鄭登山

    一

 首次開展的第一回「臺灣美術展覽會」,由臺灣教育會於十月二十八日在臺北樺山小學校舉辦。對於此美術展的舉辦,不僅守居絕海孤島的美術愛好者們,連一般的群眾也抱持著莫大的興味與期待。

  就這個意義來說,此次的第一回「臺灣美術展覽會」勢必帶給了臺灣的美術界(?)非常大的影響。然而,我們的期待多被背叛了。其陳列部門區分為東洋畫(純日本畫)與西洋畫的兩部,入選作品的總件數多達一百零九件,卻一件彫刻也沒有,這或許就是此美術展的特色(?),但同時也足以證明此美術展的幼稚。而這也並未帶給我們任何印象或興趣。

    二

  臺灣人的青年男女畫家的入選件數二十八件中,有日本畫六件、西洋畫二十二件,每一幅都描寫精巧,致力於作為繪畫的表現。對於其為了榮獲入選所付出的努力,我們都深表敬意,這是無庸置疑的。然而,從我們作為臺灣人的立場來看,當論及「臺灣的美術」時,首先必須考慮的是藝術的內容。而藝術的內容,全都在其生活裡,在其社會生活的環境裡。

  因此,臺灣人的青年男女畫家所描繪的「新臺灣繪畫」,當然必須比其他的作品「更」寫實地、精彩地表現出嶄新內容的特殊性――即民族性。若以此為前提,我們在吟味此次臺灣人的青年男女畫家的作品之際,就會感覺到一些不足之處。

    三

  總之,對於此美術展,在其旨趣方面的確有很大的期待,但在其繪畫方面因為過於缺乏生活內容,與現實生活脫鉤,而令人失望。

  重要的,不是為藝術而藝術,而應該是為生活而藝術。

   ——一九二七年・十月・二十七日——


「臺灣美術展」を見て——内容の乏しさに失望する——

鄭登山

    一

始めて開かれる第一回「臺灣美術展覧会」は臺灣教育会に由つて、去る十月二十八日臺北樺山小学校に於て開催された。此の美術展の開催に対して絶海孤島は守居せる美術愛好者達は勿論、一般の人達も多大なる興味と期待とを持つてゐるであらう。

 此の意味に於て今度の第一回「臺灣美術展覧会」は、臺灣の美術界(?)に大きな影響を及ぼさねばならぬものだと思ふ。だが、吾々の期待は多く裏切られてしまつた。其の陳列の部門は東洋画(純日本画)と西洋画との二部に分けてゐる、入選の総点数百九点もあるに対し、彫刻の全然ないのは此の美術展の特色(?)であると同時にその幼稚さを証明するに余り有る。吾々に何等の印象と感興をも与へない。

    二

 臺灣人青年男女画家の入選点数二十八点の中、日本画六点、西洋画二十二点、何れも精巧に描写し絵画としての表現は尽してゐる。その入選し得る迄での努力に対して吾々は深甚なる敬意を表するのは、言ふ迄でもない。だがしかし、吾々は臺灣人としての立場から「臺灣の美術」を論ずる時、先づ芸術の内容を考へねばならん。芸術の内容はすべてその生活にある。その社会的生活の環境にあるのである。

 故に、臺灣人青年男女画家の描く「新臺灣絵画」は、当然モツト写実的に他の作品よりも素的に斬新な内容の特別性――民族性を表現せねばたらぬものである。此を前提として、吾々は今度臺灣人青年男女画家の作品の内容を吟味するに、聊か物足らぬ感じがする。

    三

 総じて、此の美術展に対し、趣旨に於ては大いに期待するが、その絵画に就ては余りに生活内容に乏しく現実生活と縁遠いのに失望する。

 要は、芸術の為の芸術でなく、生活の為の芸術だ。

   ——一九二七・一〇・二七日——

—原載《臺灣日日新報》,1927-10-30(日刊12版)

(辨識、翻譯/李淑珠)