臺展利用二十六日的招待日,在當天下午四點於鐵道旅館舉辦出品畫家的茶話會,與會者約六十餘名。臺展方面有石黑(英彥)臺展副會長、幣原(坦)審查委員長,還有松林(桂月)、石川(欽一郎)、鹽月(桃甫)、鄉原(古統)、木下(靜涯)的各審查員以及京都帝國大學文學部助教授(譯註1)並擔任美術講座的澤村專太郎氏等人出席。首先是石黑副會長發言提及臺展的內容越來越充實,對臺展深具信心,但有更進一步指導的必要等等。其次是松林桂月氏饒富意涵的談話,如下:

美術的審查最終還是以審查者的主觀趣味為依歸,所謂的嚴正審查,頗為困難。不過,展覽會出品的美術品是以「大概這樣就可以了」的約略標準來評選,因此,畫作不論是入選或是落選,其實不必過於悲喜。此外,作為作家,創作不可源自即興或刻意,應該至始至終都忠於自己的藝術良心。綜覽此次的臺展出品畫,可以窺知內(內地=日本)、臺人的畫風有所不同,之所以不同也是當然,只要藝術作品是民族精神的表現,便是理所當然之事。日本東京的畫,模倣之作居多,而且都是急功近利之輩,欠缺支那(中國)的所謂的「一日畫一石,十日造一水」的從容之處。本島(臺灣)人身上流的是支那民族的血,或許將來混合如此內、臺特色的一種有趣的美術作風,能在臺灣這片土地誕生,在此寄與厚望。

其次是澤村助教授陳述其臺展的觀後感,針對臺展的缺陷或不成熟之處,從美術批評家的角度,給予了最適切的評論,也一一檢討了美術研究設施不足等等的事項,令列席的美術作家□受益匪淺。最後是高校□稻垣龍一君針對美術的研究指導方面,表示了他的願望,之後大家移動到另一個的房間,會談到六點多才散會。這是一次相當有意義的集會。(又,澤村專太郎氏獻給臺灣美術界之建言,擬另文刊載)(譯註2)

照片攝於臺展出品者招待茶話會


臺展出品者 招待茶話会 きの鉄道ホテルに開催 松林沢村両氏から適切な講話

臺展では二十六日の招待日を利用し同日午後四時から鉄道ホテルに出品画家の茶話会を開いたが集るもの約六十名、臺展側からは石黒臺展副会長、幣原審査委員長以下松林、石川、塩月、郷原、木下各審査員、京都帝大文学部教授で美術講座を担任する沢村専太郎氏等出席、先づ石黒副会長は臺展の益益内容充実しゆく自信のついたこと但し此の上の指導の必要な点等を述べ次いで松林桂月氏は

美術の審査は審査する者の主観趣味に帰し厳正に審査するといふ事は頗る困難である、唯だ展覧会出品の美術品は大抵此の辺といふ大体の見当で選ぶので従て絵が入選し或は落選したとて甚だしく悲喜する事を要せぬ、尚ほ作家としては場当りや作意等に出てず何処までも自己の芸術的良心に終始されたい、今度の臺展出品画を見て内臺人に依て甚だしく作風の違ふ事を知つた、之は違ふのが当然で芸術作品が民族精神の現はれである以上当然の事である、日本の東京の絵は模倣が多く且つ性急なものゝみだが支那の所謂『一日一石を画き十日一水を造る』と言つた悠揚な所がない本島人が支那民族の血を引く以上此の内臺の特色は将来混合して一種の面白い美術作風が臺灣から生て出るに至るものと考へ楽みにしてゐる

との興味ある講話あり次いで沢村助教授は臺展を見た感想として其の欠陥や未熟な点等につき美術批評家として最も適切な論評を加へ美術の研究機関の足らぬ事等と縷縷述ぶる所あり列席の美術作家□に非常な感銘を与へ最後に高校□稲垣龍一君よりも美術の研究指導につき希望を述べ更に別室で会談六時過ぎ散会したが頗る有意義な集りであつた(尚ほ沢村専太郎氏の臺灣美術界に寄する言は更めて紹介する手筈である)

写真は臺展出品者招待茶話会

—原載《臺灣日日新報》,1928-10-27(日刊7版)

(辨識、翻譯/李淑珠)

註釋

譯註1. 原文「教授」應為「助教授」之誤植,或只是一種統稱(簡稱)。日本2007年已將「助教授」的頭銜改為「准教授」(副教授)至今。

譯註2. 參見〈臺展を見ての所感 伸びんとする力はあるが 訓練が不充分で 技巧上の破綻が多い(臺展觀後感 具發展潛力 但訓練不足 技巧上的破綻多)〉,《臺灣日日新報》,1928-10-28(夕刊1版)。