立石鐵臣
給本島人(臺人)作家的課題
曾經去霧峰拜訪林獻堂氏時,被請進一間大廳,裡頭掛有一幅林獻堂氏的肖像油畫。畫看上去還不錯,走近察看簽名,原來是李石樵君的手筆。李君描繪的肖像畫作,之後在臺陽展會場看到時,也依然覺得令人賞心悅目。畫家似乎歷經過許多肖像畫的學習,雖無深刻的性格描寫,但卻能以其熟練的描法,將創作對象表現地栩栩如生。但李君既有如此多描繪肖像畫的良機,實應更加用心,傾全力以更具深度的觀察力來描繪對象才好。肖像畫之外,李君還有不少的風俗畫創作,並有所謂的「文展型」之稱,出品展覽會的力作,多屬此類,但我對這些風俗畫,並無太大的興趣。李梅樹君也以搭配人物的風俗畫為其力作,但難道他以為只有這樣的題材才能成為力作嗎?道具擺設一應俱全的風俗畫,將之視為力作的想法,實在有失格調。在此並非否定風俗畫的存在,但過於千篇一律,畫作則精神盡失。
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李石樵君的〈小憩〉,是一幅表現有閒夫人閒得發慌的風俗畫,畫面上一位美女正在躺椅上打盹。用筆比李梅樹君更明快。李梅樹君〈麗日〉則以田園為背景,看似當地的一名少女與數人聚在一處,神情明顯在意觀者。這樣的農村風俗描寫,比有閒夫人畫作的立意更佳嗎?絕非如此。在創作意圖上,兩幅其實是五十步笑百步,都沒有特別的主張。跟李石樵君的畫一樣,李梅樹君的模特兒只是為了畫作擺姿勢,不具群像描寫的結構,加上李梅樹君的筆法晦澀,所以我個人比較欣賞李石樵君的畫,明快俐落。 我認為李石樵君或李梅樹君對風俗畫的興趣,是基於會場藝術的考量,因為一旦決定了這樣的創作動機,畫面的處理,就等於有了重點。否則,風俗畫的題材或創作此類畫作的意識,就現在這樣的時局,非有極大的改變不可。因為當捨棄對藝術本質的百般追求時,自然會立即對新興風俗產生興趣,因此,若不畫下最能呈現當下緊張氛圍的風俗,豈不是畫家的怠惰而已?
李石樵、李梅樹、楊佐三郎、陳澄波、秋永繼春(譯註1)、田中清汾(譯註2)等人的三年期限的推薦資格,都是今年到期,並再次擠進了推(譯註3)薦這個榮譽的名單,在此特別只列出本島人諸君,是因為想要思考一下從他們身上所看到的共通的藝術精進的性格。有這樣的想法,是有原因的,並非對他們隨便投以奇怪的眼光。
兩位李君的今年畫作,剛剛已經談過。來看一下其他諸君的今年作品。田中清汾君的作品,是一幅描寫支那美人的漂亮肖像畫(譯註4)。要說此類題材的最高傑作,當然非馬內(Édouard Manet)的畫作莫屬。田中君的身旁好友,大概是野口彌太郎氏吧!我認為田中君不是很有才氣,因為就像馬內或野口氏一樣,崇尚簡潔風雅的都會人,通常容易偏愛受到簡潔風雅的環境薰陶的筆法簡潔風雅的作品,但這幅肖像畫給人的感受,就像是冒充法國品牌的科蒂(Coty)化妝品的仿製品,粗劣不堪,真是一點也不長進的作品。田中君年輕時留學巴黎,曾創作過許多令人對其未來發展滿懷期待的純情傑作。