鷗亭生
今年的臺展洋畫部出現了獨樹一格的畫作,即來自東京的西洋畫部審査委員小澤秋成之作,其中一件描寫的是臺北的三線道路,另一件則描寫看得見高塔的臺北市街道,都是拋出問題的作品。
兩作之中,看得見高塔的臺北風景比三線道路更佳,畫面構圖類似喜愛描寫巴黎郊外而聞名的尤特里羅(Maurice Utrillo,1883-1955)的畫作,但其筆觸卻不可同日而語,不愧是出自東洋本家的畫家之手,巧妙靈活,内容方面也有所躍進,流露出極具靈性的東洋藝術的精神層面,讓人為之雀躍。像這樣的油畫,恕我直言,西洋人再怎麼竭盡全力也絕對畫不出來,像這樣的畫若出現巴黎那邊,一定會令觀眾十分驚豔,其實在臺北這裡能看到這樣的油畫,真是連作夢都沒想過。就畫的效果而言,也是接近百分之百,這是因為小澤氏早期學日本畫再轉為油畫家的緣故,若在巴黎,其作品也必定能受到好評。
對於笨重死板的油畫,說實在的,我們已經感到有些生厭了。這對必須看很多畫的人來說,心裡一定都是這麼想的。在如此氛圍之下,突然出現在眼前的便是這幅小澤秋成的《臺北風景》。對於認為一板一眼、裝腔作勢以學院式顏料堆積而成的強調技巧的畫才是油畫的人而言,可能會覺得:「什麼?這好像把人當做傻瓜的畫」,這也沒辦法,那是因為此種新油畫不為人知,在平時看習慣的一般油畫之間終於出現看不習慣的新油畫,所以有人將之視為異端,也是莫可奈何的事。然而,即便被視為異端,被認為在愚弄觀眾,此件藝術作品的真價一點也不會因此而減少。 其實像這種將強大的力量藏於線描中描繪的油畫,比起日本,在巴黎的新畫壇更廣受歡迎,或許可視為一種流行或「洋里洋氣的油畫」,然而,焉知這種洋里洋氣的油畫受到東洋畫,尤其是日本畫的影響,因此刺激,化為被東洋藝術化的油畫現身,實不可思議的因緣。總之,此件作品是被扔進臺展西洋畫部的炸彈。
臺展洋畫部に 投げられた爆彈 小澤審査員の作を評す
◇……鷗亭生
本年の臺展洋畫部に橫紙破りの作が出現した、東京から來た洋畫部の審査委員小澤秋成君の作で、一は臺北の三線道路を他は市中の塔の見える街路を描いたものだ、とにかく問題を投げてゐる作品である。
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その二作中では三線道路よりも塔の見える臺北風景の方が佳く、畫の構圖はパリの郊外を好んで畫いて名を擧げたウチリロ邊りのそれに似てゐる、然し其の筆觸は同日の談でなく流石に東洋本家の畫家の手に成つた丈けにトテモ器用で、内容的にも躍動を見せてゐる素晴らしくガイステキである、東洋藝術的精神的な側面が物の見事に滲み出て見る眼にも嬉しい限りである、こんな油繪は憚りながら西洋人には逆ほこ立ちになつても描けつこなしである、それだけでも畫の構圖が巴里通りに出現すると觀衆をびっくり仰天させるのである、實は臺北通りでこんな洋畫が見られるなどとは夢にも思へなかつた、繪の効果から言つても先づ百パーセントに近い、之といふのも小澤君が初期に日本畫から入つた洋畫家であるためで、巴里でも其の作品は必ず評判を得たことだらうと思はれる。
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ぎちごちない固苦しい油繪には實のところ吾々は少々飽きが來てるる、これは澤山な繪を見てゐる人には誰でもが感ずる心境だと思ふ、そんな氣分のある所へフイと現れたのが此の小澤秋成君の「臺北風景」である、固い鹿爪らしいアカデミクな繪具の堆積から成る技巧張りの繪だけが洋畫だと考へてゐる人々には「何だ人をバカにしてゐるやうな繪だナ」といふ感じが起るかも知れぬが、起つても仕方がない、それは此の新洋畫が知つた事ではない、見なれてゐる有り來りの洋畫の間に遂見なれぬ新洋畫が現はれたので之を異端的に觀る人があつてもソレも仕方がない、然し異端的に見られてもバカにしてゐると思はれても其の爲めに此の藝術作品の眞價は少しも下らない。
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實はこの樣な線描に強い力を籠めて畫く洋畫は、日本などより寧ろパリの新畫壇にヨリ多く人氣があり、一種の流行を見てゐるとも言へるもので、或は「バタ臭い洋畫」かも知れない、然しそのバタ臭い洋畫が爲んぞ知らん東洋畫、特に日本畫の影響によつて刺戟され、東洋藝術化された洋畫となつて現はれてゐるのだから不思議な因緣である、とにかく此の作は臺展の洋畫部に投げつけられた爆彈である。
—原載《臺灣日日新報》,1931-10-26(日刊3版)
(辨識、翻譯/李淑珠)
