臺灣美術展覽會(十一月)二十五日下午一點在臺展事務所召開幹事會,由杉本(良)文教局長、島內(臺灣)審查員以及各幹事出席,討論了特選畫的購買等其他議題,在這次的幹事會席上決定了將臺展出品畫的一部分約六十件運往臺中,在該市的公會堂從十二月四日至八日的五天舉辦臺展。主辦單位是臺灣教育會臺中支部,至於辦展所需費用八百圓,則由該支部負擔。此計畫始於臺展幹事蒲田(丈夫)的居中斡旋,二十五日這天才達成最後的決議,但往臺中移送的畫作僅限得到畫家本人之同意者,其他如作品賣約的甲方為個人者或搬不進貨車的大作(大尺幅畫作)除外。臺展的中南部進出是自前年(1927)以來的課題,因為水越(幸一)知事對美術知之甚深,所以第一站才選擇在臺中市舉辦,而這次的舉辦也總算是完成了一部分的宿願,沒有比這個更值得高興的了。此外,臺灣教育會還表示如果臺中的會場夠大,前二屆購買的畫作數件也會安排一起出品陳列(展示)。
臺展出品画の一部を 臺中に持つてゆく 十二月四日から八日迄五日間 同地公会堂に展観
臺灣美術展覧会では二十五日午後一時から臺展事務所に幹事会を開き杉本文教局長以下島内審査員各幹事出席特選画買上げの件其の他を議したが同会合席上臺展出品画の一部約六十点を臺中に移し同市にて十二月四日より八日迄五日間公会堂にて臺展を開催することを決定した、主催は臺灣教育会臺中支部で之に要する費用八百円は同支部の負担とすることになつた、此の計画に蒲田臺展幹事の橋渡しで話が始まり、二十五日最後の決定を見るに至つたものであるが臺中への移送画は本人の承諾を得たものゝみに限り其他個人買約や貨車にも入らぬ大作は除外されるのである臺展の中南部進出は先年来の宿題であつたが水越知事の美術に対する好き理解に依て第一着に臺中市に於て開催を見るに至つたことは宿望の一端が達せられた訳で此の上ない喜びであらう尚ほ臺灣教育会では臺中の会場が許すならば前二回の買上げ画数点をも陳列する手筈になつてゐるといふ
─原載《臺灣日日新報》,1929-11-26(日刊7版)
(辨識、翻譯/李淑珠)