時刻までに遅れぬやう出品すべきである尚ほ鑑査は十七、八九の三日間で入選発表は二十日になつてゐる尚ほ本年の出品では無鑑査の作家が百号大のものを二点も出した者あり洋画の如きは初日で三百点近くも集り此の調子では入選作品を新会場たる旧庁舎に陳列し得ず或は会期中掛け替を行はねばならぬかも知れぬと、十五日午後杉本文教局長も新会場たる本社裏の総督府旧庁舎を視察したが手入れも行き届き美術品の展覧会場としては理想に近きものになつてゐる、その陳列場所等も前会場たる樺山小学校講堂より遥に広いやうで秋の行楽の場所としては打つて付けであると言はれてゐる

けふ来臺の 両審査員

第四回の臺展の審査員として東京より南薫造、勝田蕉琴の両氏が十六日の船にて到着するので臺灣教育会では同日午後三時半から鉄道ホテルに審査委員会及び幹事会を開く由だが同時に同夜は済美会館にて『臺展を語る』の催しもある筈

第一日の 搬入受付数 西洋画三二四 東洋画三一

臺展搬入の第一日たる十五日は臺北地方が終日小雨に祟られた為か臺北在住の画家たちの搬入は割合に少なかつたがそれでも地方よりの搬入受付数を合すると十五日午後七時の締切までには西洋画三百二十四点、東洋画三十一点に達し昨年の第一日搬入受付数に比すると余程多い数に上り係員は此調子では全出品数は昨年よりは遥に多くなるでせうと云つてゐる尚今年の作品の傾向に関し石川審査員は

まだ審査第一日が終つたばかりで作品が全部出揃つた上でなければ何とも云へないが例年に比しては画面が全体に大きくなつて来た、東洋画の方にも八尺に達するものがあり西洋画の方にも八十号、百号なんて云ふのがザラに見られるがそればかりでなく絵の素質が昨年に較べると非常に良くなつた事で之は喜ぶベキ現象と思ふ、画題は今年も風景が一番多く、次は静物人体の順である云々

原載《臺灣日日新報》,1930-10-16 (日刊7版)

辨識、翻譯/李淑珠

註釋

譯注(1) 「濟美會」的正式名稱為「恩賜財團臺灣濟美會」,大正十二年(1923)五月成立,以天皇下賜的金十萬圓作為財團法人設置基金,負責社會慈善事業以及教育獎勵。

譯注(2) 原文的「審查」應是石川口誤或報社誤植。