在臺北帝國大學文政學部(今臺灣大學文學院)還掛有一幅他當時的作品,偶而有幸觀賞,此畫之美,即使是現在,也令人捨不得移開目光。陳澄波君和秋永繼春君的作品,雖然很努力,但成果很差。極端來說,兩人好似身陷前程未卜的污泥,卻還一副悠哉的樣子。例如秋永君的〈家〉若與其同題材、作者為一般出品者的宮津一則〈博物館〉相比較,〈博物館〉這幅較佳,描寫更為活潑有趣。楊佐三郎君的〈密集地帶〉,有別於其慣常呈現的溫和的自然描寫,以非常強烈的筆觸揮灑畫面。楊君的素描力薄弱,描繪人物畫時,常出現明顯的破綻,但至今仍未在其畫面上發現磨練過素描的痕跡。若是描繪風景,尚可以擅長的情趣表現,遮掩過去,但這樣的創作態度,實在很難看到往前邁進的腳步。不知眾人是否將這幅〈密集地帶〉視為楊君在創作上的重大突破?我絕不如此認為。總之,令人生厭,既無長進又意圖掩飾。畫面煞有其事的感覺,並非源自真正的藝術亢奮,而是刻意以生理作用營造出來的,導致令人無法感受到畫家內在的必然,描寫題材也缺乏更有深度的表現。乍看之下,會以為是源自創作逼近極限所引發的感動,但其實只是在裝模作樣,楊君還為此忽視了應該努力精進的創作本分,實在是幅令人可嘆的畫。
以上這些作品的共通性格,是對藝術的思考及精進畫藝的方法,都既不夠遠大又太草率。李梅樹君或李石樵君的藝術創作,是孜孜不倦、努力耕耘的成果,但同時也是技法透過重複鍛練達到形式化,再慢慢地成熟生巧的一種具有侷限性的創作,這可以從兩人的畫風上窺知。至於其他諸君的創作,也都一樣太過於懶散且隨便。年輕時,在技法的磨鍊上往一定的水準邁進時,途中或許會有顯著的成長,但若將之誤以為是得到了真正的發展,則等技法到達一定水準時,創作會開始陷入難以進步的繞圈子困境。而且不知何故,技法也會隨隨便便就安住於某種框架內,不思進取。此外,上述畫家不太思考構圖的結構性,不禁令人懷疑是否不知道何謂造形概念!言猶未盡,但這些現象,只要稍有觀畫素養的人,應該都不難發現,而上述這些本島人作家中的佼佼者的特性,究竟肇因於何?則是一個值得深入探討的課題。
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本島人畫家中不見新人的影子,這又是怎麼回事?這幾年,榮獲特選的本島人畫家,相當稀少,也沒有銳氣的新人入選。不過,就新人這點,內地人(日人)作家也一樣,真正能創作新鮮的畫作、具有年輕感性的新人,已經許久未見了。
創元展作家的態度
飯田實雄君領導的創元展,集聚於此的畫家們的創作,從今年的府展出品畫作,可以察覺他們的創作態度有些許改變。簡單來說,例如觀察創作對象的眼力較以前細膩、雜亂無章的材質描寫變得賞心悅目、每個人的畫風差異愈來愈明顯等等,這些改變都值得予以祝福。
此番飯田君的作品,與其說是創作,不如說更像是習作,但這或許是這個作家的退一步前進兩步的策略。這個作家擅長以具有野心的構圖製作大型畫作,卻也破綻百出。暫時放下這種野心,專注於創作對象並顯示出學習態度,這對今後的飯田君的發展,必定助益匪淺。因此,我對於飯田君的這幅模特兒的擺姿頗令人印象深刻的作品,其實是有好感的。
