Opinion

◇秋天是美術的季節(season),這已是我們的常識。自去年來臺以來,這是第二次觀賞臺展。日前拜見第八回臺展,作為一個素人(外行人),想就去年以來一直積累於胸的針對東洋畫的感想,略述一二。或許有人認為,豪華絢爛的色彩讚歌開拓了真正的美之世界,在大部分的畫作中都能見到極為細緻的描繪,例如花鳥畫中,每一片葉子都以鮮明的色彩塗出,這種微細的努力令人敬佩。然而,是否非得如此細心緻密的工作,才能表現出事物的質感呢?

◇寫生,據說這是從東洋畫的精神中衍生出來的一種細膩(delicacy)的智慧。然而,那種流於表面的觀察,往往使作者的眼睛被現實中得美麗的色彩所眩惑。奪人眼目的鮮麗彩調,其實與真正的美相距甚遠。

◇漂亮的畫作,從顏料的性質來看,任何畫師都能夠完成,因此,必須從只是漂亮,進而追求更高層次的美不可。畫得美,這是作為畫家的基本要素,但若忘卻了真正的美,只是一味重複漂亮的表象與偽造,便使得會場充斥著空洞的作品,這種現象不僅存在於臺展的東洋畫,在帝展中也同樣可見。

◇在此值得深思的問題是,我們的生活是否應該滿足於這些掛在展示間裡的漂亮畫作。至少其中必須有能觸動並揭示近代人心靈的強大力量,並以美的形式表現出來,否則即便每年展覽會不斷重複舉辦,也只是毫無意義的工作,而這些畫工們若僅止於製造漂亮的畫面,不如轉向海報(poster)或服飾設計的領域,既能確保生活的安定,也更為合適。

◇真正疼愛子女的父母,不會因為膚淺的獨斷而表現出過於單純愚劣的愛情。如果這句話是要表達從前日本那種「可愛則令其遠行」的深厚體貼之心,那麼我之所以提出近似苦汁的言辭,正是出於此。若有冒犯之處,尚祈鑒諒!


公開欄/臺展の作品に 一筆啓上

オピニオン

◇秋は美術のシーズンであるとは己に我々の常識である、去年渡臺してから之れで二回臺展に御目にかかる訳だが第八回臺展を先日拝見して去年から負債になつてゐる東洋画の感想を一つ素人として書かしてもらふ。豪華絢爛な色彩の謳歌が正しい美の世界を開発したと言ふのであらう、大部分の絵に見出す克明細心な描写、例へば花鳥画にした所で一葉一葉を美々しい生な色合で塗り出してある微細な努力には敬服するのだが、然し斯様な細心緻密な仕事を為さねば物の本質感が出ないのであらうか

◇写生これは東洋画の精神から□出されたデチカシイの智恵であると聞く、皮相的観方が現実の美麗なる色彩感に眩惑された作者の眼では無いだらう、眼を奪ふ華やかな鮮麗な彩色調は真実の美から多分に遠ざかつてゐる

◇綺麗な絵は絵具の性質から兎に角の絵師には揃出出来得るものであつて見れば唯綺麗さのみである所から前進した美しさの追求でなくてはならぬ。美しく描く、之れは画家の要素である。美しく描くのを忘却して単なる綺麗事の反覆と偽造とが会場を充満させて居るのは臺展の東洋画ばかりで無く、帝展にも見出される現象なのである

◇茲に一考さる可きは我々の生活が、此の部屋に飾られた綺麗ことの絵で満足さる可きであらかの問題である。少くとも其処に何等かの近代人の心を捉へて露さないものが無くてはならぬと言ふ激しい力を美として盛り上げて呉れぬ以上、毎年何回展覧会を繰り返された所で夫れは凡そ意味ない仕事で之等の画工さん達はポスターか衣服図案の方面へ転向された方が生活の安定も確立するし宜しからうと存ずる

◇真に子を想ふ親は皮相的な独断から餘りにも単純愚劣な愛情を表明せぬものだ。可愛ければ旅をさせた昔の日本の深い想ひやりを意味すれば斯くは苦汁に似た言葉を呈する次第也、御心当りの方には万全乞諒蒙

—原載《臺灣日日新報》,1934-10-31(3版)。

(辨識、翻譯/李淑珠)