進言生
第三回臺展的開展日期迫在眉睫,即便如此,一般民眾似乎不甚關心,而且普遍認為並無優秀的出品畫家,這個現象令人遺憾至極。其原因非常多,對審查員的不滿或許也是其中之一,但就敝人的想法,可以確信的是當局對出品畫家的獎勵方法置之度外,甚至於處理此事的冷漠態度,才是最大的原因。理由是,當局為何不惜重金購買審查員的畫,卻不願購買一般的出品畫呢?就臺展的性質來看,像購買審查員的畫這種事,根本就是一種浪費而且本末倒置。只要有購買審查員畫作的財力,便應當以獎勵為由,盡量多收購一般的出品畫。何況出品者並無賣畫賺錢的想法,只要當局願意購畫,便會認為是一種名譽而感到無比的滿足,因此畫價方面其實也會只跟創作一幅畫的實際開銷差不多。當局的畫作購買,是作為獎勵的最佳方法,希望可以多加考慮,此外,各州廳若能夠購買其州下的出品物,也不失為一項良策。去年高雄州便購買了其州下的一件出品物,這讓該州的好畫家留下了非常好的印象,值得參考。審查員有些評價不太好的畫作,只因為是大作(大尺幅畫作)就以駭人的高値收購,這是天大的錯誤。今年若仍再重複這種愚舉,臺展的前途堪慮,因此,希望當局能夠不徇私,極力講究出品獎勵的方法,為臺展謀求越來越隆盛的未來。
臺展に就て 一考察
進言生
第三回臺展期日も切迫して居るに拘はらず一般に気乗りがせず優秀なる出品家も無い様に推量さるゝのは甚だ遺憾至極である其の原因は種々あらう或は審査員に対する不満もその一つかも知れぬが拙者の考へる所では当局が出品家に対する奨励方法を度外視し甚だ冷漠に之れを取扱ふと云ふことが最も重大なる原因と確信するのである、と云ふのは当局が何故審査員の画を大金を投じて買上げ乍ら一般の出品画を買上げないのか、臺展の性質から見て審査員の画を買上ぐる如きは全く無駄なことであつて本末転倒して居るものと思ふ、之れに投ずる金があれば奨励の意味を以て一般の出品画を多数買上げることが必要である、出品者は其画を売つて儲け様など云ふ考は持つて居らぬ当局の買上げと云ふことだけで名誉と考へ大に満足するのである、故に代金の如きは単に実費位で差支ない、当局買上げと云ふことが如何に奨励の最善方法であるかを考慮せられ度い、各州庁をして其の州下の出品物を買上げしむるも又一策である、昨年高雄州が其の州下の出品物一点を買上げ如何に同州の好画家に好印象を与へたかと云ふことを参考にして欲しい、審査員の余り評判の良くない品を大作なるが故に飛んでもない高値で買入れたことは大なる間違である、今年も尚其の愚を繰り返す様なことがあつては臺展は前途知る可きのみと思ふ故に当局は情実に拘泥せず大に出品奨励方法を講じ益々臺展の隆盛を計られ度いものである
—原載《臺灣日日新報》,1929-11-12(夕刊3版)
(辨識、翻譯/李淑珠)