本誌九月號刊載的拙文〈臺灣美術論〉中,曾提及創元展作家的缺點,亦建議暑期講習會的舉辦對缺點的改善應該會有很大的幫助等等,很高興我沒有說錯。其他的畫家們,也都能感受到每個人的態度有良好的改變。只不過,畫面過於平板、空間感不足,這點有深刻反省的必要,因為這個缺點並非在於立體的平面化表現,而是在於平面的平面表現。
鼎立的三人
新見棋一郎君的作品頗受到矚目。新見君、山下武夫君、桑田喜好君,這三人有共通的創作態度,似有鼎立之勢,但今年以新見君的表現最為突出。新見君在三人之中感覺較無特色,筆法也不甚熟練,但或許也因如此而在創作上不會固步自封,在與創作對象的氣息互通上,也更為自由。山下君的作品,與其說是藉由深度觀察創作對象而得來的成果,感覺比較像是事先安排好的某種場景,雖然具有畫面效果,但要傳達給觀者的訊息,仍嫌不足,因為感覺好像是在用我們畫家彼此之間互通的行話,也可以稱作專門術語或小圈子內的黑話,這幅畫就是給人如此印象。問題出在這個作家的藝術探求態度的潔癖上,情況宛如著魔。山下君的創作,到了不把這個魔驅除不可的地步,實可謂純粹的悲哀。桑田君在三人之中最具建構式畫風,也身負推展此類畫風的任務,但看起來好像只能期待其明年的作品了。
〈黄葉群〉
鹽月桃甫氏的〈黄葉群〉,堪稱其代表作中之代表作。此作使我想起以往一些令我印象深刻的作品,但從〈黄葉群〉所感受到的,更勝於那些作品。反觀來臺審查員的作品,技巧雖然水準以上,卻非感人肺腑之作。在臺灣很難有機會看到優秀的先進畫家之作,偶而有幸觀摩,卻是這種呈現技巧語法的作品,令人不勝寂寞。 然而,鹽月氏的〈黄葉群〉是對藝術真正傾注熱情的上句(譯註5)。此作不成功便成仁的信念與愛,在創作對象與作者之間經過來回的交鋒、凝聚,最後才得以成形,以一幅畫作問世。即使畫面的效果不彰,但對作家的態度也應表達敬意,此外,眼下的時局,要完成任何一件事都非常不容易,而這幅上句,表現卻能如此出色,實在值得慶喜。
女流的畫家們
少了室谷早子的出品,女流陣營稍嫌寂寞,其中以根津静子、吉浦鈴子兩人較為突出。說到根津的畫,作者本人很健康,但作品流露的意象中卻隱隱浮現一條條蒼白的神經。這到底是怎麼回事?這是因為這個人的畫具備近代感,但也可能是因為畫本身偏冷色調的這個缺點所引起。這次出品的畫作是〈母與子〉,特別值得一提的是,小孩頭上花冠的描寫,極其美麗。可以看出畫家不拘泥於形式、乘興提筆的創作態度,其興致的節奏(rhythm),似乎在花冠的描寫上,最為活潑生動。
吉浦鈴子的〈賣水果的女孩〉,人物或水果等題材描寫,以及與背景之間的關係等等,有不太協調的缺點,但吉浦擁有與眾不同的感性,值得關注。期待這種特殊感性能得到更好的發揮,也期待今後的作品。 此外,有一幅不太顯眼的小品,即掛在三樓牆壁上作者名為河本千鶴子的〈廊下〉,我認為素質還不錯。記得此畫的人應該很少吧!
