林鹿二
臺展今年已迎來第八回,自(十月)二十六日起公開展出。在此將針對其中的五十七件東洋畫入選作品,依照各展覽間的順序,挑選出一些出色的作品,並提出觀察到的幾個問題點。
第一室
▲在這個展覽間,比較出色的是余德煌、佐佐木栗軒、郭雪湖、野田民也等諸氏的作品。
▲首先,余德煌氏的《佛桑花》作為新入選作品之一,確實是一件尺幅相當大的大作。然而,在筆觸與構圖上都過於仿效呂鐵州(譯註1)氏的風格,缺乏新意。只能說是一幅努力之作。
▲佐佐木栗軒氏的《幽境》。在今年的臺展中,以南畫出品的,僅有佐佐木氏與朱芾亭氏(《水鄉秋趣》)二人。相較於去年作品,此畫增添了一些寫實的味道,這是值得欣喜的,但前景的岩石的描繪全都使用同一種筆法,令人惋惜。
▲郭雪湖氏的《野塘秋意》展現了一流的線描功力,並試圖追求題材質感的表現。然而,整體水準大致與去年的《南瓜》旗鼓相當。期待這位滿懷年輕熱情的畫家,能進一步創作出更具突破性的作品。
▲野田民也氏的《菜圃》雖然僅是寫生畫,但與去年作品相比,技法上已可看出有進步。
第二室
▲首先是安東翠氏的《若竹》。安東氏幾乎每年都能入選,但在技法上卻看不出有任何的進步,這實在令人遺憾。
▲《春之阿爾卑斯(Alps)》是目前人在巴黎(Paris)的那須雅城氏向來擅長的阿爾卑斯山題材,但今年的作品卻令人難以稱讚。畫面中央的主山缺乏山岳的質感,看起來像是一棵樹,而且正因為這是整幅畫的核心,所以顯得格外拙劣。
▲《點綴南國天空之花》,盛晴水氏之作。是一幅很坦率的描寫,可惜稍嫌流於散漫,整幅畫欠缺焦點。
▲謝清埤氏的《群鯉》。謝氏去年也以描寫鯉魚的《和睦相處的鯉魚》入選,但今年的作品在構圖上不如去年,顯得過於散漫,尤其是畫面上方的漩渦,頗令人在意。如果能將畫面縮小約三分之一,並刪去一、兩條鯉魚,雖然會顯得平凡,但整幅畫會更加緊湊。鯉魚本身都描繪得極為高雅,但筆觸卻過於一致,令人感到惋惜。
第三室
▲這個展覽間共陳列了二十一件作品,各自誇示著絢爛的色彩,若與陳列庄司文子氏作品《朝》的第一室相比,這間的作品更為優秀,而且作為掛在牆上的裝框畫作,已足以令人賞心悅目。
▲呂春成氏的《桃園郊外》是新入選的作品。完全沒有呈現出臺灣的風貌,整體顯得薄弱無力。
▲《母親肖像》,不僅是新入選,還獲得了特選與朝日賞。石本秋圃氏的這幅畫,充滿了毫無矯飾的純真與坦率,甚至連老母親拿著的古書冊上的文字,雖然極小,卻幾乎到了可以辨識的地步,但是否有必要畫到如此程度,這又是一個值得思考的問題。
▲《南國邨情》有表現出郭雪湖氏的風格,並刻意忽視正統的遠近法。若要挑剔的話,畫面中央的木瓜果實畫得太大了。
▲《黃莢花》,林阿琴氏之作。雖然林氏的努力值得肯定,但整個畫面填得太滿了。從構圖的角度來看,適度保留空白(space)也是有必要的,不是嗎?
