成為本島藝術趣味涵養先驅的臺灣美術展覽會,終於□□,具體方案一一成形。觀察
本島的文化
發展的現況,在各方面,很多地方都仍有待發展,像藝術方面的機構,也的確是其中之一。近來,本島在住者之間,對藝術的愛好頗高,本島青年,有些人自東京美術學校(現東京藝術大學)畢業,有些人在學中,也有些人的作品入選帝展(帝國美術展覽會)(譯註1),有志於東京音樂學校及其他美術方面的人,越來越多。這些現象證明本島在精神層面上,比以前更傾向往此方面伸展,趁此時機,創辦一個有效的機構,是目前之急務。臺灣美術展覽會為了因應這個
社會需求
將每年舉辦一次展覽會,讓本島在住作家的畫作聚集一堂,除了製造作家相互鑑賞的機會,同時也期待能普及與發展一般民眾的藝術趣味。因為是第一回,經過關係者慎重協議的結果,決定自十月二十八日至十一月六日止,於臺北樺山小學校內舉辦。出品畫有鑑於現況,僅限東洋畫與洋畫(西洋畫)兩種,並以臺灣在住者的製作為主,而促使這些美術之□綻放的這個展覽會,正是精研藝道者的試金之秋,亦是向來遠離
藝術恩澤
的本島人士的福音。最後,出品者可依左列規定提出申請
一、出品物以一人三件為限,添附本會所定之出品申請書,自十月十日至十月十四日止,將出品物搬至樺山小學校內的出品物受理處,並領取所定之出品收據。
一、如欲索取出品申請書,請附上回郵函詢總督府教育會。
一、出品物的包裝、搬入及搬出等一切費用,由出品者自行負擔。
一、出品物經由審查委員鑑查後,合格者方能陳列。
一、優秀者經審查後依適當的方式獎賞之。
詳情請洽詢事務所。
具体案が成つた 臺灣美術展覧会 十月二十八日から十日間 樺山小学校に開催
本島芸術趣味涵養の先駆となる臺灣美術展覧会は漸く□□しいよいよ具体案が成つた
本島の文化
発達の現情から観て発展の余地は頗る多いが芸術に対する施設の如きも確かにその一つである近来本島在住者の間に芸術に対する愛好熱が高まり本島青年にして東京美術学校を卒業したものや在学中のもの又帝展等に入選したものもあり東京音楽学校其他美術方面に志する者も頗る多い、これは本島の精神界が従来に比し一層この方面に向つて動いて来た事を証するものでこの機運に乗じ有効な施設をなすことは喫緊なことである、臺灣美術展覧会はこの
社会的要求
によつて成り毎年一回展覧会を開き本島在住の作家の作品を一室に聚め作家相互に鑑賞の機会を作り併せて一般民衆に芸術趣味の普及発達を図る目的であるその第一回は最初の事とて関係者慎重協議の結果十月二十八日から十一月六日迄臺北樺山小学校内で開催する事に決定した出品画は現状に鑑み東洋画と洋画の二種とし臺灣在住者の製作に係るものを主とした美術の□を彩るこの展覧会こそこの道に精進する人の試金の秋であり
芸術の恵み
に遠ざかつてゐる本島人士の福音であらう、尚ほ出品者は左記により申込まれたいと
一、出品物は一人三点以内とし所定の出品申込書を添ヘ十月十日から十月十四日迄樺山小学校内出品物受付に搬入し所定の出品受領証を受ける事
一、出品申込書を要するものは返信料を添ヘ総督府内教育会へ照合の事
一、出品物の荷造搬入及搬出に要する一切の費用は出品者の負担とす
一、出品物は審査委員に於て鑑査し合格したものに限り陳列す
一、優秀なものには審査の上適当な方法で推奨す
詳細は事務所に照合されたい
─原載《臺灣日日新報》,1927-04-14 (日刊5版)
(辨識、翻譯/李淑珠)
註釋
譯註1. 黃土水的雕刻〈蕃童〉(山童吹笛)及陳澄波的油畫〈嘉義の町はづれ〉(嘉義街外),分別入選1920年第二回和1926年第七回帝展的雕刻部及西洋畫部。