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對於西洋畫部的作品,其實言猶未盡,例如南風原朝光君的色彩、高田「高+香」(組字:「高」無「口」,下置「香」)(譯註6)君的作畫意識、表現光線的畫作極少,等等。但文筆已漸凌亂,聞雞鳴,清晨將至,疲倦導致思緒無法整理,也難以再繼續論及東洋畫部的作品。
府展記
立石鉄臣
本島人作家への課題
霧峰に林献堂氏をお訪ねした時、通された室に、林献堂氏の肖像を描いた油絵が懸けてあつた。気持のいい出来のものだつたので、近づいて署名を見たら、李石樵君の描いたものだつた。李君の描く肖像画は、その後、台陽展でも見、やはり気持ちのよさを感じた。数多く肖像画の勉強をした様子のもので、深い性格描写があるのではないが、手馴れた描法で、割合生き生きと対象を見たものである。李君の如き、肖像画を多く描く機会に恵れてゐるのであらうから、ますますそれへ念を入れ、もつともつと見つめ方を深くする方向へ精魂を傾けてほしい。肖像画をほかにしては、所謂文展型と云はれる風俗画をよく描き、展覧会への力作は、多くさうしたものであるが、私はその風俗画に、あまり興味が持てない。李梅樹君も人物を配置した風俗画を力作とするのであるが、さういふものでなければ力作とは思へないのであらうか。いかにも道具立ての揃つた風俗画を、力作とする考へ方は調子が低いやうに思ふ。風俗画の在存を否定するのではないが、あまりに紋切型で、絵に機勢がない。
李石樵君の『憩ひ』は、美女が寝椅子に寝てゐるもので、有閑夫人の有閑振りの風俗である。筆は李梅樹君より冴えてゐる。李梅樹君『麗日』は、田園をバックに、その土地の娘らしいのが何人か集つて観者を意識してゐる。これは農村の風俗だから、有閑夫人の絵より好意の持てる風俗かと云ふと、決してさうではない。作画意識はそれとこれと五十歩百歩で、特別の主張があるのではない。李石樵君の絵と同様、モデルが絵の為にポーズをしてゐるだけである。群像に構成がない、それを描く李梅樹君の筆は鈍いので、私はどちらかと云へば、李石樵君のテキパキした絵を眺める方がいい。
私は李石樵君や李梅樹君の風俗画への興味は、会場芸術といふものを考へ、それをさういふのもにきめてかゝり、それを如何に上手に纏めるかに眼目があるのではないかと思つてゐる。でなければ、風俗画の題材、それへの意識は、この時勢に、既に大きな変り方をしなければならないはづだと思ふ。第一義的な芸術への精進を捨ててゐるのならば、新しく生起した風俗へ直接の関心を自然に持ち、その時の最も緊張した風俗を残すのでなければ、怠惰にすぎはしないか。
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李石樵、李梅樹、楊佐三郎、陳澄波、秋永紀春、田中清汾の諸君は、いづれも今年で三年期限の推薦を終り、再び惟薦の榮譽を受けた人だちのうちに入るのだが、ここに殊更、本島人諸君だけをならべたのには、そこに見る共通の藝術精進の性格を考へてみたいからである。さういふ考へ方をさせるものがあつたからのことであり、無暗に氣妙な眼をはしらせたのではない。
二人の李君の今年作に就いては既に書いた。他の諸君の今年作をひとまづ見て見よう。田中清汾君の作品は、支那美人の麗かな肖像画である。このやうな絵の最も高いものを聯想するなら、かのマネーの如きであらう。田中君の身近な人を考へれば野口弥太郎氏であらう。私はマナーや野口氏の如き、洗練された都会人が、洗練された環境から生みだした、洗練された筆勢の絵に、容易にはしる田中君の才気を浅いと思ふ。コテイの化粧品を真似た意匠の、粗悪な化粧品に誤間化されるやうな感じをこの絵から受ける。何の精進もない作品である。田中君は若年フランスにあつて、純情をたたへた将来への発展を思はせる、いい絵を数多く描いてゐる。台大文政学部には、その仕事の一つが懸けてあつて、時折眺めることが出来るのであるが、今見ても、しばらくはそれに見とれさせるほどなのである。陳澄波君と秋永紀春君の作品は、努力しながら甚だ出來が惡い。極端に云へば、將來へどう伸びやうも無いやうな汚泥にまみれながら、可成り呑氣である。
