第三回臺灣美術展的搬入受理,從(十一月)七日下午九點開始,地點在樺山小學校。美術家一年來的嘔心瀝血製作的作品,陸續被搬入,中午時便已突破了三百件,光是整理就讓職員們忙得焦頭爛額。西洋畫除了油畫,還有粉彩(pastel)畫、水彩畫,目前為止印象派風格的風景畫佔大多數,人物畫方面,特別是裸婦畫非常少。東洋畫則是大和繪風格的作品較多,南畫或北畫之類的寥寥無幾。根據職員的說法:「今年東洋畫、西洋畫都有很多大型作品,畫也似乎比去年更好」。順便一提的是,審查由內地(日本)來臺的松林(桂月)、小林(萬吾)兩氏以及島內(臺灣)在住的鄉原(古統)、木下(靜涯)、石川(欽一郎)、鹽月(桃甫)四氏共同進行,審查日期為九日、十日、十一日的三天(譯註1),入選發表則預定在十一日下午四點。


ことしは大物が多い…… 『臺展』搬入の第一日 正午までに三百点を突破する景気 入選発表は十一日の豫定

第三回臺灣美術展の搬入受付は七日午後九時より樺山小学校に於て開始された、美術家一年の丹精になる製作品は陸続として持ち込まれ正午には最早三百点を突破し係員は整理に忙殺されてゐる、西洋画は油を始めパステル、水彩であるが今の所では印象派風の風景が大半を占め人物特に裸婦画は寥として少ない東洋画は大和絵風のもの多く南画北画の類は少い、係員は『今年は東洋画、西洋画共に大物が多く絵も昨年よりは優れてゐる様である』と語つた、因みに審査は内地よりの松林、小林両氏、島内の郷原、木下、石川、塩月氏に依つて九、十、十一日の三日に亘つて行はれ入選発表は十一日午後四時の予定である

—原載《臺灣日日新報》,1929-11-08(夕刊2版)

(辨識、翻譯/李淑珠)

註釋

譯註1. 另一則的報導是「十日、十一日的兩天」,參見〈東洋畫は減少 西洋畫激增 入選發表は十一日夕 臺展の出品締切る(東洋畫減少 西洋畫激增 入選發表為十一日傍晚 臺展出品截止)〉,《臺灣日日新報》,1929-11-09(日刊7版)。