木下靜涯

  東洋畫的出品受理總數為一百七十五件,但若加上因違反出品規則而遭拒絕受理的三十多件,則總共有二百件以上。所謂的違反規則,指的是將畫作裝裱成掛軸或只是簡易的假裱,而非以畫框裱裝者,這些都不得不在受理時直接退回(不受理)。總之,因為是第一回的展覽會,似乎有不少人沒有去充分了解本會的規則及意義,這點,下回開始出品人應該就會有所警惕。

  東洋畫的出品物中,使用擦筆技法的肖像畫或宛如照片直接放大的畫作,就有二十餘件,西洋畫方面也混雜了幾件這樣的作品,這些似乎是本島隨處可見的肖像畫館或某某畫館等處的畫師的出品。這些照片放大的畫作或擦筆畫的肖像等等,無論是在東洋畫部還是西洋畫部,都無法獲得入選,尤其是有些在出品時還註明「高貴的真影(譯註1)」等詞,這些出品者今後都要特別注意。

  東洋畫的出品物中,有許多品質粗慥不堪的作品。例如用一筆畫法撇個兩下就畫成的蘭花或竹子或達磨等等,而且還是非常幼稚的畫,或者題材取自芥子園畫譜,將之直接放大的畫,又或者一眼就能判斷是臨摹之作,或使用手指、指甲來作畫的畫等等,無奇不有。

  文人畫未必就不是美術,但無論怎樣在奇形怪狀的蘭花或竹子或岩石等圖像上添詩作賦,該圖像也難以被視為美術。此外,達磨、觀音的畫像很多,但這種宗教畫必須是透徹的主觀表現不可,若只是畫個橫眉怒目、氣焰囂張的,稱不上是達磨,徒具一副形態或模樣的,也不會是觀世音的真身,尤其是日本畫的業餘者(amateur),許多都喜愛畫這種一筆畫的達磨,但這樣的畫作,只有認識該畫作者的人才會覺得有趣,實在難登展覽會的大雅之堂。

  也常聽到入選畫中欠缺四君子或者文人畫、南北畫、土佐派、四條派等等的批評聲浪,但其實在鑑查之際,並不拘泥於流派或筆法粗細,鑑查僅一個標準,即「作品本位」(以作品為本)。入選畫中大約半數是南宗畫(南畫),除了因為學習南畫的人居多,也是因為這類畫作中有些水準還不錯。

  寫生或寫實,也並非繪畫的全部,但無視這些的畫作,很容易成為散漫且結果欠佳之作。這點希望特別注意。又,即便非常努力卻變成「惡寫實」(趣味拙劣的寫實)的話,就枉費了一番努力,例如風俗畫之類的,有很多這樣的畫作。此外,出品畫中居然有半數以上是模仿畫,模寫(臨摹)並非全然不可,倘若模寫的是畫法或是畫之精神,將之視為該作家之創作,也並無不可,但若只是圖樣或形態的模寫,則別說是將之視為該作家之創作了,極端來說,根本是玷汙藝術之作。

  另外,東洋畫的出品者,有許多都不具熱情或者努力不足。只是一時興起的創作,佔大多數,這點令人沮喪。又,有些畫即使完成度佳,但靠粉本作畫的嫌疑極大,所以怎麼也無法讓它入選。再者,有些在畫題上與畫面內容,相去甚遠,例如只畫一隻鳥和一朵花,卻題了一個令人難以聯想的深奧畫題,若依題意予以審查,結果還是會以不符合題意,而將之排除在入選之外。此次也有發現這樣的畫作,希望作者能多注意。

  如同上述,近兩百件的出品畫中,僅三十餘件的入選,看似滴水不漏的嚴選,但以上述這樣的內容來看,也未必稱得上是嚴選。畫作鑑查都經過了再三、再四的反覆討論,如若不幸落選,一定是因為該當了上述的某個問題點,希望落選者能改善該問題點之後,再捲土重來,下回出品具有特色的畫作。


