四
有人說,臺展西洋畫所展現的氛圍,是一種「書生氣」的氛圍。為了驗證此事,不妨將幾位重要的作家分成幾個群組(group)來看。
首先,統括多數書生氣群組的,是由鹽月(桃甫)、小澤(秋成)、廖(繼春)三位審查員所構成的陣營(bloc)。其次,可以稱之為美術學校組的,是榮獲特選的李梅樹、李石樵、太齋(譯註1)春夫等諸君的勤學組。再其次,可以稱之為新歸朝(歸國)組的,是作品頗能散發歐洲氣息的陳清汾、楊佐三郎(楊三郎)、顏水龍等諸君的群組。
最後,算是雜牌軍的,是去年榮獲特選,所以今年免繳木戶錢(入場費,意指審查)的無鑑查組,即南風原朝光、松崎亞旗、御園生暢哉、堀部一三男等諸君所形成的混然一體的群組。重要的群組大概到此為止,但還有一些,例如寫生(sketch)同一間房子的畫作並全部入選的可喜群組,或是所謂的夏季講習會群組之類的,這些都是由上述群組所率領的一些細胞群組,故具代表性的群組,是上述的審查員組、美校組、歸朝組與無鑑查組,這四組默默形成了各自的陣營。
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分類大致如此,接下來就來細看各個群組。首先是審查員組,正值壯年的小澤、鹽月、廖三位畫家,目前都在受各種傾向(風格)影響之下努力創作。本來就具有浪漫(romantic)素質的鹽月審查員,前年是機械的讚美者,去年是現實的揭露者,今年則以自然主義者般的渾身毛茸茸的感情來描繪人獸的性慾。然而,能透過色彩的流暢與明快運用,把作品提升、完成到具有藝術性的境界,這正是鹽月被譽為一流之處。小澤秋成君也漸漸似乎在臺灣扎下了根,但歸國(譯註2)之初作品中所見的那種爽快與新鮮感,如今卻不知消失到哪裡去了,反而顯露出現代浮世風景畫般的沉悶感。是臺灣使藝術家墮落了嗎?但小澤君口中所流露的年輕朝氣卻依然存在。廖君今年只展出了一件《仁小弟之像》(譯註3),希望明年能看到更有張力的作品。總之,三位審查員似乎都還未能確立自己的風格,而這正是審查員陣營的書生氣所在。(為避免誤解,特此附記:就連達文西(Leonardo da Vinci)也幾乎沒有留下什麼完成品,不是嗎?)(永山生(譯註4))
本年の臺展 洋画部は書生ツポ 目立つ四グループ
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臺展西洋画の持つ気分は書生ツポ的気分だと誰かが云つた、それでこの事を裏づける為に目ぼしい作家をいくつかのグループに分けて見やう
先づ第一に幾多の書生ツポ・グループを統括するのは塩月、小沢、廖の三審査員からなるブロツクである、次に来るのは美術学校組とでも云はうか特選に這入つた李梅樹、李石樵、太斉春夫の諸君の勉強組である、次に来るのが新帰朝組とでも云はうか大分欧洲の空気をにほはして居る陳清汾、楊佐三郎、顔水龍の諸君の組である
次は少々雑軍になるが去年特選に這入つた為に今年は木戸銭なしの無鑑査組とも称すべき南風原朝光松ケ崎亜旗、御園生暢哉、堀部一三男の諸君の混然たるグループである、目ぼしいグループはこれ位であるが尚この他にも一つの家をお揃ひでスケツチして皆入選したと云ふお目出度いグループやら夏季講習会グループと云ふ様なつまりは上述のグループに率ゐられる細胞グループの幾群かが存在するが代表的なものは以上の審査員組と美校組、帰朝組と無鑑査組との四つのブロツクが暗々裡に形成されてゐる訳である
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さて分類はもうこれだけして各グループに就いて見やう、先づ審査員組は働き盛りの小沢、塩月、廖の三画家とも目下種々な傾向に影響されつつ勉強中である、元来がロマンチツクな素質を持つ塩月審査員は一昨年は機械の讃美者となり、去年は現実暴露家となり、今年は人獣的性慾を自然主義者的毛むくぢやらな感情で描いてゐるが流石に色彩団の快調で芸術的なものにしあげてゐる所は、塩月一流の讃美置くあたはざる所であらう、小沢秋成君も漸く臺灣に根が生えさうである、帰朝早々絵に見られたあの爽快味新鮮味は何処かへ姿を没して現代浮世風景画的なぢぢむさい感じが露出してゐる、臺灣が芸術家を堕落させるのか、とは云へ同君の口をついて出る若若しい元気は依然としてゐる、廖君は今年は一点『子供』を出してゐるだけである、来年はもつと張のある所を見せて貰ひたい、兎もあれ三審査員とも未だ自己を確立してゐない様だ、ここに審査員ブロツクの書生ツポさが見える(誤解のない様に附記して置くがダビンチですら完成品を殆んど残してゐないではないか)(永山生)
─原載《臺灣日日新報》,1933-11-02(日刊2版)
(辨識、翻譯/李淑珠)
註釋
譯註1.小澤1927年赴法,1930年歸國。
譯註2.小澤1927年赴法,1930年歸國。
譯註3.作品的正確名稱為「仁ちやんの像」,原文「子供」為誤植或作者誤記。
譯註4. 應為臺灣日日新報社記者永山義孝。
