高雄市的洋畫(油畫)同好者組成的白日會,有八名會員出品了這屆的臺展,其中六名入選,為白日會揚眉吐氣,會員們也都高興不已。然而,入選者的其中一人,即出品〈古城之朝〉的蔡朝枝君,在高雄第三公學校(今高雄市三民國小)任教,擁有很高的藝術天賦,

▽…感受性強而且一旦創作熱情燃起,便完全不顧時間或身體的疲勞,一心一意專注地在畫布上揮灑顏料,如此滿懷熱血的一位青年,不管是在其具個性的表現上,還是在構思的新穎上,都不容有其他的追隨者。可憐的是,他在完成上述入選畫的製作之後,隨即身體出現異常的痙攣,導致半身不遂,最後倒在田町(約今鼓山區河西一路、鼓山二路一帶)的寓所,變成了廢人,再也站不起來,好不悲慘!原本前途無限美好的他,就此

▽…為藝術而倒下。這天,當白日會的主宰者山田(新吉)高女(譯註1)教諭(譯註2)來到他的病床慰問,看到講不出話的他在臉上露出的既敏感又鬱悶、悲痛欲絕的表情時,察覺到其心情而不禁落淚,感嘆道:終日遊手好閒、無所事事的現代青年之中,難得還有像他一樣真摯的好青年,卻不幸成了廢人,實在遺憾至極。


臺展エビソード 出品画の完成と 同時に廃人となつた靑年 その絵は見事入選した

高雄市の洋画同好者から成る白日会から今度の臺展に八名出品して内六名が入選したのは白日会の誇りとして会員達は喜んでゐるが入選者の一人で『古城の朝』を出品した高雄第三公学校で教鞭を取つてゐる蔡朝枝君は豊かな芸術的天分に恵まれた

▽…感激性の強い而も一度熱情を発せば時間や身体の疲労などを顧みず一意絵具を画布にたゝきつけると云つたやうな熱血性に富む一青年でその個性的なことゝ構想の奇抜なる事に於て他の追随を許さぬものがあつたが憐れ彼は入選画の製作を愈々完成した直後に身体に異常なる痙攣を起して半身不随と為り遂に田町の寓居に廃人としてたふれてしまつて再び起つ能はざる悲惨事を現出し前途ある彼は

▽…芸術の為にたふれた、其の日白日会の牛耳を取る山田高女教諭は彼を病床に訪づれると口のきけない彼が敏感なそして重苦しい悲痛な絶望的表情を顔にあらはした時には其心情を察して泣かされたが平安の惰眠をむさぼる現代青年の中に尚彼の如き真摯なる一青年を廃人に陥らしめたことは残念であると語つてゐた

─原載《臺灣日日新報》,1929-11-16(日刊5版)

(辨識、翻譯/李淑珠)

註釋

譯註1. 高雄州立高等女學校(今高雄市立高雄女子高級中學)。

譯註2. 日治時期小學正式教師有「訓導」與「教諭」之職稱區分,前者為臺人之職稱,後者為日人之職稱,但1909年以後,臺人訓導也可以透過檢定考試考取教諭資格。詳見許佩賢,〈公學校教師的發達之路及其限制〉,《殖民地臺灣近代教育的鏡像——1930年代臺灣的教育與社會》,新北市:衛城出版社,2015。