臺展今年秋天舉辦第三回展,世人卻議論紛紛,日本畫(東洋畫)家之中有一群人相約對今年的出品持觀望態度,洋畫(西洋畫)方面也有不滿臺展的一派表示不出品等等,似乎不是很平靜。

  以前,當現在的帝展(帝國美術展覽會)還是文展(文部省美術展覽會)的時代時,大概也是從第三回或第四回左右開始受到世人的各種批評,作家方面也有一群心懷不滿者,不是有人公開發言指責文展反而阻礙日本的美術的發達,廢止比較好,就是有些作家決定不出品,也有些人透過報紙等媒體抨擊審查員的無能或不公平,而且,畫家之中似乎也有人得到了議員的支持,所以有議員在議會的預算審查會議之際,提議刪除舉辦文展的兩萬元經費,而這應該是反文展派的畫家們提出了陳情書之類的結果,總之,有一段時間,文展無用論在一部分人士之間受到了熱烈的討論。這是因為以往威風凜凜的畫家,尤其是日本畫的畫家,

  文展落選使其地位突然變得岌岌可危,或是因為原本無名的畫家入選了,在畫壇上一躍成名,地位得到了鞏固等等,每回文展的舉辦都上演這樣的悲喜劇,有些人甚至被迫面臨相當嚴峻的命運,但在議會上文展廢止的提案也最終沒有通過,所以每年照樣舉辦。過不久,儘管表面上還有一些有的沒的的騷動,但在深層的內面,日本的美術逐漸受到了培養,而且在不知不覺之中發出了嫩芽,結果最後讓畫壇進行了一種世代更替,讓這條道路的普及發達有了顯著的痕跡,文展十年之後,進而蛻變為帝展。現在的

  臺展小歸小,卻剛好重複著文展的經過痕跡,是個有趣的現象,臺展有害無用論應該不久也會出現。如同二科會是文展舉辦第三或第四回時與之切割並另外創建的一派,臺灣改天或許也會有反臺展派的興起,機運的如此動向,或許很自然,臺展的意義或效果也因此而逐漸嶄露出來。為那些瑣事的紛紛擾擾只是表面上的,有一天我們一定會驚訝地發現在不知不覺之中,從地下萌生出新的臺灣鄉土藝術之芽、冒出了雙葉。與內地(日本)的文展時代相比,

  臺灣晚了二十年,卻漸漸踏上了與文展經歷過的一樣的道路,就這點來看,臺展的成長歷程反而令人有懷舊感。

不強求反臺展派回歸臺展,即便強求,也恐怕強求不來。其實不管在哪個時代哪個國家,所有的這些事情都成為了美術發達的原委,頗為有趣。臺灣的藝術界也將逐漸擺脫這些紛擾,令人欣慰。

新進作家的天下 專注於容的充實 似乎也有令人刮目相看的力作

臺展開展迫在眉睫,作家們都在進行力作的最後修飾,以便掛在盛大隆重的會場上。例如日本畫(東洋畫)有欲出品世人意想不到的大型畫作者,洋畫(西洋畫)則有欲在花費了一年的力作上一吐萬丈之氣者,總之,相較於技巧的吹噓,似乎在內容充實上更為精進的樣子,而且新進作家之中可以觀察到有相當值得注目的力作。


美術の秋たけなは 目醒よ郷土芸術家 文展受難の道程を我が臺展も辿るか 開会を前に 野口文敎局学務課長談

臺展が今秋三回目を開くにあたつて世間には彼是の評があるやうである、日本画家の中には今年は結束して出品が見合はせた一団があるとか、洋画の方にも不満の一派は出品せぬとか、いろいろと或る種の動揺もあるやうに見えるが

 以前今の帝展が文展の時代にもやはり三回目か四回目あたりからそろそろ世間にいろいろの評が立つて来た、作家側も不満の一団は、文展は反つて日本の美術の発達を阻害するものであるから、寧ろ廃止する方が可いと言ふやうな議論を立てた人もあり、出品をせぬ事にした作家もあり、審査員の無能、不公平を新聞などで論じた者もあつて、又画家の中には代議士の後援を得たものと見えて文展の経費二万円を削除すると云ふやうなことを議会の予算会議の折に或る代議士が論じたこともあつた、これはつまり反文展派の画家などが陳情書かなにかを出した結果かと想はれたが兎に角一時文展無用論が一部人士の間に論せられた、これは従来堂々と構へた画家、殊に日本画の方で

 文展に落選したゝめに急にその人の立場が工合悪くなり又今まで無名の画家でも、入選した為に一躍画壇に地歩を固めるやうになつて、文展の開催毎に悲喜劇が行はれ中には可なり深刻なる不利の運命に立ち至つた人もあつたからであるが、議会では文展廃止もたうとう成立せずに依然毎年開かれてゐた其うちに表面上の彼之の騒動にも係らず、隠れた裏面から段々に日本の美術は培養されて、いつの間にかそれが芽を吹くやうになつて、やがては画界に一種のお立替へが行はれた結果となりこの道の普及発達の迹は著しいものとなつて文展十年の後にはいよいよ帝展と進んで来た、今の

 臺展が恰度文展の経過のあとを小さいなりに繰返してゐるのは面白い現象である、やがては臺展有害無用論もそろそろ出てくるかも知れない、二科会が文展の三四回目あたりから絶縁して別に一派を建てたやうに臺灣にも反臺展派がそのうち起らぬとも限らぬ、さう言ふ風に機運が動くのが或は自然かも知れぬそこに臺展の意義も効果も漸く現れるわけである、そんな事でごたごたしてゐるのはたゞ表面上の談で、いつしか知らぬ間に、地の下には新しい臺灣郷土芸術の芽が萌えて双葉を出しさうになつてゐるのに驚くやうな日もきつと来るに違ひない、内地の文展時代に比ぶれば

 臺灣は二十年遅れてゐるそれが文展の経過したと同じ行路をだんだん辿ろうとしてゐるのが見えて来たことは成長の道程として寧ろなつかしみがある

反臺展派に強ひて復帰を求めるわけには行かぬ、求めても迚も談は成り立たぬわけだが総て恁う言ふことが何時何れの国にも美術の発達に伴ふ経緯になつてゐるのは興味があると思ふ、臺灣の芸術界も漸く多事ならんとするのは欣ばしいことである

新進の天下 一途に内容充実へ 非常な力作もある模様

臺展開会も目睫に迫り作者はいづれも晴れの場を飾る力作に最後の仕上げをなしてゐる日本画の如き世間の想像も及ばぬ大物を出品しやうとしてゐるものもあり洋画も一年がかりの力作に万丈の気を吐かんとしてゐるものもあると総じて宣伝よりも内容充実に精進してゐる模様で新進作者の中には相当注目すべき力作があるものと観測されてゐる

—原載《臺灣日日新報》,1929-11-04(日刊7版)

(辨識、翻譯/李淑珠)