秋永君の『家』と、同じ題材の『博物館』といふ宮津一則といふ一出品者の絵とを較べて見ると、『博物館』の方に柔軟な神経が通つて出来がいい。楊佐三郎君の『密集地帯』は、いつもの温和な自然描写のものでなく、甚だ激しい勢ひで筆をはしらせてゐる。楊君は素描力の貧しい人で、人物画を描く時、いつもその欠点が明らかに出るのであるが、一向に素描力の錬磨をした様子が画面に出ない。風景にあつては、持ち味の情趣が、それを隠すのであつたが、仕事振りには、前進する歩みが見られ難いのであつた。人はさうした楊君の仕事が、この『密集地帯』によつて大きく動き出したと瞳目するのであらうか。私は決してさうは思はない。一言で云へば嫌味で、精進がなく誤間化しである。物々しい感じは、真の芸術的興奮に成るのではなく、作られた生理的作用によるものであつて、作者の内的必然を感じさせず、対象への肉薄がない。一見、せつぱつまつた感動によるもののやうで、実はその様子振りであり、楊君の努めて成すべき営々の仕事を、その為に一層忘れさせてゐることを嘆きたい作品であつた。
さて、これらの作品に共通する性格とは、芸術への考へ方、精進の仕方が、高からずして無雑作なことである。李梅樹君や李石樵君の仕事は、如何にも営々たる努力のものでありながら、習練した型式への技術が、少しづつ巧くなる限界内の仕事で、それが作風ではつきりわかるが、他の諸君のものも、呑気で無雑作にすぎる点で、変りはないのである。若年の折は、その技術の錬磨にも或る一定の水準迄行く歩みに目立つものがあり、それが真の発展とも間違はれるのであつて、或る水準に達した時は、最早進歩し難い堂々巡りが始まるのである。その技術がまた、どういふものか荒らく、或る纏りを得ておさまつてしまふのである。そしてどの作家にも構成のある組立てを考へることが薄いのである。造型の観念を知らないかと思はれるほどである。書き足らぬが、かうした現象は、少し観画の素養ある人には気づかれることと思ふのであるが、かかる本島人作家の優位な人たちの特性は、如何なる理由によるものであらうか。深く追求して考へていゝ課題だと思ふ。
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本島人画家に、新人の影すら無いこと、これはまた如何なるわけであらう。近年、特選になつた本島人画家が極めて稀だし、気鋭の新人が入選するといふこともない。もつとも、この新人の方は、内地人作家も同様であり、真に青春の絵と云へる若々しい感性の新人を、絶えて久しく見ないのである。
創元展作家の態度
飯田実雄君の主宰する創元展に集る人たちの仕事振りが、この府展への出品作によつて、多少あらたまつた態度に見られるのである。簡単に云へば、対象に向ける眼が、今迄より叮寧になつたこと、蕪雑なマチエールが心よくなつたこと、各人の違ひが見えてきたこと、などであるが、それらはすべて、祝福されていいことだと思ふのである。
今度の飯田君の作品は創作と云ふよりも習作に近いものであるが、それはこの作家にとり、一歩退いて二歩前進を約束されるものだと、私は思つたのである。大作に野心的な構図を盛るのは、この作家の特長であるのだが、そこからは多くの隙も生じたのである。さうした野心的なものを一とまづ手びかへ、対象について学ぶ態度を示したことは、今後の飯田君の発展に、加へるものは多いに違ひない。飯田君の場合、如何にもモデルのポーズを感じさせる今度の作品を、好意をもつて見たいのである。
本誌九月号に記した拙稿『台湾美術論』中に、創元展作家の欠陥を云ひ、夏期講習会の催が、その欠陥への大きな助けとならうことを云つたのであるが、その言の誤らなかつたのは喜しい。他の各人の間にも、よき態度の方向が感じられるのである。唯、一様に画面が平板で、空間感が足りないことには、努めて反省が必要であらう。それは立体が平面化されたといふよりも、平面のままの平面だといふ欠点なのだから。
鼎立の三人