東洋画鑑查雑感

木下静涯

 東洋画の出品受付総数は百七十五点であつたが外に規則違犯で不受理のものが三十点以上もあつたから全部では二百点以上もあつた、この規則違犯といふのは軸物に仕立てたのや仮巻につけた儘で枠張り装飾を加へてなかつたので其の儘返送の病むなきに至つたもの、兎に角始めての展覧会のことゝて充分に規則や意義を了解されて居ない人が相当に有つた様である、これは次回からは注意が出来る事と思ふ。

 東洋画の出品中に擦筆画の肖像や写真の引き延ばし見た様のものが二十余点も有つて、西洋画の方にも若干同様のものが交つて居た、これは本島の其処に沢山見受ける肖像画館、何々画館といふ人達の出品らしいが、写真を引き延ばしたものや、擦筆画の肖像などは東、西、いづれの部類にも入選は出来ない、特に高貴の真影など記して出品して有るもの等もあるがこれ等は今後充分注意を要することであると思ふ。

 東洋画の出品中には随分粗悪なものが夥多であつた。一筆描きのなぐり書きで蘭だの、竹だの、達磨だのといつた、それも極めて幼稚な画や、若しくは芥子園画譜などからそつくり持つて来て引き延ばした様なものや、ありありと判然した模写や、指頭や爪で描いた画なども出て居た。

 文人画が必ずしも美術で無いとは云はない、然したゞ奇形な蘭や竹や、石などに如何に詩を添へ文を加へてあつてもそれは美術としては受取りにくい、それから達磨、観音等の画が多かつたが、かうして宗教画は透徹した主観の現はしで無くてはならない、唯だ目をいからせて気張つて居る計りが達磨ではない、形態や模様ばかりでは観世音が現はれない、特に日本画のアマチユアの人々は必ずこの一筆描きの達磨などが多いがこれはたゞ其の作者を識る者が面白がるに止るもので到底展覧会の作品とは受取れない。

 四君子とか文人画とか南北、土佐、四条などが加らぬと云つて批難される声も屢々聞いたが、鑑査に当つて流派や粗密に拘泥した事はない、何処までも作品本位であつた、入選中の約半数は南宗画であつたといふ事も勿論、南画を習得して居る人達が多数であるが亦相当見られる作品も有つた次第である。

 写生とか写実とかゞ必ずしも画の全部では無い、然し全然これを無視した作は兎もすれば散漫で、始末の悪るいものとなる、この点は注意をして欲しいとおもふ、又非常な努力はして居ても悪写実になつては折角努力の甲斐がない、風俗画などには此種のものが多かつた、それから模倣画が殆んど半数以上もあつた、模写悉く非ではない、其の描法なり、其の精神の模写ならば其の人の作品としても差支ないが徒らに図様や形態の模写では其の人の作品といふは勿論極論すれば芸術を汚すものである。

 それから東洋画の出品者の多くは熱がない乃ち努力が足りない、ホンの感興に乗じてと云つた風のものが大多数であつた事は心細い、又画は相当に出来て居ても余りに粉本臭味の多いものはどうしても取れなかつた。猶画題に就いても随分当を得ないものがあつた、例を云へば一つの鳥や一つの花位に迚も連想出来難い題が付してある、若し題意に依つてこれを審査するとせむか到底題意に添はざるものとして除外せねばならぬ様なものもあつたが、これらは作者の注意を促してをきたい。

 以上の如く二百に近い中から三十余点の入選は甚だ厳選の如く見ゆるも、こうした内容を思へばあながち厳選でも無い、鑑査に当つては再三、再四、討議を重ねた若しにして落選された方々は以上のどれにか該当するものが有るのであるから其の点を考慮されて捲土重来特色ある出品を希望する次第である。

—原載《臺灣時報》,1927-11,頁23-24

(辨識、翻譯/李淑珠)

註釋

譯註1. 「真影」意思為「真實的影像」。此語可用於畫像或照片。