去年夏天,一群西洋畫家不滿臺展的循私不公及官僚作風,憤而創立了一個名為赤島社的團體。藝術家常因處於缺錢的狀態,而無法實現壯觀的飛躍,但今年他們下定决心以滿腔的熱血在畫壇上隆重登場,他們將舉起怎樣的旗幟向前邁步呢!?且看他們的宣言:
「枯燥無味會令人不耐煩
生活即真實。
用誠意打造一個有文化滋潤的島嶼,
是我們的心願。
我們是心靈與心靈的交匯點。從山谷到河流,
最終抵達海洋
透過充滿生活感的照片,
以燃燒心靈的創作態度
進行
一張純真無垢的兒童塗鴉
比病態早熟的大師作品更為
珍貴
我們只是一群願意努力探究藝術奧秘的
美術學生而已。
……………………!」
以上就是他們創立之初,向社會大眾表明志向之詞。
觀察赤島社目前的陣容,可知曾入選帝展的廖繼春君、陳植棋君、陳澄波君、藍蔭鼎君、陳清汾君,以及臺展的佼佼者張秋海君、楊佐三郎(楊三郎)君等人,是其中堅作家。此外,今年他們還熱衷於將成員招募延伸到東洋畫領域。然而在臺灣,卻沒有任何特志家譯注(1)(philanthropist)願意挺身而出援助這些志存高遠的年輕藝術家,以延續他們的抱負或幫助他們實現抱負,實在是件可悲之事。
年輕人的激情在燃燒、心在狂跳,但能為他們添柴加油、提供糧食的人卻寥寥無幾。我們誠摯地呼籲美術愛好者或富豪們應把為了一些低劣品味而不惜揮霍的大把鈔票,花在鄉土藝術的創造上,以提升品味。
赤島社の進出
臺灣藝術を 創り出す爲に 島民は熱烈な後援と 適切な援助を與へよ
昨年の夏に臺展の情実と官僚臭に憤慨して、洋画家連が赤島社といふものを起した。芸術家の常として、金欠病に陥り、遂に華々しい飛躍を試みる事が出来なかつたが、今年は渾身の熱情をこめて、素晴しい進出を策する意気込だといふ。彼等は如何な旗織を推し立てゝ前進するか!?、先づ彼等の宣言を見よ
「乾燥無味は焦燥を生む
生活即実だ。
赤誠をこめて潤ひある島
に仕上げるのが心願であ
る。
吾々は心と心との合流で
ある。
谷から川へ行きやがては
大海原に着く
生命感の振幅する写真を
経
心が燃ゆる制作的態度で
進む
病的早熟性大家の図より
は純真無垢な子供の画が
尊い
吾々は単に努力探究を惜
まない美術学生に過ぎな
い
……………………!」
等と云ふのが彼等が成立早々世間に呼びかけた声である。
今赤島社の顔触を見ると帝展に入選した事のある廖継春君、陳植棋君、陳澄波君、藍蔭鼎君、陳清汾君、臺展の猛者張秋海君、楊佐三郎君等がその中堅作家である。尚彼等の意気込では、今年は東洋画の方にも手を延ばすといふ、而して臺灣に於いて、此等の覇気満々な青年芸術家の志を延ばす為に、援助を与えてその志を遂げさせようといふ特志家が居ない事は、何といつても心細い事である。
若者の情熱は燃え乍ら、心が躍動し乍らも、それ等の人に油を添へ、糧を与へる人が少ない。我等は美術愛好者に将又富豪が低劣な趣味の為に抛つ大金を、趣味向上の為に郷土芸術を作り出す為に尽すべき事を要望して已まない。
─原載《臺灣日日新報》,1930-01-11(日刊11版)
(辨識、翻譯/李淑珠)
註釋
譯注(1)另有「篤志家」的寫法,讀音均為「とくしか(tokushika)」。