▲《高秋》是新入選作品。喜多收一郎氏的這幅畫,整體洋溢著一種稚拙感,卻給人莫名的好感。由此可見,喜多氏確實擁有相當出色的藝術品味(sense)。
▲審查員陳進氏的《野邊》。陳氏技法越來越精湛,此畫是一幅非常清新之作。不過,希望能更進一歩表現出畫面背後的生活。
▲同樣是審查員的松林桂月氏之作《葡萄》。可援用「達筆(妙筆)」一詞來形容此畫,非常貼切。
▲《蕃山將霽》,審查員木下靜涯氏之作。或許是木下氏一貫的筆法,但畫中樹葉比樹幹更顯沉重,令人感到不安。不過,上方的山岳描寫卻極為出色,真正展現出山岳的氣勢。若能以山岳的表現為主導,整幅畫面應能更加緊湊有力。
▲林玉山氏的《驟雨》。此畫展現了林氏努力擺脫大和繪的新手法,嘗試描繪出具有臺灣特色的作品,這一點值得肯定。然而,作為推薦級的作品,或許可以更大膽地表現。此外,畫面右側的白雨線條過於醒目,就人物的動作和晾曬在竹竿上的衣物的飄動等等描寫來看,應該可以省略。
▲朱芾亭氏的《水鄉秋趣》,是臺展中少見的南畫作品。墨色運用豐富,但畫面稍顯散漫,且幾乎完全忽視了遠近法,導致前景與後景分離,讓人有如同在觀看兩幅畫的感覺,這是令人惋惜之處。
(圖版)《女孩》(西洋畫特選第三名)李石樵
▲呂鐵州氏的《栴檀》,是一幅毫無矯飾的裝框畫作,可算是上乘之作。
▲《藪蔭》,林雪洲氏之作。畫中的竹子、鳥、枇杷,感覺都在晃動,缺乏安定感。
▲高梨勝瀞氏的《蔬菜園》。這是一件以純真之心描繪、令人感受到暖意的佳品。值得注意的是,畫框的深青色極大地襯托了作品的效果。若說要裝上畫框才能稱得上是一幅畫,那麼這點在此顯現的便是百分之百的絕佳搭配。
▲《綠之蔭》,西川和子氏之作。在花鳥畫之中可算是出色而真摯的作品,技法上的進步也十分明顯。
▲盧雲友氏的《梨子棚》,榮獲特選與臺展賞。此作構圖佳,可說是一件大型的努力之作。
▲市來栞(譯註2)氏的《金魚(譯註3)》。此畫值得讚賞的是其流露出的純真感。
▲不破周子氏的《南叢》。此畫恐怕是臺展東洋畫中最富有獨特(unique)韻味的一件作品。這完全是一幅正統的東洋畫。若說繪畫中有所謂「漂亮」與「美麗」的區別,那麼此作並非僅僅「漂亮」,而是充滿了真正的「美」。此作在略帶渾濁的色彩中流淌著一抹渾然天成的「美」,是其他畫作所不及的。不破氏真摯的精進,值得讚賞。
▲《製麵二題》,陳敬輝氏之作。很即興的線描,感覺內容單薄,像插畫。
▲村上無羅氏的《馬蘭社的印象》。此畫與西洋畫的鹽月(桃甫)氏的題材(motif)相同,但與鹽月氏的詩性描寫相比,此畫則構圖散漫,缺乏緊湊感,令人遺憾。
▲白子修二郎氏的《護法山出雲寺》。此作採用了純粹的新興大和繪的手法,卻沒有特別出色之處。
▲《谿間之春》,此為三部曲(三幅一組)之中的《蕃人》(譯註4),並獲得了特選與臺展賞。這幅畫延續了秋山春水氏向來「過於精美」的風格。若能在其中融入生活的氣息,將會更加出色。
▲審查員鄉原古統氏的《臺灣山海屏風》。這是一件(六曲)一雙(譯註5)的大型屏風作品。相比去年,確實更具努力之姿,但若要論及這兩隻的優劣,則右隻更佳。左隻的技法稍顯混濁,以至於在素人(外行人)眼中,樹木與岩石難以分辨。
▲《秋近》是呂鐵州氏之作。從構圖方面來看,天空的雲彩稍嫌過多,似乎破壞了下方緊密的構圖。
第四室
▲《林間之秋》,蔡雲岩氏之作。頗具努力的一件作品,但樹葉的技法顯得過於反覆一致,水的畫法也過於僵硬。
▲《白羊》,張秋禾氏之作。遺憾的是,張氏對羊的寫生並不真切。若不能建立在更為細緻的觀察之上,作品便難以真正生動。
▲《待宵草》,宮田彌太郎氏之作。雖然帶有浪漫的(romantic)韻味,令人難以捨棄,但畫面有點太過通俗,顯得不夠高雅。
▲《塔山》,常久常春氏之作。此作是引起爭議的(四曲)一雙屏風中的右隻,就我個人看法,兩隻都要落選才對。若畫面的重點在於中央的塔山,那麼此畫完全是失敗之作。岩石的質感完全沒有表現出來,講白了,比較像樹木的感覺。臺展當局者以「技術奨勵」為名,出於溫情主義而讓半邊的作品入選,但看了這幅畫,覺得這種溫情主義還是要適可而止。應該以嚴格公正的大局為重,採用嚴選主義才對。