新見棋一郎君の作品は注目されるものであつた。新見君、山下武夫君、桑田喜好君の三人には、共通する態度があつて、あたかも鼎立の感があるのだが、新見君の作品に、今年は最も生彩を感じた。感覚は三人の中、特長が薄く、筆が達者ではないのだが、そのことが、仕事を硬化させず、対象との息の通ひに不自由さが少なかつたのであらう。山下君の作品は、対象へ肉薄して受け取るといふよりも、或る境地が先に作られた感が強く、画面効果はあがりながら、観者へ伝はるものが足りないのである。私たち画家同志の隠語で語るといふが、専門化と云ふか、垣の内的の細まりと云ふか、さういふものが感じられるのであつて、それはこの作家の探求態度の清潔さにともなふ魔のやうなもので、山下君の仕事は、この魔を倒さねばならぬ純粋の悲しさにまで来てゐるのであらう。桑田君は三人のうち最も構成的画風を持ち、それを推し進める任務がありながら、それは来年のことであると云つてゐる感じである。
『黄葉群』
塩月桃甫氏の『黄葉群』は、氏の代表作中の代表作になるものだと信じる。私は此の作品に、これ迄感銘の深いものを見たことを思ひ出すことが出来るのだが、『黄葉群』から受けたものは、そのいづれにも勝るものであつた。来台審査員の作品は、腕の程を語りはしたが、感動を呼び起こされるものではなかつた。秀れた先行の人の作品を見る機会を持ち難いこの地に居て、たまたま見せられる機会のものが、かかる腕の程式のものであるのは、淋しい極みなのである。
しかし塩月氏の『黄葉群』は、真に芸術への熱意を傾けつくした上句のもので、この一作成らずんばの信念と愛情とか、対象と作者との間に渡り合つて煮つまり、形を成したといふものである。効果が上らなかつたとしても、敬意を表すべき作家態度で、最早何事も云々出来難いと云ふものであるが、その上句の出来が立派であつたことは、誠に目出度いことであつた。
女流の人たち
室谷早子さんの出品が無く、女流陣はいささか淋しいのであつて、その中で、根津静子、吉浦鈴子の二人が目立つてゐる。根津さんの絵は、作者が健康な人であるのに、作品に漂ふものには、蒼白い神経がちらつく。これは一体どういふわけなのであらう。それはこの人の絵に近代的な味はひを持たせるのであるが、絵の肌合ひが寒いといふ欠点にもならうか。なほ今度の『母と子』で、特記したいのは、子の方の花冠の描写が極めて美しかつたことである。型式に硬くならず感興を以つて仕事に向ふ態度が見えるが、その感興のリズムが、花冠の描写に最も生き生きと行はれたのであらう。
吉浦鈴子さんの『果物を売る娘』は、人物や果物のあれこれ、バツクとそれらとの関係などに、可成りチグハグな難点を持つのであるが、特殊の感覚を持つ人として注目されていい。その特殊の感覚が、もつとよく生かされる時を、私はこれからの作品に期待する。
なほ、目立たぬ小品であつたが、三階の壁にあつた河本千鶴子といふ人の『廊下』に、私は素質の良さを見た。さう云はれて思ひ出す人は少ないではなからうか。
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西洋画部では、なほ語りたいことが残る。南風原朝光君の色彩に就て、高田毫君の作画意識に就て、光を含む絵の尠少に就て、等々である。しかし漸く筆が乱れかけてきてゐる。鶏鳴に朝が近く、疲れては思ふことが纏らぬ。東洋画部へも筆が伸び難い。
─原載《臺灣時報》,第25卷第11號,1942-11-10,頁122-127
(辨識、翻譯/李淑珠)
註釋
譯註1. 秋永繼春乃廖繼春的日本名,原文的「紀」為誤植。
譯註2. 田中清汾乃陳清汾的日本名。
譯註3. 原文的「惟」為誤植。
譯註4. 作品名稱為〈支那婦人〉,「支那」一詞乃當時日本對中國的蔑稱。
譯註5. 「上句」(かみのく),指的是日本短歌的前三句或俳句的前五個字,後者例如芭蕉的名句「古池や 蛙飛び込む 水の音」(古池蛙躍濺水聲),「古池や」(ふるいけや)即為上句,其餘句為「下句」(しものく)。
譯註6. 此漢字罕見,當時的文獻常以「馨」或「睿」代替,原文的「毫」或為誤植或也是一種代替字,但不見於其他文獻。