獲得入選榮譽的作者有東洋畫二十五人、西洋畫六十五人,共計九十人,

全都是 本島(臺灣)畫壇上不可欠缺之人,其中,特別引人矚目的是靠揮灑彩管(繪畫顏料)過活者極少,大多數是業餘者(amateur)的作品。尤其除了本島的中等學校的教員之外,專門的畫家極少。此次入選的職業畫家,日本畫方面有武部竹次郎(竹令)、野口秋香、野間口墨華、腰塚靄嶽、野村誠、井上一松的諸畫伯,但西洋畫方面幾乎全無,奇怪之至。不過,這從本島的實際情況來看,也是理所當然的結果。此外,西洋畫□

少年(young) 作家之多,也是特別引人矚目的現象。還在學者,例舉如下:

鈴木英一(高等學校(譯註1)三年級)、木村春子(臺北一高女(譯註2)一年級)、西尾善積(臺北一中(譯註)、大枝千秋(高等學校一年級)、楊佐三郎(京都關西美術學院三年級)、高木昌壽(高雄中學校三年級)、濱武蓉子(臺北一高女一年級)、小野郁子(基隆高女(譯註4)四年級)、陳植棋(東京美術學校本科三年級)、張秋海(東京美術學校研究所)、素木洋一(臺北一中三年級)、李石樵(臺北第二師範(譯註5))、陳日升(同上)、葉火城(同上)、黄新靈(同上)、黄振泰(同上)、柏尾鞠子(高雄高女(譯註6)學生)

的諸君堂堂入選,在本島□□一人僅陳進小姐仍是美術學校在學中。業餘者之中,名氣較高的,

日本畫 有大岡春濤與砥上種樹(如山)兩氏,西洋畫則真是□□的熱鬧景象。其次是受惠於無鑑查(免審查)之人,僅限於中等教員的有資格者,照理說應該水準不錯,但稍微看了一下,感覺竟然比入選畫還要差,實在很可憐!而享受正職以外作為餘技(消遣)的繪筆之人,例如裱具店的郭雪湖氏、炭礦營造業的倪蔣懷氏、鐘錶店的野田正明氏等等,或其他例如擔任柳營庄助役(副庄長)的陳庚金氏、倉庫會社臺南出張所(辦事處)所長的高橋清氏等等,引人矚目。

總之, 這些享受繪畫之樂者,都是前途無可限量之人。


特に目立つ アマチユア 洋画に少年が多い

入選の栄を得た作者は東洋画二十五人、西洋画六十五人、計九十人で

何れも 本島画壇にはなくてならぬ人々であるこの中特に目立つのは彩管を振つて生活してゐるものが極少く大多数がアマチユアの作品であることだ尤も本島には中等学校の教員を除けば専門の画家は極く少い今回入選した職業の画家は日本画では武部竹次郎、野口秋香、野間口墨華、腰塚靄嶽、野村誠、井上一松の諸画伯で西洋画では殆んど皆無なのは一奇だ、これは本島の実情から観て当然な結果であらう、その代り西洋画には□

ヤング 作家の多いことも特に目につく現象である、在学中のものを挙ぐると

鈴木英一(高等学校三年)木村春子(臺北一高女一年生)西尾善積(臺北一中三年)佐藤至(臺北一中三年)加瀬健一(高等学校尋三年)稲垣新一(高等学校三年)大枝千秋(高等学校一年)楊佐三郎(京都関西美術学院三年)高木昌壽(高雄中三年)浜武蓉子(臺北一高女一年)小野郁子(基隆高女四年)陳植棋(東京美術本科三年)張秋海(東京美術研究科)素木洋一(臺北一中三年)李石樵(臺北第二師範)陳日升(同上)葉火城(同上)黄新霊(同上)黄振泰(同上)柏尾鞠子(高雄高女生)

の諸君が堂々入選してゐるが本島には□□一人陳氏進さんが美術学校に在学してゐるばかりであるアマチユアの錚々たるものとして

日本画 では大岡春涛砥上種樹二氏であらうが西洋画は正に□□の賑々しさである次に無鑑査に恵まれた人々は中等教員の有資格者だけによい筈であるが一瞥した処によると入選画より却つて見劣りするやうな感じがするのは気の毒である実業の余技の絵筆を楽んでゐる人々に郭雪湖さんの表具屋、倪蒋懐さんの炭砿請負業野田正明さんの時計屋さん等があり其の他陳庚金さんの柳営庄助役高橋清さんの倉庫会社臺南出張所長等目立つ

総じて 絵を楽しむ人々だけにいづれも末頼母しい人々である

—原載《臺灣日日新報》,1927-10-28(日刊5版)

(辨識、翻譯/李淑珠)

註釋

譯註1. 臺灣總督府臺北高等學校,以下同。

譯註2. 臺北州立臺北第一高等女學校,以下同。

譯註3. 臺北州立臺北第一中學校,以下同。

譯註4. 臺北州立基隆高等女學校,以下同。

譯註5. 臺灣總督府臺北第二師範學校,以下同。

譯註6. 高雄州立高雄高等女學校,以下同。