▲《舞姬》,石原紫山氏之作。此畫有帝展作品的影子,這在技法或構圖上都可以看到。遺憾的是,女性的臉部描寫過於甜美。
▲《虎》,羅訪梅氏之作。僅僅給人一種標本畫的感覺。
臺展漫評 東洋画を観る
林鹿二
臺展も今年で八回目を迎へ、二十六日から一般に公開されたが、その中東洋画入選五十七点を見、各室順に目ぼしい物を拾ひ上げて左に気付いた点を述べることにする
第一室
▲この室で目ぼしいものは、余徳煌、佐々木栗軒、郭雪湖、野田民也の諸氏の作品である
▲先づ余徳煌氏の『佛桑花』新入選の一人であり、仲々の大作であるが、筆触、構図共に呂鉄洲氏張りで新味に乏しい。努力的だと云ふより外はない。
▲佐々木栗軒氏の『幽境』今年の臺展で南画を描いてゐるのはこの人と朱芾亭氏の二人だけ、昨年よりは幾分写実味を加へて来た事は悦ばしいが、前面の岩の描き方が皆同一筆法なのが惜まれる。
▲『野塘秋意』郭雪湖氏一流の線描に成るもので充分物質感をその中に盛る事を目指してゐるが昨年の『南瓜』と同程度のもの若き熱意に燃える氏に今一歩突き進んだものを望みたい。
▲野田民也氏の『菜圃 』は写生的なものに過ぎないが昨年に比し技法に進境を認める。
第二室
▲先づ安東翠氏の『若竹』殆ど毎年入選しながら別に技法の進歩を認めないのは遺憾である。
▲『春のアルプス』在パリの那須雅城氏得意のアルプス物であるが、今年のは感心しない。画面の真中に頑張つてる主山の物質感が不足して木の様に見えるのは絵の中心であるだけ甚だ拙い
▲『南国の空を彩るもの』盛晴水氏の作。素直に写し描いてゐるが、惜まれるのはやや散漫に流れて絵の中心点がない事だ。
▲『群鯉』謝清埤氏は昨年も鯉を取扱つた『睦まじき鯉』で入選したが、今年の鯉は昨年のに比して構図で劣つてゐる。やや散漫になり過ぎ、特に上部の渦が気になる、もう三分の一位画面を縮小し一二匹削つたら平凡だがもつと引緊つたものになると思ふ。鯉は何れも極めて上品に描かれてゐるが、筆調が何れも同じなのが惜まれる。
第三室
▲この室は□慮二十一点を陳列しとりどりに絢爛さを誇つてゐるが、先づ庄司文子氏の第一室の『朝』よりはこの方を取る。額面として充分たのしめる。
▲呂春成氏の『桃園郊外』新入選だが少しも臺灣の感じがない力弱いもの。
▲『母の肖像』新入選でしかも特選、朝日賞の石本秋圃氏のこの作は非常に嫌味のない素直な純真さに溢れたもの、それは老母の手にした古書冊の字まで、細かいがはつきりと判読出来る迄に徹底したものだが、そこ迄を必要とするかどうかと云ふ問題は自ら又別であらう。
▲『南国邨情』郭雪湖氏の調子の出たもので一流の遠近法を無視したもの、難を云へば中央の木瓜実が正に大き過ぎた。
▲『黄莢花』林氏阿琴氏の作。努力は買へるが、餘り一面に埋め過ぎてゐる。スペースをとる事も構図の上では必須な事ではあるまいか。
▲『高秋』新入選の喜多収一郎氏のこの作は全面に漲る一種の稚拙感が妙に好感を与える。此の点氏は確かに多分に立派なセンスの所有者である。
▲『野辺』審査員陳氏進氏は技法愈々冴えを見せて、この作は実にすつきりとしたものである。しかし今一歩進んで絵の奥にある生活が滲み出る事を望みたい
▲『葡萄』同じく審査員の松林桂月氏の作。達筆と云ふ言葉がぴつたりと当はまる絵だ。
▲『蕃山将霽』審査員木下静涯氏の作。氏一流の筆法かも知れないが、木の葉が幹よりも非常に重く感じられて不安である、しかし上部の山は実に立派である山の感じで行けば画面はもつと引緊つたものが出来上つたかと思はれる。
▲『白雨迫る』林玉山氏のこの作に見る大和絵の新しい手法から抜け出て臺灣らしい絵を描く努力は多とするが、推薦級のものとしてもう少し思ひ切つて描いてよいだらう。ただこの絵の右隅の白雨の線は可成り目立ち、人物、洗濯物の動き等から考へてなくもがなと思はせる。
