一記者

一談及藝術家,大概都會想像個性爽朗的一群人,然而,令人意外的是這種個性爽朗之人其實並不多。不管是站起來,還是跌倒,達摩(不倒翁)到底是達摩,在七跌八起後,還能百折不撓,大徹大悟;需要悟性的藝術也是一樣,必須歷經不斷淘汰的珍貴試煉,才能成為光彩耀目的作品。

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既然不可能有「必須讓基隆洋畫會入選幾件」的規定,那麼就算該洋畫(油畫)會員出品的傑作三件入選,其他所有作品(七十餘件)都落選,也沒必要悻悻然地到處惡意中傷吧?如同達摩大師的七跌八起,先自我反省之所以落選是因為不夠成熟,並將此視為試煉之鞭,更加努力精進,如何?

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真偽先不予置評,針對別人的入選作品,欲援用「製作完成一年以上者不得出品」的出品規則來挑毛病的人,這種人,幸或不幸,自己遭到落選的作品,一樣違反了「曾出品其他展覽會者不得出品」的規則,不也應該自我檢討一下嗎?

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其次是想給審查員的諸氏一句建言。可喜可賀的首次展覽會,卻在開展之前,內部便各種抱怨……,針對這些有關內部的爭議,即使暫且不論代作(代筆)或規則違反是真是假,都應該從問題的根本面上重新思考。世上有許多不擅繪畫卻具有繪畫鑑賞力之人,若任命不擅繪畫之人為審查員,是不得已的,那麼,針對備受爭議的畫作,給予最後決定的石黑(英彥)審查委員長,應該率先辭職才對。循私苟且等等的非議不斷的今天,對於審查方法的改善,難道沒有認真考慮的必要嗎?


臺展漫語

一記者

芸術家と言ふものは、今少しサツパリした気持の人達のやうに想像して居た所案外サツパリした気分の人達の少ないのには一寸意外だつた、起きやうがコロがらうがダルマさんでは矢張りダルマさんで七転八起する間に大悟徹底して悟りを開いた芸術もそれと同じこと、落ちたり落されたりの尊い試練を経て後始めて光輝ある作品になる
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『基隆洋画会から何点入選させる』と言ふ規定があるわけでもないだらうし、洋画会員出品のケツ作を三点採つて、あと全部(七十余点)ふるひ落したからつて何もさうプリプリ怒つたり悪宣伝をする必要はなからう、ダルマ大師の七転八起と同じこと落されたのは未熟の為めと諦らめ、試練の鞭と思召し今一層御勉強なさつたらどう
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真偽は兎も角、入選した他人の作品に対し『製作後一年以上を経たるものは出品することを得ず』と言ふ出品規則を楯にとつてケチを付けやうとする程の人は幸か不幸か落選した自分達の作品が矢張り『他の展覧会に出品したるものは出品することを得ず』の規則違反であることも反省する必要がありはしまいか
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序に審査員と申す方々に一言申上げる芽出度からべき初めての展覧会の未だ蓋も開かない内から色々なケチが……而かも内部からついたことに対しては代作と規則違反の真否を別として、もつともつと根本から考へて貰ひたいものである、世の中には絵を画く腕を持たなくても絵を鑑識する眼を持つた人々が沢山居る、若し絵を画けないやうなのもを審査員にしても仕方がないと言ふならば問題になつた絵に最後の決定を与へる石黒審査委員長は真先きに審査員を辞任しなければなるまい、情実関係云云で非難されて居る今日、審査方法の改善に就ては相当に考慮を払ふ必要がありはしまいか?

—原載《臺灣日日新報》,1927-10-26(日刊5版)

(辨識、翻譯/李淑珠)