▲『水郷秋趣』臺展に少ない南画家朱芾亭氏の作。墨色豊かだがやや散漫で遠近法を可成無視し絵の前景と後景が分離し、二つの絵を見せられてゐる感じがするのは惜い。
(図版)ムスメ(西洋画特選三席)李石樵
▲『栴檀』呂鉄洲氏のこの作は嫌味のない額面ものとして上乗の作。
▲『藪蔭』林雪洲氏の作。竹、鳥枇杷みな動いて感じ。安定感がない。
▲『蔬菜園』高梨勝瀞氏のこの作は純な気持で描いた暖かみを感ぜしめる佳品と云ふところ。この作で考へさせられるのは額縁の深青色が非常に絵を引立たせてゐる事だ。額縁あつての絵とすれば、その点では百パーセントのよき配合を示してゐる。
▲『緑の蔭』西川和子氏の作。花鳥の中でも出色の真摯な作、技法の進境も目立つ。
▲『梨子棚』特選、臺展賞の盧雲友氏のこの作は構図よく大きな努力的作品と言へる。
▲『魚金』市来シオリ氏のこの作の純真さを採りたい。
▲『南叢』不破周子氏のこの作は恐らく臺展東洋画中最もユニークな味に富んだもの。全く本格的な絵であり、絵に所謂「美しい」と云ふ事と「綺麗」と云ふ事があるとすれば、この作は正に「綺麗」な絵でなくて「美しさ」の漲つた絵である。薄濁つた着色の中に流れる一脈の混然としたこの絵の「美しさ」は他に比肩するものがない。氏の真摯な精進を讃へたい。
▲『製麺二題』陳敬輝氏作。線描は思ひつきだが、何となく挿画的な薄さを感ぜしめる。
▲『馬蘭社の印象』村上無羅氏のこの作は西洋画の塩月氏と同じモーチフを感するが然しながら塩月氏の詩的なるに比べてこれは遺憾ながら散漫で引緊つた所がない。
▲『護法山出雲寺』白子修二郎氏のこの作は純粋の新興大和絵の手法に拠つたもの。別に出色の点はないと思ふ。
▲『谿間之春』三部作の中の『蕃人』であつて、特選、臺展賞であるが、秋山春水氏一流の綺麗過ぎる絵。これに生活が盛れれば素晴らしいと思はれるが……
▲『臺灣山海屏風』審査員郷原古統氏のこの作は二双の大画。昨年よりずつと努力的ではあるが若し二双の中どちらを推すかと云へば、右手の方を推したい。左手の技法やや混濁して素人眼には木と岩の区別のつかない所がある。
▲『秋近し』呂鉄洲氏作。構図の上から見て空の雲がやや過ぎて、下部の緊密な構図を破つてゐる様に思はれる。
第四室
▲『林間の秋』蔡雲岩氏作。仲々努力的な作品だが、木の葉の技法に反復同一なものがあり、又水の描方も硬過ぎる。
▲『白羊』張秋禾氏作。残念ながら氏の羊の写生はほんとうでない。今少し細密な観察の上に立たなければ生きて来ないと思ふ
▲『待宵草』宮田彌太郎氏作。ロマンチックな味はひがあり捨て難いが、画面が少し通俗化して出来上つた。
▲『塔山』常久常春氏のこの作は問題になつた二双の中の片方だが、私に云はすれば寧ろ全部落した方がよかつたと思はれる位だ。画面の中央を占むる塔山の姿が狙ひ所とすればこれは全く失敗の作であらう、岩質の物質感がさつぱり出てゐず、木の感じと云ふのが忌憚ない言葉だ臺展当局者は技術奨励の意味でとか云つて温情主義からこの片方を拾ひ上げたが、この絵を見ては温情主義もよい加減にして貰ひたいと思ふ。もつと厳正な大局的な立場から厳選主義を採るのが本本当であらう。
▲『舞姫』石原紫山氏のこの作は帝展張りで、技法なり構図なりにそれが見られる。惜むらくは女の顔が少し甘くなり過ぎた感じ
▲『虎』羅訪梅氏作。標本画の感じだけのもの。
—原載《臺灣日日新報》,1934-10-29(3版)。
(辨識、翻譯/李淑珠)
註釋
譯註1. 原文「呂鐵洲」的「洲」為誤植。以下同。
譯註2. 市來的名字「栞」,讀音為「Shiwori」,常以「シヲリ」或「シオリ」、「しをり」、「しおり」來標示,而非漢字。
譯註3. 原文「魚金」為誤植。
譯註4. 另外兩幅畫作究竟是未出品還是落選,仍有待後續研究。
譯註5. 原文「二双」為「一双」的誤植。以下同。
